第64話「紀伊國屋書店」
紀伊國屋書店は、圧倒的なアクセスのよさと品揃えの豊富さゆえに、本屋の中では最も利用する機会が多い。
大学内には丸善があるものの、置いてあるのはつまらない専門書が大半で、時間潰しとしても今ひとつだ。それに、たいして親しくもない顔見知り程度の学生――同じ学科の人はほとんどこれに該当する――にばったり出くわすこともあり、あまり落ち着かない。私は、だから授業で指定されたテキストや専門書については、いつも新宿まで足を運び紀伊國屋書店で購入している。
紀伊國屋書店は、いつ訪れても心が弾む。店の前に大々的に陳列されている話題の新書は、素通りしようにも半強制的に視界に入り、そうするとそのつもりがなかったとしてもつい足を止めて内容を確認してしまう。
まだ時間に余裕があるので、待ち合わせの十八時まで店内で過ごすことにした。
エレベーターが開くと、「上へまいります」と、小柄なエレベーターガールが玉を転がすような声でアナウンスした。
率直に言って、別にいなくてもさしたる問題はないであろう案内ガールというポジションにあって、いったいどれほどの給料を得ているのだろうか、おそらくは小遣い稼ぎ程度にしかならないのではなかろうかと、実に不毛で陰険な思考をめぐらせてしまう自分の性格の悪さにほとほと愛想が尽きてくるが、そんな案内ガールがいるおかげで彼女たちに会うたびに私の心はいくらか安らいでいることを踏まえると、これはまったくもって
くだらないことを考えているうちに六階に到着し、案内ガールに
趣味・実用書コーナーのこの階には、とにかくたくさんの囲碁の本がある。今日みたいに少しばかり暇を潰したい時や、買うかどうか気持ちは定まっていないがとりあえず物色したい時――日本棋院の売店だと、スタッフの視線を右横に感じざるを得ない位置に本棚があるので落ち着かない――など様々なシチュエーション下で利用可能な、私にとってはこれ以上ない環境だ。
紀伊國屋書店に限ったことではないが、自分が興味を抱いている分野の書物が何十冊と目の前に映り込むということ自体が快感であったし、読む側と読まれる側、あるいは買う側と買われる側という目的の一致に少しばかりの安堵を覚える。
小学生の頃から、一人でとりあえずどこかに行くという場合は本屋が多かった。
今みたいに、このジャンルという明確な目的がなくとも、一歩足を踏み入れれば自身の知的好奇心がじわじわと沸き出てくる本屋という空間が私は好きだった。小学生の時は、まだ言葉をそれほど知らなかったり難しい漢字が読めなかったりもしたが、それはそれで想像を働かせながら様々な書物を手に取りページをめくることで、その時だけ本と気持ちを通わせられているような気がした。
周囲に興味の持てる人や信じられる人がいなかった私は、そうやって何かとつながりを持とうとして生きてきた。
詰碁集やら定石書やらを手に取り意識を傾注していると、不意に背中をポンと叩かれた。
「収穫あった?」
光蟲が、いつもの半笑いを浮かべて立っている。
「どうだろ。よくここにいるってわかったね」
腕時計を見ると、十八時を少し過ぎていた。本当に、本と向き合っていると時間の経過を感知するのは困難だ。
「とりあえず囲碁かなと。行きますか」
下りのエレベーターが来そうになかったので、階段で地道に地上へと戻った。
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