恋バナは初めてです
翌日。
昨晩は興奮していたのかなかなか寝付けず、ようやく眠れそうかなと思っても、浅い眠りですぐに目が覚めてしまって、完全なる寝不足になってしまった。
そのせいで目の下の隈が酷い。でも、普段お化粧をしない私に隠すというテクニックもなく、あるがままの顔を晒してしまっていて見るに堪えない。
「琴音、おはよう……何、その顔」
「おはようございます……やっぱり目立ちますか?」
「ええ。なかなかの顔だね。何かあった?」
お互いエプロンをして、事務所から出ると開店前の清掃を開始する。それぞれモップを持ち、手を動かしながらも私の顔を覗き込んでくる千絵さん。
私が暗くなってしまっているからか、千絵さんの表情までほんの少し沈んでいる。
「ものすごく、衝撃的なことがあって。でも、もしかしたら夢かもしれません」
「夢?」
そう。本当に夢だと言われても納得できる。寧ろ、夢だと言われた方がしっくりくる。
「はい……でも、証拠品があって、それのせいで現実だと突きつけられてます」
「……何を言ってるの? 暗い顔してるけど、悪いこと? ほら、お姉さんに話してみなさい」
「悪いこと、ではないと思うんですけど……私のキャパはとっくにオーバーしてて……」
「よし、今夜、ご飯食べに行こう」
「すみません」
「謝罪はいらないなぁ」
「すみ……ありがとうございます」
私の返事ににっこり微笑んで、千絵さんは離れた場所の掃除に向かった。残された私も、今は考えても仕方ないのだと言い聞かせ、深呼吸をして気持ちを切り替える努力をする。
それにしても、二人で出掛けられるなんて嬉しいことの筈なのに、どうして素直に喜べないんだろう。
何か失敗をしないか不安だから?
二人の時間が怖いから?
黒崎さんに時間を貰うほどの存在価値が、自分にあるとは思えない。楽しいと思ってもらうよりも、退屈だと思われる可能性の方がずっと高い。
私、こんなんだけど、嫌われないかな。あぁ、本当に私は暗くて卑屈だ。ダメダメ、仕事しなくちゃ。
今度こそ気持ちを切り替えるため、両頬をパチンと強めに叩いた。
仕事を終え、千絵さんの行きつけのオーガニックレストランに連れて来てもらった。野菜は産地直送。野菜ソムリエのいる女性に人気のお店だそうだ。
私はこれまで友達と外食する機会もなくて、千絵さんと知り合ってから誘われるようになった程度で、こういうことにまだまだ慣れていない。
更に言うと、お酒を飲んだこともない。『初めての飲酒』という友達同士でのイベントを逃し、その後も所謂飲み会にも縁が無くて、現在に至った。
千絵さんは強いみたいで、こうして一緒に食べに行く時には飲むことがあるけど、私に合わせてくれているのか、行くお店は美味しく食べることがメインで、居酒屋やバーなどのお酒がメインのところには行ったことがない。
千絵さんのお勧めの料理を注文し、「さて」という千絵さんの言葉に思わず背筋が伸びた。
「黒崎さんのこと?」
「え、どうして……」
私、顔に出てるの?
それとも、知らない内に黒崎さんの名前出した?
「琴音も遂に、恋愛のことで悩むようになったか」
うんうんと頷きながら、千絵さんは腕を組む。
まだ、肯定してもいないのに……既に確信されてしまっているのは、どうして?
「いえ、あの」
「何? 違うの?」
「いえ、合ってますけど……」
「んじゃ、話してみなさい。今日はしっかり恋バナをしよう」
恋バナ。初めてだ。
これまでは誰かを好きになったことがない私ができる話もなかったし、友達の恋バナを聞く機会もなかった。だからといって、そういう話をすることに憧れなかったかと言われたら、そうではない。人並みに羨ましく思っていた。
まさか、自分の話で恋バナができるとは思ってもみなかったけど、初体験は素直に嬉しくてワクワクしてしまう。
だから一日中、黒崎さんのことで悩んで浮かない顔をしていた私が今、自分がどんな顔をしているかなんて意識していなかった。
「……今度はニヤけてるわね。琴音って人見知り激しいし大人しいけど、表情はくるくる変わるんだよね」
「ふぇ?」
「あはは、また変な返事して……本当、琴音見てると飽きないんだから」
「えぇっ⁉」
飽きるでしょう? だって、私ほどつまらない人はいないと思うし。おもしろいことも言えなければ、気の利いたことも言えない。
「ま、そんなことはいいから。で、黒崎さんがどうしたの?」
「は、はい」
それから、私は昨日あったことを説明した。上手く話せなくても千絵さんは根気よく待ってくれて、途中飲み物や料理が届いたりもしたけど、なんとか必要なことは話すことができた。
「そっか。琴音にとっては初めての事が重なったから、頭も感情も追いついていないのかもね」
「はい……」
「とりあえず食べようか。おなか空いてたら、考えることもできないからね」
そう言って 、運ばれてきていた料理を千絵さんは、私のお皿と自分のお皿に取り分けてくれた。
千絵さんはある程度食べ終わるまで、黒崎さんの話には触れずに、職場の事や千絵さんの彼氏との事など関係ない話で楽しませてくれた。でも、私は笑いながらも頭の中では黒崎さんの事が離れず、千絵さんの心遣いに失礼なことをしてしまったと思う。
注文した料理を殆ど食べ終わり、二人ともが箸を置くと、千絵さんはテーブルに肘をついて小さな顔をその上に乗せた。
暖色系のライトの中、周りからはザワザワと話し声や食器が当たる音が聞こえるけど、騒がしい程ではなく、店内に流れているジャズが落ち着いた雰囲気を演出している。
そんなお洒落な雰囲気に大人っぽくて美人な千絵さんが溶け込んでいる様は、有名な写真家の写真集に載っているポートレートを見ているような気分になった。
自分が同じ空間に居ることを忘れてしまう。場違いじゃないかと不安になってしまう。ああ、私は子どもなんだと再確認してしまった。黒崎さんはきっと、この雰囲気に溶け込めるんだ。私とは、世界が違う。
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