夜神楽 壱
気乗りしない祀りではあるが、宮中行事というのは、どれも意味がある。
もちろん、皇帝の言うように、多かれ少なかれ『封魔』の意味を持っていることのほうが多い。
今宵行われるのは、晩秋の
夜が長くなっていくこの季節に、一年の実りに感謝する祀りだ。
満月をすぎて五日ほど過ぎて上る月は、この神楽がおわるころに、ようやく地平から姿を現すことになっている。
封魔の意味はないとされているが、神楽の舞も楽の音も、遅く上る月に捧げられるものであって、来るべき冬に、月の神に護りを願うものではある。
実際の行事としては、昨年の米で作られた酒が、この晩、はじめて蔵元から宮中に運ばれ、ふるまわれる。つまりは、月を待つということを口実に夜遅くまで宴会をするだけというのが正しい。
元来、東雲の一族は宮中でも重職にある。こうした宴に出席するのも、仕事の一つには違いない。
しかし、ただ
日が沈み、夜の帳が下り始めると、舞台脇のかがり火がたかれ、見物席の周りに等間隔におかれた行灯にも火が灯された。
夜神楽に招かれた客らが、席に着くと、給仕の者たちが、酒や山海の幸を運び始める。
神楽の舞台の中央には皇帝もいる正式な祀りで、完全に羽目を外すことはないにせよ、建前上は、無礼講。華やかな『祀り』だ。
帯刀は普通、許されないが、誠治郎は特別に許されている。舞台の見物席としてはかなり条件は悪いが、誠治郎は、すべての席を見渡せる場所に腰を下ろし、脇に刀を置いた。
薄暗い中で、灯された火が、小さくゆれている。色は消え、形だけが影のように浮かび上がっている中で、大きなかがり火に照らされている舞台の上だけが色を持っているように見えている。
やがて、楽の音がなり始め、舞台の上に、一人の巫女が現れた。
「え?」
誠治郎は、息をのんだ。
闇夜に灯されたかがり火に照らされ、艶やかに輝く長い黒髪。白い小袖に緋袴、千早をはおっている。
音曲に合わせ、静かに舞い始めた彼女の額で、三日月をかたどった金色の
胸が騒ぐ。
天女か、魔性か。それほどまでに、女は美しい。
「……鏡子殿?」
その女は、月上鏡子に間違いなかった。
しかし、つい昨日まで隣り合わせで仕事をしていた鏡子は、紅一つさしていなかった。
鏡子は、あのような艶やかな唇をしていただろうか? 袖からのぞく白い腕が、なまめかしい。
誠治郎は、食い入るように女を見つめた。
鏡子と封魔衆としての仕事をともにするようになって、長い。しかし、女の格好をしているのを誠治郎は、見たことがなかった。
もちろん、封魔のしごとをするのは、男装のほうが動きやすい。
しかし、仕事以外で鏡子に会ったときも、彼女は常に男装だった。ふたりで話す話題も色恋とは無縁の話ばかりで、今の今まで、誠治郎は彼女を女性として意識したことはなかった。
正確には、意識しないようにしていた、という方が正しいのかもしれない。
──まさか。
緋鋭が「後悔する」と言ったのは、このことだろうか。
誠治郎は頭を振った。
国の大事が控えいて、また、今まさに、怪事がおこっているであろうに、仕事の相棒である鏡子を女性として意識してはいけない、と思う。
これから先も、鏡子の力を借りなければならぬのだ。
鏡子の笛は、穢れを清め、そして魔を具現化する力を持っている。
もちろん鏡子以外にも、同じ能力を持った人間はいるのだが、誠治郎の『術』との相性は、鏡子が一番良い。彼女以上の相棒は考えられない。
それに、術だけではなく、度胸の良さと、さっぱりした性格は、そばにいて心地よいのだ。誠治郎は、人間として、鏡子が好きだった。
──しかし。
艶やかに舞う鏡子の姿を、誠治郎以外の男たちも見ているという、この状況に胸が騒ぐのはなぜなのか。鏡子を今すぐここから連れ出して、誰にも見られない場所で、自分だけを見てほしいと思うのは、どうしてなのだろう。
誠治郎は、眉間に手を当て、気持ちを落ち着かせようとする。
かがり火は激しく燃え、時折、火の粉が舞う。
冷えていく夜の風が、誠治郎の頬をなでていく。
宮殿の屋根のすきまにある、狭い空のはるか向こうには、黒々とした山がそびえ立っている。
誠治郎は、その山に想いをはせることで、ようやくに鏡子から視線を外した。
──今はそれどころではない。
照魔鏡に生じた曇りをなんとかしなければならないのだ。
個人的な感情に流されていて、良い訳がない。
シャリン
大きく鈴の音が響いた。
楽の音が変わる。鏡子が、檜扇を神楽鈴に持ち替えたようだった。
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