いつの間にか夢中になっていました

 あれもこれも。黒崎さんの言動にはどんな意味が含まれているのか。そもそも意味はなく、黒崎さんにとっては普段からの自然な振る舞いというだけのものなのか。

 視線をうろうろと彷徨わせ、沸騰しそうな脳を落ち着かせる術もないまま固まっていると、黒崎さんはふふっと楽しそうに笑って踵を返し、インフォメーションの方へと歩いて行った。


 いい子って言われた……。これって喜んでいいの?

『子』って。

 まさか、こんな時でも子ども扱いされたということだろうか。

 だって、女性には『いい女』って言うよね?

 黒崎さんがそんなことを言うかは分からないけど。

『いい子』と『いい女』では天と地ほどの差がある気がする。

『いい女』じゃないと、恋愛対象にならないのでは……?


「あああ、もうっ」


 思わず口からは言葉が漏れ出し、周りを気にすることなく頭を抱えた。初めて黒崎さんと出掛けた時よりも少し伸びた髪がさらりと指をすり抜ける。

 さっきここを黒崎さんに触られた。黒崎さんもこの感触を感じてくれたのだろうか。少しはいいと思ってくれただろうか。髪、傷んでなくてよかった。気持ちいいと思ってもらえたかは自信ないけど、不快ではなかった……はず。


 気持ちいい、って。私は何を考えているの……⁉

 違う、黒崎さんは軽い気持ちで子どもに触れるように振る舞ったに違いない。

 考えちゃダメだ。


 ああああ、うううう、と頭を抱えている間に、黒崎さんはショーの時間を確認できたようで、私の元に戻って来た。


「お待たせ。少し回ってから……どうしたの?」

「ふぇ? いいいえっ、何でもありません!」


 恋愛対象どころか、変な子に認定されてしまうのは避けたい……!


「何かあったら遠慮なく言ってね」

「……は、い」


 貴方のせいで頭の中も心もすっかりゴチャゴチャしてます、なんて言えない。言えるわけがない。

 黒崎さんは、本当にどういうつもりで私と出掛けてくれているんだろう。まさか私を揶揄からかって遊んでいるわけではないだろうし……うん。そんなことする人ではない筈だ。


 返事をしたにも関わらず、未だにイルカの水槽の前から動かない私を見兼ねたのか、黒崎さんは音も無く私に近づいてきた。


「はい」


 そう言って、私に向かって大きな手を差し出してきた。


「え……?」

「藤原さん、迷子になりそうだから」

「ででで、でも」

「難しく考えなくていいから、おいで」

「っ!!」


 そんな台詞と共に、無理矢理私の手を取る黒崎さん。イメージと違って、少し節くれだった温かくて大きな手。その手が私の手をすっぽりと覆った。


 落ち着け、落ち着け……落ち着けないっ!!


 どうしたらいいのか分からず、力を入れるわけでも抜くわけでもなく、ただ握られているだけの手を引こうとして黒崎さんに握り返されてしまった。

 その瞬間、身体の中で何かがざわざわっと騒ぐ。駐車場で繋がれた時よりも、しっかり握られた手が火傷しそうだ。


「あ、あの」

「行こう」


 流された……!


 優しいけど、ちょっと強引。でも、オロオロしがちな私のことを考えて、リードしてくれているのかもしれない。クールに見えて、時々私に悪戯をして笑う意地悪なところもある。

 でも、どうしてだろう。そんなところにもドキドキとして心が弾む。身体中が発熱し、思考はふわふわと浮き足立つ。


 やっぱり、私はどんな黒崎さんも、好き。


 そんなことを、手を繋がれている緊張状態で自覚しなくてもいいのに。ますます恥ずかしくなってきて、つい俯いてしまった私の手を引き、黒崎さんは館内の奥に向かって歩き始めた。

 ふと周囲に意識を向けてみて気付く。平日だからか、全然混み合っていない。こんな環境で迷子になんてなるわけがないのに。


 もしかして、手を繋ぎたいと思ってくれたの?


 チラッと横を見上げれば、涼しげな表情で前を向いて歩く黒崎さんの横顔がある。私はこんなにいっぱいいっぱいなのに、黒崎さんは全然余裕なんだ。こんなにドキドキしているのも、手を繋ぐだけで舞い上がるのも私だけ。


 この手の意味を知りたい……。


 もやもや、ドキドキしている複雑な私の心は、不思議なことに、進むにつれ多くなって来た水槽に融けて吸い込まれるように静謐さを取り戻していく。

 それが向き合いたくない自分の心から逃げることだったとしても、二度と来ることができないかもしれない水族館デートを楽しみたいと必死になった結果だ。

 初めて来た水族館には小さな水槽から大きな水槽までたくさんあって、一つ一つに魅力的な魚たちが泳いでいた。

 館内は水槽の中が見易いようにと照度が落とされていて、水槽に近づく度に、そこからの光で黒崎さんの顔がぼんやりと青く照らされる。

 魚たちを見ながらも、時々隣を見ては黒崎さんの綺麗な横顔に見蕩れた。

 いろんな水槽があって、どこもとても綺麗だったが、私が一番心を奪われたのは意外なものだった。


「わぁ、クラゲってなんだかかわいいんですね!」

「そうだね。クラゲ、気に入ったの?」


 黒崎さんはクラゲに魅入っている私を見ながら、クスクスと笑っている。私の右手は相変わらず黒崎さんの左手に覆われたままだ。

 ドキドキするし、手に汗かいて不快感はないかなとか本当は離したいんじゃないかなとか、いろいろ考えたりはしてしまうけど。それでも、薄暗いこともあってか、パニック状態が続くということはなくなった。


「ふわふわしててかわいいし、透き通ってるから光が当たると綺麗ですね」

「うん、不思議な生き物だよね」

「ほんと、不思議……」


 生態のことなんて分からないけど、私が今まで見た生物の中で、どんな部類にも入れることができない。生きているのが不思議で、でも作り物ではできない綺麗さがあって。

 私はそのまま、どのくらい見ていたのか分からないくらい水槽に張り付いていた。その間、黒崎さんは何も言わず、静かに私の隣にいてくれたが、それすらもクラゲの神秘に飲み込まれて意識することはなかった。


「藤原さん、とっても楽しそうなところ申し訳ないんだけど、そろそろイルカショーの時間なんだ。どうする? もっとクラゲを見ていたい?」


 不意に掛けられた声にビクッと身体が跳ねて、心拍数が上がってしまった。でも、次の瞬間には『イルカショー』というワードが頭に入ってきて、一気に興奮していく。


「イルカ、見たいですっ!」

「うん、じゃあ、行こうか」

「はい!」


 クイッと引かれた手もなんだか馴染んでいて、イルカが見られる嬉しさと高揚で違和感すらなくなっている。

 見て回っている間、あまり吃ることも変な返事をしてしまうこともなく、自然と受け答えしていたことに、私は気付いていなかった。

 そして、そのことに黒崎さんが気付いていたのかも、どう受け取っていたのかも、私には想像もできなかった。

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