緋鋭

「して、様子は?」

 部屋の奥の一段高い壇上に座っている男が、誠治郎に問いかけた。

 烏帽子をかぶり、羽織、袴姿で背筋を伸ばしている。眉間にしわが寄り、表情は暗い。

  蘇芳すおうの国の皇帝、緋鋭ひえいである。

「どこの結界も綻びかけております。壊れてこそおりませんが、確実に魔に蝕まれつつあります。すべて、清めては参りましたが、応急処置にしかなりません」

 誠治郎は、頭を下げたまま報告する。

 この一年で、日に日に、魔の眷属が勢力を増しているのを感じる。

 国全体を守っていた結界が、機能しなくなってきているのだ。

「……前回の大祭は関係あろうか?」

 皇帝の問いに、誠治郎は頭を振った。

「わかりませぬ。仮にあったところで、どうしようもありません」

「……そうだな」

 皇帝は険しい顔で、頷いた。

 今から、十年前。

 国を挙げての大祭の儀礼途中、念入りに張られているはずの、霧氷山の結界が崩壊しかけた。

 地震が起き、たくさんの星が流れた。

「私はあの時のことを、ほとんど覚えてはおらん。覚えておれば、何か手掛かりになったかもしれぬが」

 もともと。祀りの中心は父である、皇帝の紅仁こうじんが執り行っていたし、緋鋭は、気楽な次男坊という立場であった。

 当時、時期皇帝は、間違いなく兄の紫檀したんだと誰もが思っていた。もちろん緋鋭自身もだ。

 ゆえに、儀礼への取り組み方も、皇帝の手順を覚えるということより、それを手助けするという役割の方を重点としていた。

 儀礼の最中、突然、緋鋭は意識を失って倒れた。その直後に大事が起きたこともあり、適切な処置が遅れた。そのこともあり、当時の緋鋭の記憶はひどく曖昧なものになっているらしい。

 そして、記憶がないということが余計に、緋鋭の悔恨の念を大きくしている、と誠治郎は思う。

 あの時何があったのかを、誠治郎の父、源蔵は語らない。先帝との約定と聞いているが、祀りを行った先の皇帝、紅仁は、その後急速に体調を崩した。

 明らかに命を賭して儀礼を行ったと思われる。そして、そんな時に何もできなかった自分を、緋鋭は今もせめ続けているのだ。

 行方不明になった緋鋭の双子の兄紫檀したんと母瑞花ずいかについて、誠治郎が桧扇を拾った神社の裏のがけ下で、瑞花の遺体は発見された。が、紫檀は見つからなかった。

 結局、ひと月後、二人は病死と発表された。

 紅仁は、体調が戻らず、半年後に死亡。

 混迷の中、残された緋鋭は、十三歳にして皇帝の座についた。

 兄の優秀さの影に隠れていて気付かれていなかったが、緋鋭は無能ではなかった。

 何より、緋鋭は人を扱うことに長けていた。

 紅仁亡き後、混乱なくこの国がすすめたのは、皇帝が紫檀ではなく、緋鋭だったからだと誠治郎は思う。

「大祭が関係ないとすれば、私のまつりごとに問題があるのだろうな」

 緋鋭の口が自嘲気味に歪む。

 先日より、国宝である照魔鏡に曇りが生じているのだ。

 異変に気が付いた緋鋭に命じられて、誠治郎は結界の調査を始めた。八方手を尽くしているが、今のところ、理由はわからない。

 もちろん、大祭が近くなれば前回の儀礼の効果は薄れていくのも当たり前ともいえるが、記録によれば、これまでこのようなことは起きていない。

 やはり、前回の儀礼時の異変と無縁ではないだろう。

「確かなことは、このままでは霧氷山むひょうやまの結界も危ういかもしれません。もうすぐ、大祭でございます。ただ、十年前の大祭と同じでは、つぎは十年持ちませぬ」

 誠治郎は、意見を述べた。

  星山大社の大祭は、国の封魔のかなめだ。

 大祭は、冬の満月の翌日、十六夜の晩に行われることになっていて、もう、ひと月ない。

「しかし、祭りの規模は、前回以上にすることは難しいな」

 蘇芳の国は、決して貧しくはない。しかし、祭りには莫大な費用が掛かる。さらにかかるとなると、財政を圧迫することになる。

「儀礼の派手さではありません。祀りには必ず意味がございます。贅をつくすということではなく、結界を強化するための方法をさぐるということです。そもそも前回の大祭は、結界が儀礼の途中で不安定になった経緯があります。今回は、そのような事態は絶対にあってはならないと思います」

 形式化された、祭礼のひとつひとつに、本来は意味がある。

 それを紐解いて、必要なものが何かをさぐらねば、結界は強化できない。

 とはいえ。何が必要で、何が不要なのか。そのあたりの判断は非常に難しいものだ。

「わかった。お前に任せる。入用のものがあれば、言え」

「承知いたしました」

「ご苦労であったな」

 誠治郎が頭を下げると、緋鋭は、ねぎらいの言葉をかけたあと、ふと何かを思いついたような顔を浮かべた。

「今宵は、夜神楽じゃ。今日くらいは、お前も羽を伸ばすと良い」

「いえ、私は──」

 断ろうとした誠治郎を、緋鋭は鋭い視線で制した。否を言わさぬ表情である。

「宮廷行事も大事な。どんな祀りにも、必ず意味があるのではないか?」

「御意」

 誠治郎は、慌てて頭を下げた。

 意味はあろう。結界という意味ではなく、政治的な、という意味で。しかし、根っからの武人である誠治郎は、殿上人としての駆け引きが苦手なのだ。

 擦り寄って、しなだれかかる女たちの扱いも得意ではない。

 緋鋭は、誠治郎が苦手なのを知っていて、あえて『必要』だと言っているのだ。

 もちろん、誠治郎は封魔衆の筆頭であって、国の重臣である。どのような行事もおろそかにしてよいわけではない。

「それに、今宵は行かねば、たぶん後悔すると思うぞ」

 ニヤリ、と緋鋭は口をゆがめた。

 理由については、語る気はないようだ。

「一晩くらい、当世を楽しめ。そうでないと、なんのために戦うか、見失うぞ」

「……返す言葉もございませんな」

 誠治郎は大きくため息をついた。

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