第11話「らしくない "らしさ"」

 秋になっても、囲碁部の活動は変わらず緩慢なものであった。


 明確な活動日が定まっていないので、部室はほとんど休憩場所としての機能しか持たず、たまたまタイミングが合ってまともに囲碁の打てる部員同士がはち合わせすれば幸運と言えるほどだ。

 そんな状態でも他の部員からクレームが出ないのは、私より上の学年の部員たちはその緩慢さが当たり前だと感じていることと、後輩の二人も、それぞれ囲碁以外のことにも積極的に取り組み、忙しく日々を送っていたことが理由だろう。


 井俣は、母子家庭なのでそれほど家計に余裕がないらしく、週に五日ほどはアルバイトに勤しんでいる。しかし、囲碁のほうも団体戦や個人戦などの各種大会に向けて高いモチベーションで取り組んでいるため、授業のあいまの空き時間を利用して週に三回は部室に足を運んでいるとの話だった。

 食事の席などでは誰よりも賑やかに饒舌を披露し、また、局後の検討時には自信たっぷりの物言いをする井俣のことを、私は出会った当初から波長が合わないと感じていた。嫌いというわけではなく、そもそも嫌いになれるほど彼について知らないのでそのような感情は抱いていないと考えているが、無意識のうちに彼のことを避けがちになっていたかもしれないとふと思った。


 十月初めの火曜日。三限の医療福祉論の授業が講師の都合で三十分ほど早く終了し、次の精神科リハビリテーション学の授業まで中途半端に時間が余った。

 こうした微妙な時間、いつもならば九号館前の円形のベンチに腰かけ、イヤフォンで音楽でも聴いて時間を潰すのだが、私は囲碁部を覗いてみることにした。この時間は、確か井俣は空いていると言っていた。いったん北門を出て近くのエクセルシオールカフェに寄り、すぐに戻ってホフマンホールへと向かった。


 ボタンを押してもなかなかこないエレベーターは使わず、いつものように階段で地下二階に降りる。

 薄暗い廊下を進んでいくと、耳馴染みのある高い石音が響いてきた。井俣だ。誰もいない部室で、週刊碁を片手に最新の棋譜を研究している彼の姿を、扉越しにも容易に想像できる。軽くノックして入室した。


「あっ悦弥さん、お疲れ様です」

 予想どおり、井俣は一人で棋譜並べをしていた。違っていたのは、手に持っていたのが週刊碁ではなく月刊碁ワールドだったことだけだ。


「お疲れ様です。相変わらず、熱心だね」

「いえいえ、好きでやってるだけなんで。悦弥さんこの後空きなんですか? せっかくなので打ちましょうよ! 大会も近いですし」

 井俣が、いつもの高い声で尋ねてくる。

「いや、四限授業入ってるんだけど、早めに終わってちょっと時間余ったから、誰かいるかなと思って寄ってみたんだ。申し訳ない」

「あ、そうなんですか」

 意外そうな顔つきののち、井俣が半笑いを浮かべた。彼の半笑いは結構珍しい。


「囲碁部入ってからずっと、大会でも頑張ってくれているのに、部員少ないしなかなか時間も合わなくて、いつもこうして一人で棋譜並べばかりさせることになってしまって、申し訳ないなと思っていたんだよね」

 若干の偽善が含まれてはいたものの、しかし本心には違いなかった。

 井俣と気が合うかどうかはさておき、彼の日ごろの努力や囲碁に対する真摯な姿勢は本物で、それについては一定の敬意を抱いていた。同時に、彼の練習相手として部長の自分が物足りない存在であることに、いくばくかのもどかしさも感じていた。


「いえいえ、部員が少なくて活動が盛んでないことは最初に説明を受けていましたし、それを承知で入ったので。どうしたんですか?」

 いつも口数の少ない私が珍しく自発的に話し出したため、井俣は意表を突かれた様子だった。

「いや、なんていうのかな、うまいこと説明できないんだけど……、一応部長なので、部のみんなが楽しく活動できるようにサポートできればなと思って。特に新入生には」

 自分で言っていて決まりが悪くなりそうな綺麗事だなと、私は口に出しながらお決まりの半笑いを浮かべる。


「碁のことでは、井俣くんの役に立てることってそんなないだろうから、こんなことしか思いつかないけど、よかったら」

 そう言って、私は先ほどエクセルシオールカフェで購入してきた、レモンのパウンドケーキとチョコレイトベーグルのはいった袋をテーブルに置いた。

「えっ??」

 先ほど以上に、井俣の表情には驚きの色が歴々れきれきとしている。

「甘いの嫌いじゃなければ。たまに食べるけど、結構美味しいよ」

 男に差し入れされて喜べるものなのかどうかはわからなかったが、迷った時はとりあえず食べ物だろう。


「ご丁寧にありがとうございます! 甘いの好きなので、嬉しいです!」

 私の好意を無駄にしないために気を遣ったという可能性もあり得るものの、少なくとも不快ではなさそうな井俣の笑顔に、私はホッとした気持ちになった。

「でも、なんか悦弥さんらしいですよね。こんなふうにわざわざ差し入れ買ってきてくださるところが、なんていうか真面目ですよね」

「そうかな。よくわかんないけど」

「また今度、大会までに一度対局お願いします。悦弥さん、着実に強くなってると思うので楽しみです!」


 井俣とはこれまでに八局ほど打ったが、まだ一度も勝てたことはない。

 しかし、四月のころと比べると確実に碁の内容が良くなっており、かなり惜しいところまで善戦できた対局もあった。

 単純な勝敗だけでは測れないこちらの頑張りを彼も認めてくれている気がして、私は莞爾かんじとして微笑んだ。


「こちらこそ、ぜひよろしく」


 自分らしくない爽やかさを持続させながら退室し、廊下を歩きながら、今日の四限はサボってしまおうかという不真面目な発想が浮かんできた。



 

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