夜神楽 弐

「誠治郎さま、御一献、いかがですか?」

 酒の入った瓢箪を持って、現れたのは、月上実成つきがみさねなりであった。

 宮中の祭司で、鏡子の兄だ。女にしたいような細面で線の細い顔つきで、非常に端正な顔をしている。

「実成殿か」

 誠治郎は、空の盃を差し出した。

「誠治郎さまが、このような席にご出席なさるとは、珍しいですな」

 実成は、誠治郎の盃になみなみと、酒を注ぐ。

 誠治郎は、横に座るように勧め、注がれた酒に口をつけた。

「陛下が、祀りをおろそかにしてはならんとおっしゃるのでな」

 誠治郎は肩をすくめた。

「お役目が大変なようでございますね」

 実成の言葉に、誠治郎は頷いた。

「ここのところ、闇のモノの動きがさらに活発になってきておる。各地の護りが少しずつほころびが見える。大祭を前に、頭の痛いことよ」

「厳しいことにございますな」

 かつて、この土地を支配したといわれる氷雪王こそ封印されたままであるが、それ以外の結界はほころびつつある。

 月上実成は、みやこの祀りを司る祭司として、都の結界を死守する役目だ。

 どちらも皇帝直下の封魔衆とよばれているが、立場的には、誠治郎のほうが上だ。とはいえ、年も近く、気が置けない仲だ。鏡子が誠治郎とともに封魔の仕事をしているのは、そのことも大きい。

「ところで、なぜ、鏡子殿が神楽に?」

 誠治郎の言葉に、実成はくくっと笑みを浮かべた。実に楽しそうだ。

「お気づきになられましたか?」

「ああ」

 誠治郎は頷く。

おなごは化ける、と申しましょう? 我が妹とはいえ、私は、別人かと思いましたよ」

 誠治郎は、かがり火の中で舞う、鏡子を再び目にする。

 普段と服装がまるで違うとはいえ、大きな瞳も柔らかそうな唇も、鏡子のものだ。見間違えるはずがない。

「今宵は、月の祀り。月上の一族のものが神楽を舞う決まりですからな」

「なるほど」

 考えてみれば、神楽で舞う巫女は、祭司の一族だ。月上家の人間である、鏡子が、巫女であっても驚くには値しない。鏡子の封魔の実力から見れば、むしろ当たり前ともいえよう。

「それならば、もっとはっきりと言えばよいものを」

 封魔に鏡子の協力を仰いだ時、実成が渋ったのは、このためであったのだろう。

 神楽で舞う、ということがわかっていたのであれば、誠治郎も別の人間と組むことを考えたと思う。

「鏡子が舞うとは、決まっていなかったのですよ。従妹殿が舞う可能性もありましてね……まあ、鏡子は巫女としては問題児ですからな」

 実成は苦笑する。

 剣の修業をして、男のような恰好をしている鏡子は、祭司として有能ではあるが、巫女の典型ではない。

「……いつも、ああであれば、嫁入りに苦労することもないのでしょうが」

 苦笑を浮かべながら、実成はさらに誠治郎の盃に酒を注いだ。

「縁談でも、あるのか?」

 誠治郎は、戸惑いを感じながら訊ねる。

 鏡子は確か、二十四になる。思えば、そんな話が当然あるべき年頃だ。

 この国の女性は、二十歳がほぼ適齢期となっている。

 そのことに気が付かなかった自分と、思いのほかそのことに動揺している自分に誠治郎は驚いた。

「いいえ。あるのなら良いのですが。外面を飾っても、中身は変わらぬじゃじゃ馬娘。嫁に行きたいとも思わぬようです。お役目が大切だと言ってばかりでね。縁談を捜すにも、なかなかむずかしい年になってしまいました。まったく、頭が痛いことですよ」

 実成の言葉を聞きながら、誠治郎は、のびやかに舞う鏡子に再び目を奪われる。

 艶やかな髪が、ゆるやかに流れ、指先がしなやかに動く。

 シャリン。

 鈴の音が鳴る。

 鏡子の足が、たんたんと床を鳴らし、楽の音曲が変化した。

「もっとも、今のお役目に推薦したのは、兄の私ですからね。もとをただせば、私の責任なのですが」

 実成は大きくため息をついた。

「鏡子殿は、自分で幸せをつかめるおなごだ。嫁に行くも行かぬも、鏡子殿の好きにすればよい。役目をおりる、続けるのも、また、鏡子殿の好きにすればよいと、俺は思う」

「誠治郎さま?」

 誠治郎は、酒をあおった。

「鏡子殿の能力は得難いもので、助けてもらっている。しかし、俺は鏡子殿を役目に縛るつもりはない」

 それは誠治郎の本心ではあったが。

 鏡子が役目を降りて嫁に行くと言い出したら、と考えると、心が凍りそうに冷える。しかし、誠治郎はその感情を無視しようとした。

「……誠治郎さまは残酷なお方ですなあ」

 実成は小さく呟く。

「しかし、鏡子もそこが良いのでしょうから……」

 実成が言いかけたその時──。

 強い風が吹き、中央に燃えていたかがり火が消えた。

 悲鳴がおこり、楽の音が途絶えた。ところどころに置かれていた行灯の光だけがぼんやりと闇を照らしている。

「妖気!」

 誠治郎は、刀を手に取って、飛ぶように走った。

 暗闇よりさらにどす黒い闇が舞台に生まれ、膨らむ。

「逃げろ!」

 蜘蛛の子を散らすがごとく、舞台まわりにいた人間が逃げ出した。

 ぐわん、と、大気が歪み、神楽の舞台が真っ二つに割れる。

「鏡子殿! 跳べ!」

「はい!」

 誠治郎は、舞台から飛び降りた鏡子の身体を受け止めた。

 悲鳴が巻き起こる。

「陛下を、安全な場所へ!」

 言いながら、誠治郎は目を凝らしながら、鏡子を背中にかばった。

「誠治郎さま、あれを!」

 震える声で、鏡子が指さす先の、どす黒い闇が、ひとを象りはじめ、青白い燐光を放ち始めた。

 ゾクリとする冷気が流れ出し、周囲が凍り始めていく。足裏が痛いほどに冷たい。

「久しぶりだなあ、

 現れ出たのは、皇帝とよく似た顔をした、一人の男だった。

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鏡に映るは、赤い月 秋月忍 @kotatumuri-akituki

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