スキンシップが多くないですか
暫く歩いて辿り着いたのは、最近新しくできたという映画館。同じ最寄駅で働いているから、情報に疎い私でもその存在は知っていたけど、まさか黒崎さんと来ることになるとは思ってもいなかった。
休日ということもあってお客さんが多く、人混みに慣れていない私は戸惑うばかり。
そんな中に、黒崎さんは躊躇いもなく入っていく。たったそれだけ。きっと、人からしたら何でもないことだろうけど、私にとっては世界の違いを感じさせられた。
人付き合いもなく、外出する機会も少なく、言ってみれば引きこもりのような私と、社交的で多くの人の中でも優しい笑顔で輪の中心に居そうな黒崎さん。
子どもと大人。何もかもが対極にいる気がする。
「どうかした?」
「……いえ」
館内に入ることを一瞬躊躇った私に気付いたのか、黒崎さんは振り返って一歩後ろにいた私を見下ろした。
「行こう」
少し騒がしい人混みの中にも拘らず、決して大きくない優しくて控えめな黒崎さんの声が私の耳にはハッキリと聞こえた。
「……はい」
私の小さな返事にニコリと微笑んで頷くと、一歩下がって隣に並び、ポンッと私の背中を押した。
うわぁぁぁっ⁉
黒崎さんって、何気にスキンシップ多くない⁉
気のせい? 気のせいなの⁉
もしくは、これも子どもと大人の違い?
これくらいの接触は大人の世界では当たり前で、狼狽うろたえるようなものでもないし、特別な意味も無いものなの?
「ん?」
ん、じゃな―――――いっ!
「く、く、黒崎さんっ!」
「どうしたの?」
あああああ、なんて爽やかな顔をしてるの⁉
だめ……何も言えない。いや、もともと私に何か言える勇気はないのか……。
「ほら、映画始まっちゃうよ。おいで」
そう言って、あわあわしている私を知ってか知らずか、黒崎さんは更に私の背中を押した。身体の中でドクドクと大きく響く自分の鼓動を感じながら、ぎこちなく足を動かして隣を並んで歩く黒崎さんに着いて行く。
そして、黒崎さんがカウンターでチケットのやりとりをしてくれ、既に開場時間になっていたらしく、すぐに上映スクリーンへと促された。
そこはこの映画館の中でも一番大きな劇場で、期待されている映画だからか中に入るとかなりの人が座っている。
人の隙間には階段状になっているベルベットの深紅のチェアが所々に見え、まだ照明は落ちていないにも拘らず日常で過ごすよりも暗く独特な雰囲気がある。
映画館に入る時には人が多くてかなり尻込みしたけど、いざ中に入ってみると広々と作られているからか窮屈な感じは無く、人の多さも意外と気にならなかった。
「こっちだよ」
「あ、はいっ」
いつの間にか入口でぼんやりとしてしまっていたようで、黒崎さんに声を掛けられて慌てて後に続いた。チケットのシートナンバーを確認しながら進む黒崎さんの後ろ姿に、つい見惚れてしまう。
大したことなんてしていないのに。
どうしても些細な仕草や行動にまで心が擽られ、一瞬一瞬で新しい黒崎さんを知ることができる喜びと、自分の幼さに直面する落胆とで、私の感情は大きな波となって揺れ動く。
私たちの席は中央よりも少し後ろ、スクリーンに対して左寄りの並びだった。映画館事情に詳しくはないけど、恐らく観やすくていい席なんじゃないかと思う。
黒崎さんに続いて、何人かの前を頭をぺこぺこ下げながら通り、ようやく目的の席に到着した。
「こことここだね。歩きにくかったけど大丈夫だった?」
「は、はい!」
「そっか。よかった」
心配そうに私の顔を覗き込んで尋ねてくれた黒崎さんにキュンっとしながら、火照る頬を両手で隠して頷くと、黒崎さんはホッとしたような表情に変わった。
それを見て、建て前で聞いたのではなく、心から心配してくれたのだろうと感じ、ポカポカと胸が温かくなる。
座った黒崎さんに倣い、私も隣に腰を下ろすと、その勢いで黒崎さんの手と私の手が僅かに掠めた。
「ごごごごめんなさい」
「え? あ、ごめんね。もしかして、当たって痛かった?」
「いえいえいえいえっ」
痛いとかではなく、ドキッとしたんです!
さっきは頬にちょんと触れられたけど、もしかして手が触れたのは初めて?
うわあ、ダメ! 何てことに気付くのよ、私は。
触れてない、触れてない……。
ほんの少し指が触れただけで、殆どその感触も温もりも分からなかった筈なのに、その指から熱を持ったみたいに身体中が熱くなっていく。
これ以上、パニックになりたくない。薄暗いとはいえ、これ以上赤くなりたくない。暑くて出ている汗なのか、緊張して出ている汗なのかも分からないけど、とにかくそれも引いてほしい。
「藤原さんは映画もよく観るの?」
「あ、いえ……あまり観る機会がなくて」
「そうなんだ。でも、確かに映像よりも活字で物語を読んでるイメージがあるね」
イメージ……私のイメージが黒崎さんの中にあるってこと?
もしかして、多少なりとも私が黒崎さんも中にいるって思っていいのかな。
でも、それは絶対に書店員としての私だろうから、勘違いしてはいけない。
でもでも、そのイメージは間違っていなくて、すごく嬉しい……。
「く、黒崎さんは……映画、好きなんですか?」
黒崎さんのことが少しでもいいから知りたい。こんなふうに話す機会はもうないだろうから、恥ずかしいからとか緊張するからって、何も話さないのは嫌だ。
がんばるって決めたんだから!
「そうだね。割と好きかな。映画館まではなかなか観に来る時間はないけど」
「そうなんですね」
映画館は誰かと、ってことかな……?
やっぱり彼女さんと、だろうな。
知りたいけど、あんまり踏み込みたくはないというか。
私は一体どうしたいんだろう。
千絵さんは現状で満足するなっていうけど、それって黒崎さんに気持ちを伝えて、お付き合いできるように頑張りなさいってことだよね?
……どう考えても、私には無理じゃないかな。
そんなことを考えながら、ふと隣の黒崎さんに意識を向けてみる。前のスクリーンを観ている黒崎さんをこっそり覗き見て、ドクンと心臓が脈打った。
今までは背の高い黒崎さんの顔は見上げないといけなかった。でも、今は座っているせいで、すぐ隣に顔がある。座ってからも緊張していて、話していても視線は下げてしまっていたため、そのことにずっと気付くことがなかった。
気付いた途端、その存在が益々大きく感じ、とてもじゃないけど黒崎さんの方を見ることなんてできなくなってしまった。
意識すれば意識するほど気になる。黒崎さん側の半身が熱で炭化しそうだ。今にも触れてしまいそうなほど近い腕。少し動かしたら脚同士だって当たってしまいそう。
私はギュッと両手に力を込めて、膝の上で鞄を握り締めた。
すっかり酸欠の脳になんとか酸素を送ろうと、気付かれないように小さく小さく深呼吸してみる。それでも足りなくて、まるで喉が何かに締められているような息苦しささえ感じる。こんなんで、二時間強も座っていられるだろうか。
ブザーが鳴り響き、劇場内の照明が落ちた。
「藤原さん、肘置き使っていいからね」
黒崎さんが私の耳に口を寄せて言葉を発した瞬間、ピリッと耳に痺れを感じ、そのまま背筋を電気が走った。
……なにっ⁉
今のは、静電気?
反射的に耳を押さえ、黒崎さんの方を勢いよく見てみた。黒崎さんも痛かったかもと思ったからだ。でも、視線の先にいる黒崎さんは涼しげな表情でこちらを向いて、ただ微笑んでいる。
そして、ふわっと香るいい匂い。まだその匂いに馴染みは無いけど、黒崎さんの匂いだということは分かった。
「え、あ、ありがとう、ございます……」
私がお礼を言って頭を下げると、うんと小さく頷いてまた前を見た気配がした。
近くに顔があるせいで声まで近い。特に今は照明が落ちて静かになったところだったからか、敏感になっていて囁いただけなのに、よく通るテノールの声が耳元の空気を震わせたようだ。
今の黒崎さんの顔はスクリーンの光で照らされて、映像による色彩の変化が幻想的に見える。
……綺麗な人。
男の人に『綺麗』なんて失礼かな。
かっこいいとは思ってたけど、今の黒崎さんは本当に『綺麗』という言葉が合う。中性的な顔と細身のスタイルがそう見せているのだろうか。
前を見つめる今の黒崎さんは無表情とも言える横顔だからか、笑った時よりも少し冷たく見えるけど、それは決して人や物事に対して非情に見えるというわけではない。
常に冷静沈着で、黒崎さんの周りの温度が熱くなることはないといった印象。
『清廉』『怜悧』『誠実』
そんな言葉が似合う。……勝手なイメージだけど。それに『頭脳明晰』という言葉も追加されそうな気がする。本もよく読むみたいだし、買って行く建築関係の本は専門的過ぎて私のはさっぱり分からない。
黒崎さんの横顔からそんなことを考えているうちに、いつの間にか今後の映画の予告なんかが終わり、映画本編が始まった。
初めは緊張して、黒崎さんの存在ばかりが気になって集中できなかったけど、もともと好きだったストーリーに引き込まれるのはあっという間だった。
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