小雪

第31話「苦い記憶」

 文化祭が近づくと、嫌な記憶がよみがえる。

 ほんの数年前の話だが、普段は遠い昔のことであるかのように、意識の外へ投げやっている。



 東京電機大学高等学校の偏差値は六十ほどで、進学校とまではいかないにせよ、それなりのレベルの学校だろう。

 しかし、中学時代の私の成績からすれば、そのレベルの高校は妥協と言えた。当時のクラスメイトや担任から、もっと上――偏差値六十台後半から七十程度――を目指してはどうかと言われたものの、内申点の高さを活かしてさっさと面倒な受験を終わらせたかったのである。

 また、それだけではなく、私なりの考えもあっての選択だった。大事なのは大学受験であり、仮にそれも推薦を考えるとなれば、定期テストなどで楽にポイントを稼げる程度の格下の高校のほうが都合が良かったのである。いくら上位の高校に入ったところで、その中で落ちこぼれて大学受験に失敗しては意味がない。中学時代の同級生で、まさにそういう惨事に直面した人が何名かいた。それを知人から聞かされた時、いたずらに無益な努力をしたものだと思いながら、私は内心で人の悪い笑みを浮かべた。


 そういった理由から、私は推薦入試で合格を決めた。出願条件さえ満たしていればほぼ確実に合格する類の試験だった。極端に程度の低いところでなければどこでも良かったが、出願条件に合致し、かつ家から歩いて通えるのが東京電機大学高等学校だったのである。


 一年次は、偶然か意図的か不明だが、男子のみのクラスに充てられた。共学ではあるものの、理系中心の高校で男子の比率が高く、学年全体のうち二つが男子クラスだった。女子がいないので必要以上に周囲に気を遣うこともなく、当時は比較的過ごしやすい日々を送っていた。


 楽勝で入学した高校なので当然と言えば当然だが、最初の中間試験からすでに抜群の成績を叩き出し、周囲から一目置かれる存在となった。

 それなりに親しいクラスメイトも何人かおり、修学旅行やら課外授業やら文化祭の準備やら、私の苦手な集団行動の際も、誰かしら味方と呼びうる――あのころは別に敵がいたわけではないが――生徒が存在した。中でも、酒巻浩司さかまきこうじには格別の謝意を表したい。


 彼とは、文化祭の準備期間に距離が縮まった。それまでほぼ会話すらしたことがなかったにも関わらず、期間中に度々気さくに接してこられたのは意外に感じたものだった。

 むろん、私のほうからアクションを起こすことなどはなかった。何が彼にそうさせたのか、能動性に乏しい私と関わりを持とうと思ったのはなぜなのか、今となっては興味深い。酒巻とは二年に進級してからクラスが別になったものの、学内では時々顔を合わせていた。


 進級の際に理系か文系かの選択を迫られたが、暗記が好きで仕方なかった私は迷うことはなかった。文系クラスは全十一組のうち一つしかなく、圧倒的なマイノリティだ。男女混成となったこともあり、教室は一年次とはずいぶんと異なる空気を纏っていた。

 どう違うかというと説明が難しいが、能動性に欠ける人間は全体から取り残されてしまう傾向が数段強い雰囲気とでも言おうか。勉強における突出した成績は変わらずであったのでやはり敬意を表されることは少なくなかったが、私は孤独だった。

 

 特別に尖っていたり、もしくは態度が悪いという生徒ではなかったと、少なくとも自分では思っている。

 単に、無関心だったのだ。周囲の人間や、日々を構成する多様な物事に。外からの働きかけに適度に応じつつ、自身の興味の範疇で生を満喫すれば良いと思っていた。

 文系クラスの二年間、やはりほどほどに言葉をかわすような同性はいるにはいたが、表面上のやり取りに過ぎなかった。クラス全体が醸し出す居心地の悪さ――そう感じているのは少数かもしれないが――を払拭するほどの効果は見出だせずにいた。


 決定的だったのは、三年次の文化祭の準備期間だ。

 二年次のそれも決して愉快なものではなかったが、新たな顔ぶれとなって初ということもあり、周囲も何かと気を遣い合っている様子があった。それにより、本番もどうにか乗り切ることができた。


 翌年、しかし私は打ちのめされた。集団にまるで浸透できない自分自身を、身をもって再認することになったのである。

 全くもって努力を怠っていたわけではなかった。なんとか戦局を打開しようと、自発的に言葉や動きを表出したこともあった。その度合いが他者から見れば努力と言いがたいものであったとしても、私にとっては大きな意味をもつアクションだった。

 

 畢竟ひっきょう、そうした試みは実を結ばず、周囲が和気あいあいと作業を進める中、私は日を追うごとに居場所を失った。


 万策尽き、教室の隅で膝を抱えて俯いていても、気に留める人間はいなかった。次第に教室を抜け出し、食堂で受験勉強をする日が多くなった。十一月末の公募推薦入試を予定していたので、そのための準備をするのにちょうど良かった。

 その間、時々食堂まで顔を見せに来てくれたのが酒巻だった。程よい明るさと人当たりの柔らかさを有し、どういうわけかクラスが変わっても私への興味関心を持続させていた彼は、しばしば自分のクラスの準備を抜け出しては私と他愛ない会話をするために訪れたのである。

 

 そこに同情や憐れみの念が含まれていたとしても、私は彼を救世主のごとく感じていた。さすがに、直前になると酒巻も余裕がなくなり、あまり顔を出せなくなった。そうなると食堂で時間を潰すのも馬鹿らしく、早退・欠席により明確に戦線離脱するようになった。むろん、当日は二日間とも欠席した。


 無断欠席や早退を重ねていたにも関わらず担任教師からは何のお咎めもなく済んだのは、ひとえにテストの点数だけは優秀であり続けたからに他ならないだろう。

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