言葉の意味を考えてしまいます
初めて乗る時よりは幾分かマシになったとはいえ、再び訪れる二人きりの空間に緊張が身体を駆け抜ける。
黒崎さんは迷うことなく助手席のドアを開けて、ニッコリと私に向かって微笑んだ。
自然な振る舞いで為される紳士然とした行動と、その表情を見て、ドクンと胸が高鳴り、緊張とは違ったドキドキも加わってしまう。息も絶え絶えに、何とか身体を動かして乗り込めたことは奇跡と言っても過言ではない。
黒崎さんも運転席に乗り込むとペットボトルを置くところを教えてくれ、また水族館へと車を走らせ始めた。
「リラックスして過ごしてね」
「は、はい」
……無理です。
それからはのんびりとしたペースの会話を黒崎さんが振ってくれて、辛うじてこの空間に慣れていった。リラックスとまでは言い難いが。緊張を和らげるために、ちょこちょことレモンティーを飲んでいる私を優しい目で見てくれていることに気付かず。
自分がコーヒーを買いたいと言いながらも、私が遠慮して買わないと言ったことに対するさりげない気遣いだったことも気付かず。ただただ、私は水族館への道中を緊張と浮かれた気持ちで過ごした。
出発当初の不安を払拭するかのように、水族館にはあっという間に到着した。駐車場に車を停め、二人で降りる。運転席側で黒崎さんが一瞬軽く伸びをしたのを見て、仕事で疲れているはずなのにずっと運転させてしまった罪悪感が沸いた。
「黒崎さん、ずっと運転させてしまって、すみません……」
「ん? 大丈夫だよ。運転は結構好きなんだ。忙しくてなかなか遠出はできないから、今日は久しぶりで楽しいよ」
「それならいいんですが……」
黒崎さんが本心を悟られずに言葉を選んだり、行動したりすることはもう分かっている。だからこそ、ちょっとした言動も裏にはどんな思いがあるのか気になって、少し勘繰ってしまう。
「さて、行こうか」
「あ、はいっ」
ここで、あれこれ考えても仕方がないとモヤモヤした不安を一旦横に置いておくことにして、歩き始めた黒崎さんの少し後ろを歩く。すると、黒崎さんは数歩歩いたところでピタッと足を止めた。
真後ろを避けていたため背中にぶつかることはなかったが、思わずつんのめってしまった。
「ほら、また隣にいないんだから。ここにおいで」
そう言って、黒崎さんは手を伸ばし、肩に掛けている鞄をギュッと握っていた私の右手を捕まえた。
「あ」
「藤原さんはいつも遠慮して隣には来てくれないよね」
そんなことを言われたが、今は、そんな黒崎さんの言葉が頭に入る余裕はない。ちょっと待って、なんで、手が手が、と声にならない声が自分の頭の中だけで響く。パニックになり現実逃避してしまいたくなっても、どうしても、突然繋がれた右手に意識は集中してしまう。
大きくて温かい手が、私の身体も心もガッチリと捕らえて離さないとでも言われているようだ。そんな深い意味なんてないだろうに。
茫然と自分と黒崎さんが繋がっている手を見つめていたが、再び歩き始めた黒崎さんに引っ張られるようにして動き出した自分に気付いて、我に返った。
「えっ、と、あの、」
「ん?」
あぁ、またその攻撃を仕掛けてくるのですね……。
何か言わなくてはと見上げた私を黒崎さんは優しく見下ろし、首を傾げた。
大人の男性だと感じさせることが多いのに、こんな瞬間に少しかわいく見えるなんて反則だ。整った顔でされると、どんな仕草も様になるのだろうか。
細いメタルフレームの眼鏡が黒崎さんの持つ雰囲気にしっくりとハマり、クールに見えるのに、そんなことをされたらそのギャップに打ちのめされてしまう。
「いえ……」
「そう?」
私を遇あしらうことくらい、黒崎さんには朝飯前なんだろうなと思うとなんだか切なくなる。おもしろいくらい簡単に振り回される私を黒崎さんはどう見ているんだろうか。私の動揺に気付いていないはずはないと思うのだけど。
黒崎さんには気付かれないように小さく嘆息し、繋がれたままの右手に激しく動揺しながらも歩みを合わせて水族館に向かった。
チケット売り場で、お決まりのように『私が払う、いや、僕に払わせて』というやりとりを終え、結局押し負けて払わせてもらえず水族館内へ向かう。
「黒崎さん、すみません」
「何が?」
「チケット代、出していただいて」
「僕が藤原さんに財布を出させるわけないでしょ? 今日も……これからも」
「そん……え?」
今、何て言った?
『これからも』
今日以降も、会ってくれるということ?
今日が最後だと思わなくてもいいの?
「さぁ、中に入ろうか」
「え、あ、はい……」
ズキュンと音が聞こえそうな程、私の心臓を打ち抜いておいてサラッと流した?
チケット売り場で手を離されてしまった私は、入口に向かって歩き始めた黒崎さんの後ろ姿を見て思う。黒崎さんは、私との距離をどう捉えているの、と。漠然とした不安と疑問を抱きながらも、黒崎さんに着いて館内へと足を踏み入れた。
「うわぁっ、凄い!! 綺麗……」
入ってすぐに待ち受けていたのは、照明を最低限に抑え、外からの太陽の光が大きな水槽で揺れる水面に反射し、ゆらゆらきらきらと輝く瑠璃色の世界だった。
天井には決して人工的には作ることができないような光の波紋が広がり、まるで自分が広い海の中に浮かんでいるような錯覚を起こす。
それを織り成す重要な役割をしているのが、目の前にある大きな水槽だ。その中では、イルカが歓迎してくれているかのようにスイスイと気持ちよさそうに泳いでいる。
初めて見るイルカ。それは思っていたよりも大きくて、想像以上に優雅だ。現物は見たことがないが、有名な画家が描いた絵画ような、まさにイルカと光と水の幻想的且つ美しい共演。
「かわいいっ。私、イルカって泳ぐのが速いと思っていたんですけど、こんなにもゆったりと泳ぐこともあるんですね!」
「そうだね。でも、ショーではその速さと賢さがよく分かるよ」
「えっ⁉ ショーがあるんですか?」
「うん、時間をチェックして観に行こうね」
私の興奮に黒崎さんはクスクスと笑い、水槽に張り付くようにイルカを見ていた私の隣に来て、トンッと頭に手を乗せてきた。イルカに癒され、心が凪いできたと思っていたのに……。
思ったよりも近くにいた黒崎さんを見上げれば、にっこりと微笑んで応えてくれ、ポンポンと軽く弾むように撫でて手を下ろした。
「ショーの時間を見てくるから、ここでゆっくりイルカを見て待っていて」
「は、い……」
こくんと頷きながらした返事はか細かったが、余計なBGMも掛かっていない館内では黒崎さんの耳に辛うじて届いたようだった。
「うん、いい子」
「……え?」
待って、落ち着け。今、私は何て言われた?
イイコ?
何それ。
もしかしてイルカに言ったんじゃ……。
でも、流石に黒崎さんはイルカに話しかけないよね。私が話しかけちゃうならまだしも。ということは、もしかして私に言ったの?
言葉の意味が遅れて頭の中を駆け巡ると、ぼわわわっと音が聞こえるのではないかと思うほど急激に顔が熱くなっていった。
今日は一段と黒崎さんの言葉も仕草も、表情すら甘い、気がする。いや、気がするだけだ。間違ってもそこに特別な感情は篭っていない。そう、勘違いしてはいけない。
それに、黒崎さんに触れられるのは初めてではない。そうされる度に、恥ずかしいのにもっとして欲しくなる。嬉しい筈なのに、その意味が分からなくて不安も沸き起こる。
こんな危うい感情は、私の手に余る。そもそも、手を繋いでくれたということは、黒崎さんは今日をデートだとしてくれているのだろう。そうだとして、このデートを黒崎さんはどう思っているのかが分からず、混乱してしまう。
────デートでは手を繋ぐものだという、若干琴音を騙しているような気もする翔太の発言だったが、これは皮肉にも彼の洗脳の賜物だろう────
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