第63話「昼休み」

「びっくりしたぁ。どうしたの?」

 イヤフォンを外し、驚きと喜びをあわせた笑みを浮かべた。

「いやぁ、暇だったからさ、もしかしたらいるかなと思ってね」

 光蟲も、いつもの半笑いで答える。私と同じく、いくらかの喜びを付帯させたような表情だった。


「今まで一度も来たことないのに珍しいね」

「囲碁部ってどんな感じなのか見てみたかったんだよね。それに、この前浅井さんにも会ったから、一応悦弥くん以外の知り合いもいるし」

 メールもよこさずにいきなり来るあたりが光蟲らしく、また彼に似合いの行動だなと思う。


「今日は誰もいないけど、昼休みは浅井さんか別の一年生がちょくちょく来て打ってるよ。相手いない時は、本見て碁盤に並べたりね」

 テーブルの隅に置かれていた数年前の碁ワールドを手に取り、パラパラとめくって見せる。

「へぇー、熱心ですなあ。ところで、ちょっと飯食っていい?」

 ここに来る前に学内のセブンイレブンに寄ってきたらしく、弁当やら何やらが入った袋を持っている。

「どうぞどうぞ。たぶん今日は誰も来ないから、ゆっくりしてって」

 向かいの席に腰かけ、幕の内弁当とサンドイッチとコーラゼロを袋から取り出し、昼食を開始した。


「弁当だけじゃ足らんのね」

 いつもながら、光蟲の食欲には感心する。

「足りないこともないけど、なんか無駄に食っちゃうんだよね。それに、弁当だけってのも貧乏サラリーマンみたいでわびしいじゃん」

「ははは」

 相変わらずよく分からないことを言っているなと思いつつ、そういう調子っぱずれな答えを期待して訊いた自分にナイスと、胸中で呟いた。



「今日はまだ授業あるんだっけ?」

 弁当をさっさと平らげた光蟲が、サンドイッチの包みを開けながら尋ねる。

「四限だけだね。社会福祉行財政論っていう堅苦しい科目なんだけど、必修だから仕方なく」

 半笑いで答え、残りのおにぎりを口に含む。

「俺のほうは三、四限、ラテン語の読解の授業なんだけど、どっちも休講になったわ」

「おぉ、ラッキーじゃん」

 この大学では、授業やその他諸々の情報は学内の掲示板ではなく、携帯からアクセス可能な専用サイトにて確認することになっている。何気なく開いてみて、休講の知らせを目にしたときの嬉しさは格別だ。


「四限終わって、時間あったら飲みますか」

 授業の有無を尋ねられた時点で、たぶんそう来るだろうなと予想していた。

「オッケー。新宿?」

「うん、紀伊國屋書店前で。もしかしたら、どっかフロアにいるかもしれないけど」

 新宿の紀伊國屋書店は、これから私たちの定番の待ち合わせスポットとなる。

「じゃ、授業終わったらメールするよ」

 月曜日は授業後に茶道部の稽古がある日だが、光蟲との飲みのほうが優先度が高いのでサボることにした。

「ほーい。じゃあ、フィルムセンターで映画でも観てくるかな。また夕方に」

「うん、ありがとね」


 光蟲が出て行くと、狭い室内に再び静寂が舞い戻った。

 おにぎりや幕の内弁当の余韻を鼻に感じながら再びイヤフォンを付け、色褪せた碁ワールドを手に取り棋譜並べを始めた。

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