また一つ、貴方のことを知りました

 私にはどうしても、食べながら話すという芸当ができない。いや、家族や千絵さんとなら大丈夫だ。それでも、もともと少ない口数は更に激減するわけだけど。

 だから、今、私の頭の中はケーキとカフェラテと『話さなくてはいけないんじゃないか』ということでいっぱいだ。

 黒崎さんは食べている私のことを時々見ながら、窓の外に視線を向けたりしてのんびりしている。どうやら、私が食べ始めたことに安心して凝視という名の攻撃は止めてくれたらしい。

 何も話さず、静かで穏やかな黒崎さんの様子に甘えて、私は何も話さなくてもいいのだろうか。こういう時は、私から話しかけないとつまらないと思われちゃうのかな。


「こういうのんびりした時間って、リラックスできていいよね」


 自動操縦オートのように手と口だけは動かしていた私の隣で、黒崎さんはまるで独り言のように呟いた。まるで、私が無言の時間に焦りを感じていることが分かっていたような絶妙なタイミングだ。


 フォークを持ったまま隣にチラッと視線を向けてみると、黒崎さんは柔らかく口角を上げ、少し遠くを見ているようだった。


「……はい」


 私もこういう静かでゆったりした時の流れを感じられるのは、すごく好きだ。でも、それは一人の時に限定されていた。こんな過ごし方を黒崎さんも心地いいと思ってくれているということだろうか。


「僕はなかなか仕事とプライベートを切り替えられなくて、いつも同僚に説教されるんだ。建築関係の仕事をしているんだけどね。こうして外を歩いていても、いろんな建造物につい目が行ってしまって、無意識に構造とかコンセプトとか考えてる。どんな注文のされ方で、この建物を提供したんだろうとかね。だから、ボーっとしている自分って、割と貴重なんだ」

「そうなんですか……」

「仕事バカってやつだよ」


 そう言って、黒崎さんは私の方を見て小さくははっと笑った。どことなくはにかんだ様な笑い方が、失礼かもしれないけど、かわいく思えてしまって胸がトクンと音を立てる。


「お仕事が好きなんですね」

「まあ、バカが付くくらい好きなのかもしれないね」


『ボーっとしている自分は貴重』


 それって、今の時間が貴重ってこと?

 私といる、今が?

 勘違いでなければ……。どうしよう。すごく嬉しい。

 何もしていないけど。何もしていない私といても、苦痛ではないと思ってもらえている?


「何も考えない時間って、意外と作れないよね」


 脳内で答えていた私の代わりに、黒崎さんが言葉を繋げた。


「……そうですね。わ、私も常にいろいろ考えてしまうので、ぼんやりしているようで、実際、頭の中は騒がしいかもしれないです」

「藤原さん、物静かなイメージがあるけど、頭の中は騒がしいんだ?」

「は、はい……お気づきかもしれないですが、私、人見知りが激しくて、話すのも下手なんです……」

「うん」

「う、うまく接することができない分、パニックになってることが多いです……あれこれ考えすぎちゃって、結果、何も纏まらないままその場が済んじゃったり」

「人見知りなのかなっていうのは気付いてたよ。だから、僕といることに緊張しか感じなくて、無理させていないか心配だったんだ」


 そう言って、黒崎さんは形の整った眉を僅かに下げた。


「とととととんでもない、です! 私の方こそ、つまらない思いをされるんじゃないかと不安でした」

「つまらなくなんてないよ」

「あ、ありがとう、ございます」


 え……? 何この会話。

 そういえば、私、さっき長文をしゃべった⁉

 ものすごく自然に、言葉が出てなかった⁉


 緊張は相変わらずしてるけど、でも、なんだかさっきまでよりも身体の力が抜けたかもしれない。


 黒崎さんが、私なんかとの時間を心配してくれてたの?

 私が黒崎さんとの時間を不安に思っていたように?


「そういえば、さっき言いかけたことだけど。映画、どうだった?」

「あ、はいっ! すごく感動しました……涙が止まらなくてすみませんでした」

「そんなことは気にしなくていいよ。観て良かったと思ってもらえたなら、嬉しい」

「きっと誘って戴かなかったら観ることはなかったと思うので、本当に嬉しいです! このお話の中で、主人公の誕生花が鍵になっているじゃないですか。実は私も同じなんです。だから、より思い入れもあって」

「そうなんだ。ということは、藤原さんの誕生日も十一月二十四日?」

「はい。カトレアの花言葉が素敵ですよね。『成熟した女性』とか『魅惑的』とか……私には程遠いんですけど。無理だとは分かってても、そんな言葉が似合う女性に憧れます」

「藤原さんは、きっと素敵な女性になっていくよ」

「ありが……って、え、えっ⁉」


 い、ま、な、ん、て、いっ、た⁉

 なんだか、ものすごく大変な事を聞いた気がする……?

 あ、幻聴。これが幻聴というものなんだ。それか、聞き間違い。

 ステーキな女性、とか?

 なんだ、それは。


「また、頭の中、騒がしいことになってる?」

「っ⁉ どどど、どうして」

「クルクル表情が変わってるから」


 慌てふためく私を、微笑んだ黒崎さんは余裕のある様子で見ている。


 もしかして、揶揄からかわれてる⁉


「本当にそう思ってるよ」

「うぇいっ⁉」

「ぷっ……ごめん、ごめん、笑うから嘘っぽくなるんだよね」

「う、そっぽく……?」


 それって、言い換えると嘘じゃないってこと?

 まままま、まさか!


「楽しみだね」

「ななな、何がっ、でしょうかっ!?」

「ん?」


 ここで、それは反則だっ!

 誤魔化された気がする。

 さては、黒崎さんの「ん?」は最大攻撃呪文か何かだろうか。


 普通に聴こえなかったり、疑問に思った時に使っているのかと思ってたけど、それだけではないのかもしれない。


 気をつけよう……どうやって?

 話題……話題を変えてみよう。

 そうだ、がんばれ。

 会話をするんんだ、琴音!


「くく、黒崎さんの誕生日は、いつなんですか?」

「僕は十二月二十四日。藤原さんとちょうど一か月違いだね」

「クリスマスイブなんですね」

「そうなんだよ。だから、昔から友達には確実に忘れられたよ」


 黒崎さんは忘れられたと言いながらも、どこか楽しそうで、これまでの友人関係がとても素敵なものだったんじゃないかと感じた。

 私は、絶対に忘れないけど。無宗教な私にはクリスマスより黒崎さんだ。そういえば……

「こんなこと、お聞きしていいのか分からないんですが、黒崎さんはお幾つなんですか?」


 私よりも結構歳上だとは思うけど……。


「三十二歳だよ。藤原さんからしたら、おじさんかもしれないね」


 まさかの十歳年上!


「全然、おじさんじゃないですっ! でも、もっと若く見えますね。十歳も違うんですね……道理で、私はお子さまみたいなもの……」


 あっ!!

 今、最後に心の声も漏れた⁉

 お子さまなことに変わりはないけど、それを気にしているんなんて知られたくなかった……。事実なだけに、虚しいじゃないか。


「藤原さんをお子さまだと」

「ですよねっ! ほんと、自分でも分かっているので……」

「いや、そんなと」

「え?」


 残念なことに、黒崎さんが何かを言いかけた時に、隣の席に座っていた女性二人が大きな笑い声を上げたため言葉の続きを聞くことはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る