15 週末、少女は魔王になる


 陽気な太陽とともに吹く華風は、白く咲き誇るエーデルワイスの花びらを散らす。

 風の音しか鳴り響かない、山の静寂。青雲とともにゆっくりと、今この時が進んでいく。

 丘の上にはきれいに生え揃った草の絨毯があって、私はそこにちょこんとお尻をつけていた。


 はじめてのお仕事から1週間が経った。私が魔王になってから、1週間。

 アカイア山荘に戻ってきてから、私は自分が人間として生きている心地がまったくしなくて困惑したわ。

 だって、戦場で見てきた死屍累々の山を見ても一歩も怖気づかなかったのに。人を殺しても動じなかったのに。

 温かい優しい場所に戻ると、強い違和感を感じてしまったの。

 

 

 優しさを貰った場所に戻ってきてから、私は自分のやってきた業と比べてしまう。

 1人で40人の竜騎兵を殺したことを。

 

 間接的に罪のない2000の市民を殺したことを。

 

 

 私は魔王になってしまった。人間には戻れないって。

 

 

 □   □   □


 指揮系統が崩れたリオンの街は、あっという間に革命軍の猛攻の餌食になってしまった。

 ミュラー中尉率いる竜騎兵が疾風迅雷のごとく制空権を奪還し、敵魔術師の魔法陣を破壊。

 ボナパルト少佐の巧みな戦術でリオンは大砲の嵐に覆われ、あっという間に制圧されていく。

 女の子一人に任せられるかと、ボナパルト少佐は言ってたけど。あの人自体、かなり優秀な指揮官だったみたい。

 

 リオンが白旗を掲げるのはそんなに時間がかからなかったわ。


 けど、その後が地獄だった。

 


「諸君たちは王党派に属する敗北主義者だ! そのような者はフランクには必要ない……粛清を始める」


 派遣議員のフーシェ。その男が発令したのは、リオンを新しく塗り替えるための大虐殺だった。

 

 パリスから運んできたギロチンたちを設置して、王党派の捕虜たちが順番に首を切られていく。

 ゴトンっとトマトが潰れたようにしわくちゃな生首が呪詛を唱えて死んでいくの。


「王殺しに災いあれッ! 悪魔に媚びた不信心者めエェッ!」


 私が魔王であることはふせられていたけれど、知らない人でも雷が何者かの仕業であることは分かっていたみたい。

 悪魔の力……確かに、そうなのかもしれない。人を狙い撃ちにする雷なんて、人間の魔法じゃ無理だもの。神話の粋だわ。


 私は魔王だから、悪魔程度の存在ではないことを知らずに死んでいくの。かわいそうに、哀れだったわ。

 

「ギロチンだと遅い……ぶどう弾でもかましてやれ」


 大砲から放たれる散弾は容赦なく市民達の体をひき肉にしていく。目隠しもされないまま、絶望して死んでいったのでしょう。

 木造船にギュウギュウ詰めに詰められた市民たちは、船ごと沈められて溺死する。

 抵抗する市民は兵士の銃剣によって刺殺され、鉛の弾で脳症をぶちまけていく。

 

 ありとあらゆる残酷な死がリオンの街を埋め尽くした……それは太陽が登ってきても、ずっと火薬の光で覆われていて。

 黒煙でも、人間の血溜まりの臭いは消えることなく、悲鳴が死のファンファーレのように鳴り響いたわ。

 


 これは地獄。まさしく地獄よ。人間が作り給うた悪逆の地獄よ。

 意見を違えた人間を罪人だと断罪した、人間の最も醜い、魔王の所業よりも卑怯な地獄なのだわ……

 


「やはり、私の情報は正しかったようだ……君をあの監獄から出して正解だったよ、ミーシャ・ペトラルカ」

 

 

 フーシェ、風見鶏のフーシェ。フランクの情報を一手に握る、大物フィクサーであり、通称カメレオンの怪人。

 

 彼が私の過去を知り、私を監獄から出すよう手配した。そして実際に魔王として、兵器として私を使うように指示した男。

 

 私を魔王にしたこの男は、ギョロ目を鈍く光らせながら、心底嬉しそうに私を褒めた。

 

 

 無実の血で真っ赤に染まったモラウ川はゆっくりと、海へ海へと流れていく。

 それをじっと見つめるしか出来なかった私は、無力だったわ。魔王なのに、傍観者にしかなれなかったの。

 

 兵士を殺すのはまだいい。外国の人間を殺すのも仕方がない。戦争だから、殺すのが仕事。

 けど、罪を犯していない同じフランク人を殺すのは、心に残っているなけなしの良心がとても痛んだわ。

 直接手をくだせと言われれば出来たけど。やっていなくても、関わっていたというだけでじんわりと痛む。

 不思議ね、アレだけ人を殺すのが楽しかったのに、気がついたら私は人間ぶっているのだから。

 

 

――――偽善の極みよ。

 

 

 □   □   □

 

「戦場で初めて人を殺した時、僕はその場でゲロを吐いてしまったよ。でも、それもすぐに慣れてしまうんだ」

「意外ね。先生も人を殺したことがあるのね……」

「死にものぐるいの撤退戦で人手が足りなかった。僕も銃を握って戦った。

 僕の放った銃弾で人の頭が抉れる瞬間を覚えてる。銃剣で心臓を突き刺した時の鈍い弾力も覚えてる……情けない話さ」


 いつものように原っぱでサンドイッチを食べながら、先生は私の体を抱き寄せてお話をしてくれた。

 今日のサンドイッチは酸っぱいサバが入ったサバサンド。異国の料理らしいけど、なかなか美味しいわ。

 

「人を殺すって、やっぱり悪いことなんだと思う。でも、戦いなんだから仕方がない。やらなきゃ、こっちがやられる」

「私もそう思います……誰かを殺すと、誰かの大切な人を失わせることになるんだと、私は思いました」

「そうだね。人を殺すと、色んなものを奪ってしまう、壊してしまう、消してしまう。

 一番ダメなのは、自分の良心を傷つけてしまうことなんだと思う……同じ人を殺すということは本能的にいけないことなんだ」

 

 最近の先生は私にとっても優しくて、お勉強が終わると、いつもこうやって抱きしめてくれるの。

 ぎゅーって、力強く。新愛を込めて私の体を包み込んで、ゆっくりとこすってくれたりして。優しかった頃のお父様みたい。

 多分だけど、先生も相当傷ついているのかもしれないわね。私に対して申し訳ないって思ってるのかな。


「リオンを思い返せば、私もやることをやってしまったんだと思います。

 普通なら、こうやって穏やかに過ごすことは神様がお許しになられないのかもしれません……けど、今とても幸せなんです。

 不思議ですね……きっと、この業が返ってくるのは分かっているのですが、私は今が好きなんです」

 

 嘘偽りのない気持ちだった。安心感って言ったほうが正しかったのかもしれない。

 真っ赤に染まった血みどろの地獄よりも、緑が萌える優しい木漏れ日の一日のほうが素敵だわ。

 私は魔王として人を殺すことに、破壊することに喜びを見いだせるけれど。

 綺麗な人生のほうが好き。選べられるのなら、そっちのほうがいいに決まっている。

 

「ここに戻った時、デジレがお風呂に入れてくれたんです。

『泥んこ遊びした犬ぐらい臭いから、洗ったげるよ』って……失礼ですよね。

 でも、1週間も服も着替えてなかったし、当然ですよ。

 わしゃわしゃーって体を洗ってもらってたら、なんだかすっごく悲しくなっちゃって。ちょっと泣きました」


 最初に戻ってきて、何も言わずに私の頭をなでたデジレ。そして、鼻を摘んで、私の体をゴシゴシと洗ってくれた。

 私が沢山人を殺してきたことをデジレや他の人は知らないらしい。けど、ろくでもないことをしでかしたのは察してる。

 そんな穢らわしい私でも、デジレはいつものように世話を焼いてくれて、すごく申し訳なかった。


「こんな私でも優しくしてくれるんだなって思うと、生きてることが奇跡みたいに思えたんです。

 優しさが心に染みて、大切にしたいのに私は“誰かの優しさ”を壊したんだって思うと、泣いちゃいました」

 

 お風呂場だったから、涙を流してもばれないと思ったわ。だから、ポロポロと涙が出ちゃって。

 デジレは何も言わなかったけど、普段よりも優しく時間を書けて体を洗ってくれたから。

 そのまま抱きついて泣きわめけば楽になれたのかもしれないけど、私はまだ人を殺してしまうかもと思うと出来なかった。

 

 この手はすでに血まみれで、人を殺すのは容易いのだと証明されたから。

 

「先生、私のことは一応、秘匿扱いなんですよね?」

「ああ、僕やボナパルト少佐、その側近くらいしかあの場では知らないんじゃないかな……後はフーシェ議員だな」

「フーシェ、あの人が私を見つけてきたんですよね」

「彼はこのフランクの、いやエウロパのスパイマスターだ。彼に聞けば、ありとあらゆることが分かる。

 偶然にも彼がミーシャを見つけて、そして今の状況にまで作り上げた……黒幕だ」

 

 ギョロりとした目に、金髪のオールバックヘア。冷徹で威圧感のある肩幅がしっかりした初老の男。

 この世のすべてを見透かすような、見下すような爬虫類のような人間だったと思う。

 けど、あのなんとも言えない妖気はなんだったんだろう。

 

「今回のことは革命軍の新型戦術魔導式という名目で処理されているからね……今はまだ、表に出なくてもいいんだ」

「魔王が復活したってバレたら、それこそエウロパ中から宣戦布告の大義名分が立つものね」

「最悪、対魔王連合を動かされたら、軍事力的には到底敵わなくなる。それぐらいの理性はあるみたいだよ」


 古代の世界では人間が魔王を倒すために、エウロパの民達が一致団結して連合を作った。それが対魔王連合。

 現在では魔王が人間界に攻めてくることはなく、形骸化した組織になっているけど。

 それでも、エウロパ中から人材が集められ、一種の国際連合として世界の平和を守っているのだわ。

 今は新大陸への開拓で連合が大きく関わっているけど、その矛先がいつ革命直後のフランクに向かってくるかはわからない。


「魔王を使役している時点で理性があるとは思わないけど……理性を謳っているから、冷静に綱渡りをする驕りがあるのかしら」

「それだけ、この国は追い込まれているのさ。兵隊の動員数は跳ね上がってるらしいけど、まだまだ足りないんだ」

「自分の国のなかでも戦争をして、更に諸外国とも戦争をして……平和っていつ訪れるのかしら?」

「僕にはわからんさ……でも、一つだけ言えることはあるよ」

「なにかしら?」


「人類史が続く限り、戦争は終わらない。僕たちが生きている間も……

 フランクの平和とはなにか、それは僕にも分からない。けど、平和が訪れるといいね」

 

 あまりにも曖昧な答えに私は一瞬キョトンとしてしまった。けど、笑っちゃった。

 

「ふふ、そうね。それが分かっていれば、きっと人間は戦争なんてしないもの」

「平等に誰かを尊重し、侵害しない世界がくるといい。そうすれば、ミーシャも」

「無理です。多分。でも、今この時が幸せな私には、些末なことですよ」

「その幸せが続くように、僕もこの生命を使って頑張るよ」


 数多の命を殺して、その代償として得られる自由と幸せ。

 それは、あまりにも背徳的で、独善的で、悪魔の、魔王の所業。

 

 私が死ねば、沢山の人が救われるでしょう。でも、私は死にたくない。

 善意を私は知っているし、それを大事にしたいと思うけど、私は生きる権利が欲しいだけ。

 

 幸せになれる権利を誰にも奪ってほしくないだけ……

 

 

 だから、私は魔王になる。今はただ、魔王として生きて、出来ることならば平和のために。

 願わくば、すべての人を救えるよう力を持つ、善良なる優しい魔王に、私はなりたい。

 

 

――――週末、少女は魔王になる。

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