誘われました

「あ。そういえば、『カトレアに魅せられて』のポップも藤原さんが書いたの?」

「は、はい」


 それは以前、私が書いたもので、任されたばかりの頃に作ったものだから思い入れも強い。


「映画が来週から公開されるね」

「あっ、そういえば……」

「実はその映画の前売り券を取引先からもらったんだ。よかったら、友達と観に行く?」

「……ふぇ?」

「ぷっ。ふぇって……いや、いつものお礼にあげようかって言ったんだよ?」

「え?……えぇぇ⁉ そんな、戴くわけにはいきません!」

「どうして?」

「どどどどどうしてっ⁉ だって黒崎さんが戴いたものですよね?」

「そうだけど。もし、原作が好きなら、映画も観てみたいのかなと思ったから」

「原作は好きですけど……」


 映画を映画館で観ることがない上に、何より一緒に行く友達がいない!

 でも、そんなこと恥ずかしくて言えない。友達がいないなんて、暗い子だとか寂しい子だとか思われちゃうよ。 そもそも、黒崎さんがもらったものなのに、私がもらうのは申し訳ないし。ましてや、お礼を言って戴くほどのことなんて何もしてない。


「もしかして、もらうってことに抵抗ある?」

「は、はい」


 小さく返事をした私をチラッと見たような気配がしたけど、すぐに前を向いたようだ。そんな仕草に気付き、不意に断るのも申し訳ないという気がしてきた。せっかくの厚意を、ものすごい勢いで拒否したのだから不快に思われたかもしれない。


「あの、ご、ごめんなさい……」

「ん? どうして謝るの?」

「いえ……せっかくのご厚意を」

「あぁ、そんなことは気にしなくていいよ」


 そう言って、黒崎さんは私の方を見下ろすと、ふんわりと柔らかい笑顔を浮かべた。

 黒崎さんの笑顔は心臓に悪い。切れ長の目と涼しげな雰囲気は、一見怜悧な印象を持つ。でも、笑うと目が優しくなり、眼鏡の奥に見える瞳に引き寄せられてしまう。

 これまで、大きな口を開けて笑う姿は見たことがないけど、クスっと笑う瞬間の空気の変化に胸が締め付けられる。

 私は人と向き合う時、いつも緊張してしまう。身体に力が入ってしまうし、心臓も騒がしくなる。

 でも、黒崎さんが相手だと他の人とは比にならないほどドキドキして、ふわふわして。会いたいのに、会えば苦しくて逃げたくなる。人と関わることなんてとっくに諦めたはずなのに、黒崎さんのことが知りたくなる。その目に留まればパニックになると確信しているのに、どこか私を見てほしいと思う自分がいる。

 黒崎さんに対してのみ相反する内面が浮き彫りになって、自分が自分ではなくなるのではないかと怖くなる。


「そんなに悩まないで」


 そんな言葉と一緒に、いつの間にか俯いていた私の頭に温もりと重みが与えられた。


「え?」


 すぐには何が起こったのか分からなかったが、店長さんに頭をポンポンされた時の感覚に似ていると気付いた途端、今の状況を認識した。


 あああああああ、あたまっ!

 手がっ!


 どこの幼児だと笑えるほど、私の思考は単語しか浮かばなかった。


「じゃあ、一緒に観に行こうか」

「……え?」


 その言葉を私の頭は認識しなかったようだ。ただの文字の羅列。記号。シグナル。


「僕がもらったものだから受け取ることに抵抗があるなら、僕と一緒に行けば気兼ねなく行けるんじゃないかな」


 気兼ねなく? 一緒? それは。


「……二人で、ということ、ですか?」

「そうだね」

「……えぇっ⁉」


 私の世界からすべての音が消え、黒崎さんの声だけが頭に直接響いた。それと同時に、いるはずの他の歩行者や道路を走っている車の存在が消え去り、まるで私と黒崎さんだけの世界に落ちたようだ。


「嫌?」

「いや、とかではなくてっ」


 むりむりむりむり! それって、デート……!


「ほら、駅に着いたよ」

「え」


 そう言われて、遠くに行っていた意識を必死に手繰り寄せると、ようやく屋根のあるところまで来たのだと分かった。

 近いようで、遠いようで。胸が痛くて早く着いて欲しかったけど、傘を畳んで二人の距離が開くと、それはそれで淋しく感じる。


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