立冬

第27話「稽古」

 秋の団体戦が閉幕すると、囲碁部としての活動はほぼ終わったと言ってよい。

 

 大学生の大会は、翌年五月に開催される春の団体戦までない。数種類ある個人戦も、五月から七月の間にすでに終わっていた。

 規模の大きい囲碁部なら、他大学と積極的に交流戦を行ったりするのだろうが、白眉さんが抜けた今では、そうした関わりも減ってきている。部長として、そうした対外政策にも意欲的に取り組むべきだとは思うものの、私の性格からしてそれは難しいことだった。


 しかし、何も手を打っていないかというとそうでもない。

 卒業したとはいえ、現在も大学院に在籍中の白眉さんはまだそれなりに他大学との接点を有している。また、金村さんも元部長ということで、白眉さんほどではないにしろ多少はネットワークがあるので、新入生が参加できそうな集まりなどがある際は彼らにフォローを依頼していた。

 こういうとき、兼部しているのは都合がよい。大学内でも皆存在を知っており、精力的に活動している茶道部のほうが忙しいという口実は、十分な説得力を帯びていた。先輩方に委ねたのが功を奏し、井俣や浅井は月に一、二回程度は他大学に足を運び、対局やら食事やらを通じて人脈を広げる機会に恵まれた。

 前期のうちは私もそうした交流会には時々参加していたが、後期に入ると茶道部に行かねばならない日が増え、先の口実はあながち嘘でもなくなった。


 毎年、十一月下旬に三日間行われるソフィア祭で、茶道部は大規模な茶会を催す。

 天候が良ければSJガーデンと呼ばれる大学内の敷地で行われ、十月後半からは諸々の準備や稽古で慌ただしさを増してくる。週二回の稽古日以外にも茶道部として集まらねばならない機会が多く、特に二年生は部の中心として動かねばならないので、団体戦が終わってからはあまり囲碁部の状況を気にしている余裕はなかった。


 一年生は薄茶うすちゃ平点前ひらでまえのみだが、二年生はそれに加えて半東はんとうと呼ばれる、茶席における司会者のような役割を行わねばならず、これがなかなか厳しいものだった。

 お点前てまえと比べて手先の器用さなどを求められない代わりに、その場の雰囲気や茶席の進み具合などに応じて、その都度過不足ない説明や客との会話を展開していく必要がある。稽古では快活で話し上手な女子部員たちでさえ、上級生から多方面でダメ出しを食らっていた。


 普段より人付き合いが悪く、同じ茶道部員たちと会話する時でさえ、声が小さいと聞き返されたり言葉に詰まったりすることが多い私は、ある意味運が良かったとも言える。そもそも、先輩たちが私に多大な期待を抱いていないため、稽古の際も他の部員ほど細かい指摘を受けなかったし、少し上達しただけで好意的なコメントを頂戴した。

 とはいえ、何と言っているか聞き取れないとか、視線が定まらず落ち着きがないとか、あるいは道具や掛け軸の名称を覚えてきていないとか――やはり、こういうところで私の怠惰が露呈してしまう――各種ダメ出しをされることのほうが大半で、稽古は主につらいものだった。


 半東と比べると、お点前の稽古には余裕を感じた。九月の合宿の際にかなり練習しており、何より去年も経験しているので勝手は分かっている。

 以前、比較的話す機会の多い三年生の女子部員から、「覚えるのも早いけど忘れるのも早い」という一長一短な評価をもらった。こういう性質は、中学や高校の定期試験で身についたものだろう。特に高校の試験の際は、一夜漬け並みの速度で記憶しては数日で抜け落ちるような強引な戦い方をよくしていたので、染み付いているのだろう。たとえ忘れても一度固めたものなので、復興作業はそれほど苦労を要さなかった。


 十一月半ばの水曜日、相変わらず三限のゼミは気だるいものだった。

 先日ジュンク堂で購入した本は、確かにそれなりに分かりやすく読む価値はあるが、深井教授の眠たい口調で読み上げられると知らないうちにかなり先のページへ進んでいたりする。


「では、著者のこの文章について、池原くん何か意見あるかな?」

 深井教授が、ようやく顔を上げた私に尋ねる。


 しばらく眠っていたのだから、この文章と言われてもわかるわけがない。のんびりしているくせにこういう嫌味なことをする性格が、二度も離婚をする原因なのではないか。とはいえ、ゼミの最中に堂々と居眠りする私に問題があるのは歴々れきれきとしている。


「すいません、分かりません」

 他の学生は皆、私など相手にせずテキストに視線を向けている。

「そうだよなあ。居眠りしてたら分かるわけないよな。困るなぁ」

 こんな面白味の欠片もないゼミに、一応出席しているだけましだよと、内心で呟く。


「じゃあ、勝畑さんどうかな?」

 私の代わりに当てられた真面目な女子学生が、淡々と持論を展開した。

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