第32話「野心めいた感情」
元々、茶道部に入るつもりではなかった。
最初は囲碁部にのみ入部したが、春の団体戦が終わった頃、当時部長だった金村さんに兼部を強く推奨された。上智の囲碁部は少人数で活動も不定期であり、年二回の団体戦――と数回の個人戦――を除けばこれというイベントもなく、物足りなく思う可能性が高いという理由だった。
実際、他の部員もほとんどが別の部やサークルと掛け持ちしていた。例えば金村さんは英語研究会、白眉さんは水泳部、今年度の団体戦で主将を務めた永峰さんは青法会にそれぞれ所属しており、それらと均衡をとりながら活動していた。
今年度の新入部員でいえば、浅井は囲碁部よりも先に青法会に所属しており、現在も活動を両立している。一方、井俣は授業のない時間はアルバイトに勤しんでいることが多かった。初めて部室に来た際、私は部長として兼部を推奨したが、そのつもりはなく囲碁部に専念するとの返答があった。
私は、井俣のようにアルバイトをしているわけでもなく、単純に面倒なので囲碁部だけでもよいと考えたが、大学に入学してから人間関係に幅を持たせたいという願望もないわけではなかったため、兼部を考えた。
文化系の部活やサークルの一覧を眺めた時、目に入ったのが茶道部だった。茶道に関しては、母方の祖母が現役で先生をやっている関係で馴染みがあった。ちなみに流派は裏千家で、上智大学の茶道部も同じであったため、その点でも都合が良かった。
今思えば、あんな女だらけの大規模な部に途中から入る覚悟がよくあったものだと、我ながら感心せずにはいられない。茶道部の女子学生たちとあわよくば良好な関係を築こうなどという難易度の高いことを、集団行動をまともにできない人間が多少とも企てていたのには呆れるばかりである。
しかし、自由の刑に処せられている――フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言で、前に光蟲が口にしていた――環境下で人間らしい生活を送るためには、そうした野心めいた感情が少なからず必要だろうとも感じる。
大学に入っても、周囲への関心の乏しさや人付き合いの稚拙さは相変わらずであったが、去年のソフィア祭においては、それなりに無難にこなせていた。他の部員が比較的寛容だったこともあり、準備期間も何かと仕事を振ってくれたり、また私のほうも自発的に役割を探すなどの行動をとっていた。
今年は新入部員が増え、先輩の立場になったことによる緊張や居心地の悪さは付随していたものの、それなりの対応をとりつつ凌ぎ切った。たとえお飾りだとしても、囲碁部の部長として新入生や先輩と関わりを持ったり、また各種対応をこなした経験が少しは活かされていると実感し、準備を終えた時はさりげなく悦に入った。
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