第84話「破裂した心」

 先の三問を生徒たちが解き終えた頃、首藤が黒板にさらに別の問題を書き出した。


 14.高杉はスポーツ【ばんのう】な上、リーダーシップも取れるので頼りになる男だ。

 15.上村は、何かあった時はすぐに【ほうこく】に来てくれるので、みんなも見習うべきだ。

 16.有馬はいつもテストの出来が【ひじょう】に悪く、もっと努力が必要だ。


 もはや、わけが分からなかった。

 テストの問題文にクラス内の生徒の名前を挙げる必要が、いったいどこにあるというのか。それもただ固有名詞を出すだけではなく、彼らの長所や短所をクローズアップした上で、長所を強制し、短所を嘲笑するという没義道もぎどうの中の没義道のごとき行為が、なぜに気安くできるのだろう。


 いや、必要があるとかないとか、道理にかなうとかかなわないとか、論理的に考えてしまうことがピント外れなのだろう。

 理屈の通じない相手とどのようにして闘えば良かったのか、それは当時はもちろん、今となってもわからずにいる。理屈の通用しない人間は、理屈を主たる武器とする常識的な相手に対しては無敵を誇るのかもしれない。


 私の手は、もう動かなかった。


 いったん机に置いた鉛筆をもう一度手にしてはみたが、そこから文字を書くという動作には移れなかった。テストの点数など、もはやどうでも良かった。こんなテストで満点など欲しくはなかった。鉛筆を持つ指先が次第に汗ばんでいくのが不快だった。

 私の動作が止まっている間も教室には鉛筆を走らせる音が愚直なほどに響いていたが、クラスメイトが登場したことで、時折ざわつきを伴っていた。


 しばらくして、首藤が最終兵器を繰り出した。



 17.学芸会をぶち壊した池原には、みんなと並んで授業を受けることを【きんし】し、専用の場所を用意している。

 18.池原は、首藤先生に【はんぎゃく】する悪い奴だ。

 19.【げんだい】のヒーローはウルトラマンでも仮面ライダーでもなく、首藤真純先生だ!

 20.神様、【ほとけ】様、首藤様。



 とうとう私の名前がダイレクトに挙げられたが、そういう問題ではない。

 上村たちの馬鹿げた問題文が出た時点で私はテストを放棄していたが、首藤は最後の切り札により、私の心胆を寒からしめた。手に持っていた鉛筆が手からこぼれて床に落ちるが、誰も気に留めない。


 反逆する悪い奴、現代のヒーロー、神様、仏様。


 独自の宗教のつもりだろうか。

 あるいは、生徒たちを完全に洗脳し、跳梁跋扈ちょうりょうばっこの限りを尽くそうということか。


 傷や痣が増えるだけだとわかっていた。

 それでも、黙っていることはできなかった。

 両手をぐっと握りしめてこぶしを作り、机を力一杯叩きながら起立した。室内の様々な音や声は即座に停止する。


「いいかげんにしろよ」

 震える唇で、しかしはっきりと言った。


「何が現代のヒーローだよ。何が神様仏様だよ。ふざけんじゃねえ!!」

 これまでに見せたことがないほどの強い語勢で話したため、首藤もクラスメイトも意表を突かれた様子であった。

「あんたそれでも教師かよ。一人の生徒をいじめ抜くだけでは飽き足らず、生徒全員、自分の思い通りに操ろうってのか? とんだ聖職者だな。お前なんか神様どころか、人間ですらない悪魔だ!!」

 これまで溜め込んでいた感情が空気を入れすぎた風船のように膨張し、とうとう破裂した。もう限界だったのだ。


 数秒の沈黙の後、首藤は顔をしかめて私のところへ歩み寄った。


「貴様、なんだその口の聞き方は」

 鬼のような形相で、私を見下ろしながら言う。

「どうせまた暴力に出るんだろ? やってみろよ。頭悪いからそれしかできないもんな」

 理屈が通じようが通じまいが関係なかった。自分は自分の正義のもと、真正面から闘うしかないと思った。


「出ていけ」

 私の挑発に乗らず、首藤は低いトーンで答えた。

「お前のような、自分勝手でクラスを乱すことしかできないゴキブリに用はない。今すぐこの教室から出ていけ!!」

 醜悪な面を歪ませ、いっそう醜い顔をして怒鳴る。

「そうだ! 出てけ!」

 有馬が、一番に立ち上がって追随する。

「出てけゴキブリ! 邪魔なんだよ!」

 高杉も負けじと加担し、教室内は出てけ出てけの大合唱が展開された。


「馬鹿しかいないのかここは」

 独り言のように吐き捨て、ランドセルにさっさと荷物を詰めて背負う。

「こんなもんいらねえよ!」

 机の上の答案を両手でぐしゃぐしゃに丸め、首藤に投げつけて退室した。

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