第70話「フレックスタイム的登校」
保護者鑑賞日である二日目は初日と異なり、終日拘束されることがない。
私の学校では、保護者鑑賞日については自分たちの出番に間に合うように登校すればよく、そして出番が終わればすぐに帰宅することができるシステムだった。後片付けは、自身のクラスでできることはその日のうちに行い、折り畳み椅子をしまうなど、全て終わってからでなければできないことは後日に持ち越された。
今年はトリなので、劇のスタートは午後三時半。十分前には舞台袖に待機していなければならないため、リミットは午後三時二十分ということになる。
クラスの連中の多くは、そうはいっても早めに集合し、芝居の最終確認をしたり他愛のない談笑に興じたりする人が多いのだろう。そういう行為は私に言わせれば、始業前の給料が発生しないタイミングで業務の準備をしたり、もしくは業務を一部始めるようなことに等しい。実際にその物事に多大な興味関心があり積極的な感情のもとに起こしている行動だとすればそれなりに立派であるが、他に打ち込めることやのめり込める熱いものがなかったり、あるいは他に自身の価値や存在感を主張できるものがないために、いわば代償行為として懸命なふりをしている――上村や有馬などはこのパターンの典型例だろう――とすれば憐れなものだ。
そういう歪曲した思考だけでなく、もとより備えている、拘束された環境に長時間滞在したくないという体質的な問題もあり、私にとって保護者鑑賞日のフレックスタイム的登校はありがたいものだった。
正午までたっぷり眠り、起きて身支度を整える。食卓には、今日は何も置かれていなかった。
日曜のこの時間なら母はたいてい家にいるが、夜からの勤務に備えて眠っていることが多い。眠る前に母が適当なものを用意してくれることもあるが、その余裕がなかった場合は、自身で冷蔵庫内やその周辺を物色して食べられるものを探すことになっている。この日、母は珍しく朝早くから外出しており――大学時代の友人と数年ぶりに会うのだそうだ――、やはり自身でなんとかしなければならなかった。
冷蔵庫の中に発見したたおにぎりは消費期限が二時間ほど過ぎていたので遠慮し、日清のカップラーメンにお湯を入れる。待ち時間にリヴィングのカーテンを開け、昼の日差しを招き入れる。昨日の午後の勢いを受け継ぎ、今日もまぶしいほどに快晴だ。こんな日はつまらない芝居などやるのではなく、どこか緑の多い場所にでも出かけて現実と距離を置きたい。
カップラーメンをさっさと食べ終え、ランドセルを背負い、自身で鍵を閉めて家を出る。父は私が起きた時にはまだ自室にいたようだが、いつの間にか出かけたらしい。
父は私に似て愛想に乏しく、人付き合いが不器用な単独行動主義者で、いつもいつの間にか出かけている。帰ってきてもただいまのひと言もなく、すぐに自室にこもってしまうので、リヴィングにいるとまったく気付かないことも少なくない。
外出前に息子にひと声かけるぐらいのことはしてもよさそうなものだが、それすら億劫がりさっさと出かけてしまう父の風変わりな性格が、私は案外嫌いではなかった。
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