同行の次はボランティアですね
「さ、着いたよ」
「あ、は、はい。今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう」
駅に着いて、私の方に身体を向けた黒崎さんの瞳に茜色に染まり始めた景色が映り込み、綺麗なのに、その色合いのせいか愁いを帯びているように感じさせられた。
ふわりと揺れた短い髪が柔らかそうで、触れたら気持ちがよさそうだ。
そんな思考に至った自分が恥ずかしくなり、ましてや黒崎さんのスマイル攻撃が直撃している今は、自分の首を絞めてしまっただけだった。
黒崎さんの視線から逃げたくなって俯き、ワンピースの裾が揺れているのを見つめた。今日のために買ったこのワンピースは、本当に私に似合っていたんだろうか。そんなことを思っていると、左頬に温もりを感じ、反射的に顔を上げた。
その頬の感触が黒崎さんの人差し指だと気付いたのは、その指が私の頬に沿って動き、髪を耳に掛けてくれたから。
「……え」
髪を耳に掛けてくれた指は何故か離されることなく、代わりに親指が頬をまたひと撫でする。そうかと思ったら、次の瞬間には黒崎さんの指はあっさりと離れていった。
一瞬のことだったにも拘らず、まるで慈しみを持って触れられたように錯覚してしまい、ドクンっと大きく心臓が跳ねて、頭の中で大きな鐘が鳴り響いた。
怖々と黒崎さんを見ると、とてつもなく優しく、どこか甘さを含んだ瞳が私を見下ろしていた。何故か、その瞳の奥の方に隠された寂寥感が見えた気がした。でも、それも一瞬のことで、私の中で引っかかった時にはその違和感は消えてしまっていた。
ななな、なにっ⁉
……どうして、こんなこと。
「く、ろさき、さん?」
「髪が、口に入ってた」
「そう、でしたか……ありがとうございます……?」
あの仕草も表情も、意味はそれだけなの?
何かをされるのかと思ってしまった。何か……?
キ、ス……?
なななななな、ないないっ! 私は何を妄想したの⁉
「今日は楽しかったよ」
「うわわ、わたしも、楽しかったですっ」
「次は水族館ね。また、連絡するよ」
「……はい」
黒崎さんは先程のことがなかったように、自然な様子で話をする。私が意識しすぎなのだろうか。
もう忘れよう……いや、待って。あんなトキメキ満載な仕草と表情、忘れられるわけないじゃない。大事に大事に、胸にしまっておこう。
これ以上考えても、私には何の答えも出ないと判断し、そう思うことで頭の隅の方へ一旦置くことにした。
『次は水族館』
冗談とか社交辞令ではなく、今回、映画の約束を守ってくれたように、水族館へ行く話も実現させてくれるのだろう。きっと、黒崎さんはそういう人なんだと思う。
改札に向かうため、私が黒崎さんに向けて会釈をすると、黒崎さんは僅かに目を細めて微笑んでくれた。
結局、今日はクスクスと笑う顔は見ることができたけど、破顔するような笑いを誘うことはできなくて、それが心残りだ。そんなことが私に可能かどうかは分からないけど……。
『同行』の時間をやりきった安堵感と、若干の名残惜しさを感じながら、改札の方へ歩き始める。
ドキドキと胸が苦しくなることも多かったし、たくさんの新しい黒崎さんを知ることができて、すごく嬉しくて、大袈裟ではなく感動した。
それに。緊張しかできず、パニックになって二度と合わせる顔も無くなるような事態になるのではないかとすら思っていたけど、それは杞憂に終わった。あんなにも、黒崎さんと過ごす時間が穏やかで、優しくて、癒されて、楽しいなんて。
多少、黒崎さんの過去や彼女さんの存在に意識がいって、落ち込んだりもしたけど。でも……もっと、一緒に居たかったな。
そんなことを思いながら、乗り慣れた電車で自宅へと帰った。
***
翌日。
「琴音!」
出勤すると、朝の挨拶すらさせてもらえず、千絵さんに叫ぶように呼ばれてしまった。
「はははははいっ⁉」
「デートどうだった?」
「デデデデート⁉ あれは同行です!」
「はぁ⁉ なに訳の分からないこと言ってるの?」
「デートだなんて、烏滸おこがましい!」
「いや、二人で出かけたんだからデートでしょう」
「いえ! 同行です!」
「……この、頑固者めが」
千絵さんはエプロンを着けながらそれだけ言うと、はぁっとやけに大袈裟にため息をついた。
「まあ、いいよ。今はこんな不毛な言い争いをしている時間は無いね。この話は、仕事の後にゆっくり聞きましょうか」
千絵さんの眼が捕食者の眼のように変わったのは、私の気のせいではないはず。怖いよ……。ブルッと背筋に冷たいものを感じたが、本当に開店準備に取り掛からなくてはならず、頭をふるふると振って気持ちを入れ替えた。
そして、待ちに待ってもいない終業の時間となってしまった。今日ほど、働き続けたいと思ったことはない。好きな仕事とはいえ、普段はやはり疲れも出てきて、終業後にはホッとする筈なのに。
こっそり帰っちゃおうかな……?
事務所で静かにエプロンを片付けて、鞄を持って、物音を立てず、私は忍者だと言い聞かせながら、一歩……。
「はい、琴音。逃がさないよ」
「うわぁぁぁぁっ⁉」
……完璧な忍者だったと思ったのに。やっぱり、捕食者だ。
「待て」
「出た、翔太」
私と千絵さんの元に闖入してきたのは、午後からバイトに入っていた翔太くん。そんな翔太くんの姿を見て、千絵さんは目を眇めて小さく舌打ちをした。
「琴音の話をしに行くんですよね? 俺も行っていいっすか? ってか、行きます」
「ダメ」
「琴音、俺もいい?」
翔太くんは拒否を示した千絵さんを無視して、私の方へ許可を求めてきた。
いいかと聞かれたら、ダメとは言えない私は、その内容が照れてしまうようなものだということを忘れて、反射的に頷いてしまっていた。
「ほら、琴音は優しい」
「はぁ……琴音はほんとバカだねぇ」
なんだか褒められたんだか貶けなされたんだか分からないまま、私たちは書店を出て近くにあるファミレスに入ることにした。
この時点で、徹底的な追及がなされる予感がするのは気のせいだと思いたい。だって、フリードリンクなんていらない。フリーだなんて、恐ろしい。
何が、
そんな私の心の抗議は二人に届くはずもなくテキパキと注文し、私も急かされるように決める羽目になった。
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