第57話「不埒な依頼」

 有馬に対する首藤の振る舞いの中で最も唾棄だきすべきものであったのは、かの“ビデオデッキ事件”だろう。

 

 十月半ばの社会の授業でのことだ。

 安土桃山時代の歴史について授業をしていた際、首藤はその時代に関連した面白い映像――NHKで本能寺の変に関する興味深い特集番組を偶然見つけ、録画したとのことだ――を用意してきたと得意げに語っていた。

 後で観ると、確かにそれは興味をそそられる内容で、本能寺の変そのものだけでなくその前後の出来事も含めて簡明な解説がなされており、小学五年生が観ても流れを追いながら理解できるものであった。わざわざプライヴェートの時間で授業の題材収集を行った努力も含め、首藤にしてはましな仕事ぶりだった。

 

 しかし、事はそう円滑には進まない。

 いざ映像を観ようとした時、教室のビデオデッキが故障していることに気付いたのである。原因は不明だが、テープを入れて本体やリモコンを操作してもいっさい動かないのだ。生徒たちはややがっかりした様子だったが、その時、首藤の口から思いもよらぬ発言が飛び出した。


「有馬ぁ、お前確かこの前、新しいテレビとビデオデッキ買ったって言ってたよなぁ?」

 首藤が、意地の悪そうな笑みを浮かべながら尋ねる。


「あ、えっ、そうですけどぉ…」

 有馬は、予想外の問いかけにへどもどしながら答える。

 

 確かに、彼は一ヶ月ほど前の社会の授業時にそう話していた。

 第二次世界大戦後から現代に至るまでの、家電や電子機器の発達に関するテーマで授業が行われていた際、最近購入した家電や電子機器はあるかという質問が首藤から全体になされた。その時、有馬は一番に挙手し、パナソニックのテレビとビデオデッキを買ったことを嬉々として話していた。どちらも最新型なので結構な数の偉人が必要なはずだが、彼の家は裕福だったので――今思えば、それだけが有馬の強みだったのかもしれない――、そうした奢侈品しゃしひんに金を費やすことが多かったようだ。


「じゃあ、自慢の新しいビデオデッキ、ちょっと取って来てくれるか?」

 首藤が、先ほどの笑みを継続させながら問いかける。

「えっ、今……?」

「そうだよ。教室のデッキ壊れてるの見ただろ」


 有馬が困惑するのも無理はない。いったいどこの世界に、生徒に授業を抜け出して、家にそんなものを取りに戻れと依頼する教師がいようか。だいたい、学校から有馬の家まで、子どもの足で片道約三十分。しかも復路は荷物があるので、さらに時間を要するだろう。


「授業は……?」

「今から行けば、給食の時間には戻れるだろ。二時間目と三時間目の授業は出席扱いにしといてやるから安心しろ」

「よかったな。どうせお前、授業受けたって分かんないんだから、仕事もらえてラッキーじゃん」

 学力は中の下程度だが、運動全般が得意でリーダーシップがあり首藤から気に入られている高杉祥たかすぎしょうが、いかにも侮言ぶげんするように奨励した。

「そうそう。行ったほうがいいよ」

 予想通り、上村もすかさず便乗する。

「じゃあ……行きます」

 授業を抜けることを不安そうにしながらも、自分が周囲の役に立っている――と言うよりはからかわれていると言ったほうが正確だが――ことに多少の満足感を見出だした様子で有馬は席を立ち、足早に教室を後にした。

 

 結局、有馬が戻ってきたのは昼休み終了間際だった。

 給食の時間に間に合わなかったが、さすがに配慮して彼の分を残して置いていたため、四時間目の授業を受けながら食事をとっていた。例のビデオは、五時間目の国語の授業をつぶして上映された。

 

 有馬は冷めた給食を食べながら、自身の仕事ぶりに満足した様子でテレビ画面に視線を投じていた。

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