第85話「囲碁十訣」

「どうかした?」

 ソファーでテレビを観ていたところ、キッチンから母の声がした。

 今日は珍しく夜の仕事がなく、家で夕飯の準備をしている。

「別に、何でもないよ」

 私の身体は、数日前から不随意的な震えを起こしていた。手や足や頬が時折不自然に顫動せんどうし、発生してから自身で気付くまでには若干のタイムラグがある。この日は、遠目から見てもわかるほどに震えていたのだろう。


「学校でなんかあった?」

 普段、あれこれと詮索することのない母が、疑いと不安の混在した表情で再度尋ねる。

 すぐには返答できなかった。母に心配をかけたくないとか、あるいは続く反応や言葉に恐怖していたとか、そういう感情ではなかった。自身の手で何とかせねばならないなどという非生産的なこだわりを持っていたかというと、それも違う気がした。しかし、どういうわけか名状めいじょうしがたいような、自分でも管理しきれない幾多の感情が燻っていたのだろう。


「くだらないね、学校なんて」

 今日の馬鹿げた漢字テストのことを話す代わりに、そう言って私はトイレに逃げた。


 若すぎたのかもしれない。

 年齢ではない。考え方が、である。

 世の中には、いかに努力してもわかり合えない相手や話の通じない相手が、それこそ履いて捨てるほど存在する。そうした存在を前にして、徒手空拳としゅくうけんではどうにもならない状況や環境というものがあることを、当時の私は知らなかった。


 テストの点数を取るスキルはあっても、しかし自身の管窺かんきを自覚していなかった。どうにかしようという感情があったのかどうかも、今となっては定かではない。逃避は、敗北の象徴だと思っていたのかもしれない。真正面から対抗することだけが正義だと思っていたのかもしれない。

 

 囲碁十訣いごじっけつと呼ばれる格言を、当時は知らなかった。

 有段を自称できる程度の棋力に達してもしばらく詳細は知らずにいたが、日本棋院の囲碁教室で講師から聞くことが多く――大盤での解説中や指導碁の際にたびたび引用された――、自然と脳に浸透した。

 

「動須相応」(動かばすべからく相応ずべし)の発想があれば、事態はこれほど深刻化していなかったかもしれない。あるいは、客観的に見れば「勢孤取和」(勢い孤なれば和を取れ)や「彼強自保」(彼強ければ自ら保て)なども当てはまるだろうか。


 囲碁と同じく、相手の着手に応じた柔軟な対応が、生きていく上では不可欠だ。

 それが自身の信念や情熱を損なうことになるのであれば首肯しかねるが、人生という長い一局を乗り切り勝ちをものにするためには、直線的な方法だけでは限界がある。今では考えがたいほどに、私は正直すぎた。もしくは、愚直すぎた。


 トイレに逃げ込んでも、各所の震えは続いていた。

 一週間ほど前から時折このような症状が見られたが、今日ほどのしつこさはなかった。テレビなり何なり他事に意識を向けていれば次第におさまる程度のものであった。ここ数日は母の仕事が忙しく、あまり顔を合わせる機会がなかったので気付かれずに済んでいた。

 

 今日の一件で、私はかつてないほどに憤慨し、そして排斥された。

 いつものように、自らのとった行動に後悔はない。それでも、私の心身のキャパシティは、確かに大幅に減少した。そのことに対する恐怖かストレスか、震えという目に見える形で身体に影響を及ぼした。

 このままでは夕飯が喉を通りそうにないので、囲碁教室の柴咲コウ似の美人講師と、彼女のなまめかしい脚を思い出して無理矢理にそれを膨張させ、放出する。

 

 どうにか震えがおさまり、食欲も少しは出てきたところで、痕跡を拭き取ってトイレから出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る