第15話「不真面目、真面目、不透明」

 後期に入っても、授業はいずれも前期と大差ないものだった。


 新たに履修する科目もあったが、退屈な座学もしくは実施する意義の不明なグループワークのどちらかだった。グループワークは例外なく苦痛に感じた。後期に入りいっそう高まった囲碁への熱意を、少しでも本業に充当できることを心の片隅で期待していたものの、そう都合よくはいかなかった。

 むしろ囲碁への興味関心が向上するほど、それ以外のことを疎かにした。出席日数ぎりぎりで授業に出て、どうにか単位さえ取得すればよいと考えていたのである。この時点で、同学年同学科の他の五十数名の学生たちには、相当な差を付けられていただろう。


 目新しいこととして挙げられるのは、ゼミが始まったことぐらいだ。


 私の所属する社会福祉学科は、二年後期から始まるゼミの選択の際に、社会福祉士または精神保健福祉士のどちらを目指すか選ばなければならない。

 昨今では、大学における福祉系学部や福祉・介護系の専門学校の数が増え始めており、聞いた話では専門学校でさえも両方の受験資格を得ることができるカリキュラムとなっているところが多いようであった。それにも関わらず、福祉関係の学科としては国内でトップであろうわが大学で、なぜに片方しか取得できない前近代的な仕組みとなっているのか甚だ疑問であったが、そんな文句を教授陣に打ち明けたところで状況が好転するはずもなく、不承不承ふしょうぶしょうながらもどちらか一本に絞らねばならなかった。


 社会福祉士については、児童・高齢者・障害者など様々なジャンルがあり、自分が特にどの方面に興味があり勉強したいかによってゼミの担当教授を選ぶことになる。しかし精神保健福祉士を選んだ場合、対象となる分野が精神障害に限定されているために領域が狭く、担当の教授は一人しかおらず選択の余地はなかった。


 五十数名の学科生のうち、十名ほどを除いて社会福祉士のほうを選んだ。

 どちらもそれなりに価値ある国家資格ではあるものの、扱っている分野が多岐に渡る社会福祉士を取得したほうが、何かと将来的に融通が利くだろうと判断したのだろう。

 私は、しかしマイノリティな選択をした。どの分野にも特に関心はなく、また将来のことも真剣に考えていなかったため、選択の決め手となった点は別にあった。

 両資格において国家試験の合格率を比較した場合、例年三割前後――難しい年は二割台のこともある――しかない社会福祉士と比べて、精神保健福祉士は例年六割を超えているのでずいぶんと易しく、さほど一生懸命に勉強しなくとも合格できるのではないかと考えたのである。


 私の履修したゼミは週二回、月曜日の一限と水曜日の三限に開講された。

 ゼミを担当する深井教授の授業はこれまでにいくつか受けたことがあったが、社会福祉学科の教授陣の中でも、彼の授業のつまらなさは突出している。板書を多くしてくれるようなスタイルであれば授業を受けている感覚になるものの、ほとんどが配布したレジュメや資料に関して口頭でだらだらと説明するのみであった。説明する際のゆったりのんびりとした口調は否応なく眠気を誘い、気付いた時には授業が終わっているということが多かった。


 そういうわけで、今回もさぞ退屈な時間を提供してくれるのだろうと予想していた。予想は皮肉にも的中し、ゼミという名目になんの意味があるのかと疑問を抱いてしまうほど、普段の深井教授の授業となんら変わりないスタイルだった。さすがに始まったばかりのゼミで居眠りするのもばつが悪く、私は必死の思いで眠気をこらえた。



「ゼミねぇ。俺の学科もたいしたことやらないよ」

 水曜日。グラマーの授業の後、光蟲と新宿のサイゼリヤで夕食をとっている。


「でもいろいろ課題とかあるんでしょ? あとディスカッションとか」

 光蟲は近現代ドイツの哲学や文学に関心があり、それらを中心に学べるゼミを選択していた。

「まあ多少はね。でも所詮、大学の四年間でできる勉強なんて限られてるから、本気でやるなら院に進んで、博士課程まで取らないとダメだろうな」

「なるほどねえ」


 勉強はそれなりに大変かもしれないが、二年間長く学生ができるというのは魅力的で、大学院進学の選択は食指が動くところであった。しかし、今の自分のGPA(Grade Point Average)では難しい気がする。


「院試受けるの?」

 普段はサワー系かハイボールを飲むことが多いのだが、珍しく生ビールを飲みながら光蟲に尋ねる。サイゼリヤはそれなりに安上がりだが、アルコールはビールかワインぐらいしか置いていないのが難点だ。


「上智の院は受けないかな。東大に、興味のある研究をしてる教授がいるから受けたいけど、まだ分かんないわ」

「へぇー、よく考えてるなぁ。自分も少しは先のこと考えないとな」

 哲学科を選んだ理由は特別に興味関心があったからではなく、法学部や外国語学部と比較して偏差値がやや低く、加えて面接試験もないからだと前に話していたが、それにしては熱心に取り組んでいるものだなと感心した。

「悦弥くんの分野は、引く手数多だからどうとでもなるでしょ」

「まあ、それはそうだけどねぇ」

 激務で薄給としばしば言われる福祉職、中でも現場での勤務においては、確かに慢性的な人手不足だ。


「俺がやってる勉強なんて、マジで定年退職した老人の暇潰し程度の価値しかないからね。真面目にやってて馬鹿らしくなることもあるよ」

「化石の発掘的な?」

「そうそう、そんな感じ」

 安物の赤ワインをデキャンタで注ぎながら、光蟲は無防備に表情を緩めている。


「少しもらっていいかな?」

「どうぞどうぞ」

 デキャンタは、三分の一ほど残っていた。

「すいませーん、グラス一つください」


 光蟲の声を受け、通りかかった若い女性店員が素早く笑みを作って対応した。

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