第58話「やり場のない失望感」

 二学期に入ってからの大きなイベントとして、学芸会があった。

 毎年、十月の後半から一ヶ月と少し練習を行い、本番は十一月下旬に二日間開催される。

 

 運動会といい学芸会といい、なぜに小学校というのはこうも皆で、しかも強制参加で一斉にやらねばならない行事が多いのかと、私は低学年の頃から辟易していた。学校では、何はさておき国算理社を中心としたお勉強が最優先で他は二の次三の次だろうという主張は、教育熱心だった両親の影響はあるものの、実際に勉強をしていく中で確かな真実だろうと実感していた。

 

 そういうことを口にすると、学校は塾のように勉強だけをやる場所ではないだとか、集団で生活するためのスキルを養う場所だとか、大勢の人たちとのコミュニケイションを育み社交性を身に付ける場所だとか、似たりよったりながらもバリエーションに富んだ反駁はんばくがなされることだろう。

 特に勉強が不得手だったり、運動やコミュニケイションなど勉強以外のものに大きな価値を見出だしている人にありがちな主張だ。確かに他にも大事なことはたくさんあるが、これから七十年八十年と生きていくにあたって小学校で習う程度の知識もままならないようでは、日常生活を送る上でいろいろと不都合が生じるということに気付かないものかと呆れてしまう。


 五年生の出し物は、それまでの数年ほどは劇団四季の作品――だいたい、『夢から醒めた夢』・『魔法を捨てたマジョリン』・『人間になりたがった猫』のいずれかだった――が大半だったが、その年は趣向を変えて日本の作品を演じてみようということになった。私のクラスは、生徒の意見および首藤の提案により六つほどの作品が候補に挙がり、多数決により太宰治の『走れメロス』に決定した。

 私ほどではないもののまんべんなく成績が良く、読書好きな女子生徒が提案した。有名な話なのでなんとなくは知ってはいたが、しっかりと読んだことはなかったので興味深く、出し物としては悪くない気がした。少なくとも、洋モノを下手くそなミュージカル気取りでわざとらしく演じるよりはいくらかましだと思った。


 私の所属する五年二組の生徒数は三十人で、配役は次のようになった。


 メロス:二人(公演中、前半と後半で生徒が入れ替わる)

 セリヌンティウス:二人(同上)

 ディオニス王:二人(同上)

 メロスの妹:一人

 妹の結婚相手:一人

 王の部下(山賊):八人(このうち三人は、並行して山賊役も担当)

 民衆:七人

 大道具係:三人

 照明係:一人

 音響係:一人

 ナレーター:二人


 一つの役を途中でキャスト替えするなど正式な演劇ではまずあり得ない話だが、より多くの生徒に活躍の場をもうけるとか、主役やそれに準ずる役を一人だけに任せるのは荷が重いとか、そういった配慮があるのだろう。


 役決めは立候補もしくは推薦で、立候補者が多い場合はくじ引きで決定した。

 私は、あまり周囲の生徒や首藤と顔を合わせなくて済みそうな裏方係を希望したが、なんとなく楽そうだとか覚えることが少なそうといった理由で希望する生徒が多く、大道具係・照明係・音響係・ナレーターのいずれもくじ引きとなった。しかし運悪くすべて外れてしまい、やむなく王の部下役に落ち着いた。

 部下役は人数が多く、一人ひとりの出番はそれほどないものの、私は上村・有馬とともに、物語の終盤に登場する山賊役も並行することとなった。


 練習は基本的に体育の時間に行われたが、残り二週間ほどになると音楽や家庭科など、体育以外の授業時間に行われることもあった。また、時には国語や理科などの重要な授業時間を一部削って練習させられることもあった。

 私の役は部下にしても山賊にしてもまとまって動くことがほとんどで、セリフも少なめなのでそれほど難しいポジションではないが、タイミングを見計らって立ったりしゃがんだり、あるいは舞台から外れたり入ったりするのは、それだけでもなかなか疲れを伴うものだった。


 私は、やはり首藤に目を付けられた。

 部下役の生徒がそろって舞台入りするとき、他の生徒たちよりも僅かに歩みが遅れただけで叱責された。あるいは、少しばかりセリフに詰まったとか、ひどいときにはセリフが棒読みで気持ちがこもっていないとか、首藤は何かといちゃもんをつけては怒声を飛ばしてきたのである。

 

 私がそうして怒鳴られると、周囲は一気に静まり返った。その沈黙からは同情でもなければ怒りでもなく、言うなれば倦厭けんえんに似た空気が発せられた。何度教わっても計算式を覚えられず、テストで同じ間違いをする出来の悪い子どもを見る時のような、またかと言わんばかりのうんざりしたような感情さえ伝わってきた。

 その時の空気は鋭利なほど冷やかで、それを感じるたびに、私は失望する。

 歯医者で歯石をがりがりと削り取られながら、口内に溜まった血混じりの唾液をこらえ切れずにいくらか飲み込んでしまった時のような、やり場のない失望感。

 

 冷やかな視線を向ける相手を間違えているクラスメイトたちを憐れだと思った。



 

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