霜降

第56話「社会の縮図」

 私のようにダイレクトに切った張ったされる生徒は他にいなかったが、軽んじられたり、言葉による暴力を喰らっている生徒は他にもいた。

 

 ある程度まともな教師であってもその傾向が強いように、首藤もまた、勉強も運動も苦手とする生徒に対してはぞんざいな扱いをすることが多くあった。

 私のように勉強ができても嫌われ、逆にできなくても舐められるのだからいったいどうすればいいのかと首をひねってしまうが、例えば上村のように当たり障りなく適度にこなして態度よくしているほうが、何かと都合がいいのかもしれない。私は、でもそういう無個性な人間にだけはなりたくないと思っていた。


 有馬吉幸ありまよしゆきは学力的にも運動能力的にも劣り、他にこれといった強みもなく、特に首藤から馬鹿にされることの多い生徒だった。

 外見的にも背が低く小太りで、髪は無造作に寝癖がはねたままのことが多く、なおのこと軽んじられやすいタイプであった。

 見た目のことを言えば、私も決して美男子とか爽やかイケメンとかの類ではないが、他人にあからさまに不快感を与えるような醜悪さはなかったはずだ。細身で贅肉が少なく、有馬や首藤のようなだらしない体型でもない。つまり、外見的にはどこにでもいそうな男子で、少なくともそれが致命的なウィークポイントになるということはなかった。

 

 勉強が不得意な生徒は他にも多くいたものの、有馬のできなさ加減は彼らの比ではなかった。

 テストはどの教科も歯が立たないようで、空欄だらけのまま提出するか、もしくは最大限の努力をしても、百点満点中十点台か二十点台ほどしか取れていなかった。義務教育なのでたとえテストがどれだけ悪かろうと進級はできるが、おそらくは低学年で習う内容――九九を完璧に覚えているかも怪しいところだろう――すらまともに習得できていないため、小学五年生の学習内容についていけないのも当然だった。


 テストの返却は点数順などではなくアットランダムだったが――たいていは回収した時のままの順番だろう――、有馬はいつも首藤から面白可笑しくからかわれていた。


「有馬ぁ、まぁたお前だけ一桁だぞ~」

「お前は何回ドベになったら気が済むんだぁ?」

 そんなふうに嘲笑し、周囲に結果を知らしめることもあった。


 他にも授業中、まず解けないであろうことを承知の上で有馬を指名し、黒板に答えを書くように誘導することもあった。

 ここまでは指導の一環として許容できるとしても、案の定有馬が頓珍漢とんちんかんなことを書くと、「おいおい、頭大丈夫かぁ?」とか、「保育園からやり直したらどうだぁ?」などと嗤笑ししょうし、他の生徒たちと一緒になって面白がるのは言語道断たるものだ。

 有馬本人は、しかしあまり気にしていないのかただのマゾヒストなのか、あるいは我慢して堪えているのか――そうは見えなかったが――わからないが、いつもへらへらと半笑いを浮かべていた。光蟲の半笑いとは異なり、有馬のそれにはなんら希望も愉快さもユーモアも備えていないように見えた。


 首藤や他の生徒たちがどんなに有馬を嘲謔ちょうぎゃくしても、私はくすりともしない。単に、自分と明らかに程度の異なる人間に関心がなかったということもあるが、彼のような弱者を集団であざけりネタとすることに、何の違和感も覚えないクラス全体の雰囲気が気持ち悪いと思った。


 別に、有馬に同情していたわけではない。

 とはいえ、これが仮に現代社会の縮図だとすれば、私はその中で器用に生きていくことに向いていないのではないかと感じた。むろん、それは縮図と言えども全体のうちのごく限られた範囲においてであったことは今ではわかるが、知識も経験も乏しい当時の幼い私にそれを正しく理解する術はなかった。

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