第12話「部長らしさ」

 七月に遅れて入部した浅井は、青法会せいほうかい——講義形式のゼミで、法学科目を教えたり、定期試験の過去問をストックして公開するなどしている法律サークル——と掛け持ちしながらも、週に二度ほどは囲碁部の部室に顔を出すと、今月の初めにメールを送ってきた。

 井俣に説明した時のように、なにぶん部員が少なく活気に乏しい部であるため、せっかく時間を作って来てくれても誰もいない場合も多かろうと話すと、それならば棋書を読んだり棋譜を並べたりなど、一人でできる勉強を行うので構わないとの返答があった。浅井とは前期に一度会っただけなのでどのような人柄かはわからないが、私のような見せかけの真面目さではなく、芯の通った真面目さを備えていそうだなとその返答から感じた。


 井俣に差し入れをしに訪れた週の金曜日、昼休みに部室に行くと、井俣が浅井の相手をしていた。

 浅井はせいぜい五級に届くかどうかという棋力だと思われるため、井俣相手では置碁でなければ勝負になるはずはないのだが、意外にも互先たがいせん(ハンディなしの手合い)で対局していた。

 井俣曰く、月末の団体戦に出場する可能性を見越して、今は石を置かずに実戦を積んだほうが良いと考えたらしい。関東リーグは一部から五部までオール互先の手合いなので、多少の実力差があったとしてもハンディなしで奮闘しなければならない。それに加えて、春の大会で出場してくれた上級生たちが今回も参加してくれる保証はなく、級位者の浅井もレギュラーメンバーとして加入する可能性は大いにある。井俣の配慮は理にかなっていた。


 終局後、井俣は私と打つ時のように、詳細に検討を行っていた。

 さすがに級位者相手ということで、私と行う時と比べればいくらかソフトな物言いではあるものの、自信たっぷりなところは変わらない。私から見て、彼のコメントは一つ一つが的を射ており一聴に値するが、浅井の表情からは、それらをどれほど咀嚼できているのかは読み取れなかった。彼女が夏休み中にどのくらい囲碁に触れていたかは知らないが、七月に私と対局した時と比べて、棋力の伸びは感じられなかった。


 井俣が三限の授業に出席するために退室すると、部室は私と浅井の二人だけとなった。

 本当は私も三限に授業を入れていたが、今ひとつ気乗りせず、自主休講して五限のフランス語だけ受けて――四限は元々空きコマだ――帰ろうと思っていた。また、それとは別に、このまま浅井を曖昧な表情のまま残して去るというのは、どうにも紳士的ではないような気がした。授業をサボって部室に残ることが紳士的かどうかという問題はさておき、どこか釈然としないものがあった。


「時間あるなら、一局打つかい?」

 まだ部室を出る様子がなかったので、私から提案してみた。

「はい、ぜひお願いします」

「団体戦に向けた練習ということで、この前と同じ先番で打ってみようか」

「わかりました」


 勝つためではなく浅井の練習を目的とした対局であるため、春の関東リーグで放った大高目おおたかもくのような奇抜な打ち方はせず、オーソドックスに星と小目こもくの布石で打った。序盤で浅井が定石外れの悪手を打ち——たぶん、定石を知らなかったのだろう——、そこから白のペースとなり、最後は前回同様に大差となった。


「序盤のほうだけ、やってみようか」

 打ちっぱなしでは対局した意味が薄く、多少でも振り返ってどこが問題だったのか、どのように打つべきだったのかなどをかえりみることが上達の近道だ。

 井俣のように、はっきり意見を述べる形での検討は私には難しいが、日本棋院の教室で学んだ内容を織り交ぜながら、しかし情報を詰め込みすぎないように検討を進める。実戦では出てこなかったが、先週の教室で勉強した最新の流行定石――級位者でも使いやすく、しかも相手が対応を知らなければ労せずして有利なワカレに持ち込める代物だ――をピックアップして解説すると浅井は興味深そうな表情を浮かべ、時折質問をはさんでくることもあった。


「色々やってるときりがないから、このくらいにしておこうか」

「はい、ありがとうございます。今の定石、また詳しく調べてみます」

「そうだね。使いやすいから、覚えておくと役に立つと思うよ」

 ゆったりした動作で白石を碁笥に戻しながら、私らしくない——と自分で思っている——爽やかな笑みを作る。

「中学の時に、棋院の大会で初段の認定状をもらったことがあるんですが、まるで甘かったんだなと実感しています」

「大学の囲碁部はどこもレベルが高いからね。気にすることはないよ」

 

 碁石を片付け終え、私は鞄から用意してきた棋書を二冊取り出した。

「良かったらこれ、使ってみて。序盤感覚を養うための問題集なんだけど、クイズ形式になっていて読みやすいし、かなり面白いから」

 橋本宇太郎はしもとうたろうらが著したその棋書は級位者時代から未だに愛読しており、私はこの二冊を反復して序盤力を鍛えた。


「七月に打った時、あと今回もだけど、序盤でだいぶ損してしまっている印象があったからね。最低でも三周ずつやりたいね。詰碁や棋譜並べも大事だけど、まずはこういう、手軽に遊び感覚でできそうな本からやっていくと楽しめると思うよ」

「わざわざありがとうございます。そこまで考えて持ってきて下さったんですね」


 これまでになく相好そうごうを崩す彼女を見て、私は私なりのやり方で部長らしくありたいと強く感じた。

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