宙を孕むもの
「ラブラドライトって、言うのよ」
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春の日のことだった。雑貨屋の多いレトロな街並みが有名なところへふらりと出かけたのだ。こんなに奥の方まで来たことはないとはいえ、知らない街というほどでもない。平日のお昼過ぎ。人の疎らな穏やかな街で、私はなぜか道に迷った。
別に急ぐ用事があるわけでもないし、方角さえ分かっていれば元いた場所には戻れる。気ままに角を曲がり、その先で一軒のお店に出会った。
openと書かれたふだが下がっていて、ドアは開いているがお店の看板らしいものはない。窓の外から覗き込んでみると、木枠にガラスをはめ込んだ小さなショウケースがいくつも見え、その上にはイヤリングやネックレスが並んでいるのが見える。
そっと入って見ると、店内の照明が少ないことにすぐに気がつく。代わりに、奥に大きな窓があって明かりをふんだんに取り込み、ウッドパネルの敷かれた小さな庭にこれまた小さなテーブルと椅子が二脚だけ置かれている。店の人は見当たらない。
ショウケースの中には、天然石が置かれているようだった。ケースごとに違う作家さんの作品なのか、雰囲気やモチーフがそれぞれ異なる。小さく繊細な石を散りばめた線の細い指輪が多いケースもあれば、今掘り返してきたような原石らしい形を活かしたものが多いケースもある。私が気になったのは、大きめの石をしっかりとしたシルバーで支えるようなデザインの多いケースだった。
深いブルー、淡い紫、白い卵みたいな色の石が並んでいて、どれもとろりと滑らかな形にカットされている。
石には全然詳しくないけれど、そんなに高くないのは石の種類の問題なのか、中に入っている不純物とかの多さゆえなのだろうか。でもデザインも相まって「不純物」という感じは全然しない。あるべくしてそこにあるという感じだ。中でも、端から4つ目に置かれていた指輪がとても気になった。
透け感のあるグレーが地の色だろうか。中に黒い斜線が何本も走っているのがわかる。不思議な大人っぽさがあるけれど、地味な印象がある。
そのときだった。
「ラブラドライトって、言うのよ」
知らない声が響いた。驚いて顔を上げる。カウンターの奥にあった階段から女の人が覗いていた。
「その、真ん中の黒い石でしょう?見ているの」
「あ、はい……」
まだ驚いているのか、うまく返答ができない。彼女は軋む階段をそろそろと降りて、私の隣に立った。細くて長いと言う印象だ。パツンと切りそろえられた前髪と切れ長の目が冷たそうな印象で、長い髪がサラサラと揺れている。白い指でショウケースの引き出しを引く。件の指輪を手に取ると、どうぞと差し出した。
「とても素敵な石よ。窓際で光にかざしてみて」
手の中にある大ぶりな指輪を陽にかざす。グレーの石が、私の手の中でキラリと夜明けのようなブルーに染まった。
「わっ?!」
角度を変えてみると色の具合も変わる。
「光にかざすと色が変わるの。そのデザインは指の色が透ける物だから、実際にはめて見るとまた違う色に見えると思うわ」
「えっ、すごい!素敵ですね」
「ありがとう。初めていらっしゃったわよね?いらっしゃいませ、ごゆっくりご覧ください」
静かに微笑んではらりと礼をする。薄暗い店内で僅かに光るような物腰だった。
「あの、これ下さい」
「あら、もう決まり?」
ゆっくりご覧くださいと言った矢先の言葉に彼女が笑う。決断が早いのね、と指輪を受け取る。
「最近あんまり買い物ができてなかったので……いいなと思うものに出会えたので、自分へのご褒美も兼ねて……」
「あら、いいわね。自己投資できる人は賢いわ」
「あはは……」
この春から就職活動で忙しく、久々に何もない日にどこかへ出かけようと思えた日だったのだ。何か買わなくちゃと思っていたわけではないが、欲しいものに出会えたなら、ちょっとお財布が厳しくても買ってしまおうとは思っていた。この値段なら、なんとか許容範囲のはずだ。
「買い物ができていなかったっていうのは、やっぱり春だから忙しかったのかしら」
「あ、就活をしてて……」
「あら、学生さん!なるほどなるほど……就活は、大変?」
「まぁ、そうですね……なかなか難航しているかな……とは思います」
「じゃあ、この石が気になったのはやっぱり巡り合わせかもしれないわね」
「どう言うことですか?」
「ラブラドライトって言うのは、光り方が独特だから宇宙から来た石とか、『月と太陽の石』とかいろんな呼ばれ方をするのだけど、直感や創造性を養うだとか、悪いものから守ったり自信を与えてくれる石って言うの」
「へぇーっ!たしかに、就活には良いお守りになるかも」
「持ち歩けるような巾着も入れておくわね」
「あっ、ありがとうございます」
カウンターに入った彼女がてきぱきと会計を済ませる。
「着けて行く?」
「えっ?」
「もしよければ。私はよく、買ったアクセサリーはすぐ着けたくなっちゃうのだけれど」
「あっ、じゃあ是非」
受け取ろうと伸ばした手をするりと冷たい手が捉えて、左手の中指に指輪がさらりと嵌った。
「うん、よく似合ってるわね」
離された手にばくばくと心臓が脈打つ。とても驚いた。呆気にとられて、嵌められた指輪を見つめる私に彼女が巾着と指輪のケース、作家さんの名刺を入れた小さな手提げ袋を差し出す。
「あ、あの、また来てもいいですか?」
「もちろん。見に来るだけでも大歓迎よ、いつも暇してるの」
悪戯っぽく笑う彼女にお礼を言ってお店を出る。彼女も後ろから着いて出てくる気配がしたので、もう一度振り返る。
「あっ」
「ありがとうございましたー!またね」
頭を下げて、駅の方へ歩き始める。手を振る彼女の髪は室内だと真っ黒だと思っていたのに、明るいところで見てみたら毛先に行くにつれてワインのような鮮やかなボルドーだった。清楚で繊細な印象が、モダンでしなやかなものに変わる。手元でグレーの石がキラリと宇宙を孕んだように揺れた。
短編 喪 @sou_9_
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