第8話「記憶力ゲーム」
高校時代、私は優秀な生徒だった。
勉強に関しては、という
囲碁をやめてから特別に打ち込んでいる趣味はなく、部活にも入らずに三年間帰宅部を貫いていたため、私の高校生活は退屈と無気力に支配されたものであった。
趣味と言うほどたいそうなものではないが、音楽鑑賞は当時から好きだった。GARNET CROWや小松未歩、WANDSなどのBeing系アーティストを好んで聴いた。
放課後や休日で学習塾のない時は、家の近所のモスバーガーやドトールコーヒーへ行き、音楽を聴きながら勉強する時間が多かった。勉強自体はさほど好きだったわけではないが、幼いころから記憶力には自信があったため詰め込み式の勉強を苦に感じることはなく、むしろ良い暇潰しの材料として働いた。
理系科目はさほど得意ではなかったものの、そもそも高校までの勉強は――特に学内の試験においては――そのほとんどを暗記で押し通すことが可能なので、今ひとつ理屈を飲み込めぬ方程式や化学変化などに出くわしたとしても、そっくりそのまま記憶として刻めば一時を凌げた。覚えればその分だけ成果が反映される定期試験は日々の暇潰しとして最適で、私は“サバイバル記憶力ゲーム”と銘打って貪欲に取り組んだ。
大学に入ってから勉強のモチベーションが低下したのは、専攻分野にそれほど興味関心を抱けていないというのも一因ではあるが、高校までのような“サバイバル記憶力ゲーム”でなくなってしまったことが主要因だろう。
学内では他を寄せつけない成績を維持していた高校時代でさえ、自らを賢人などと思ったことはなかった。むしろ賢人でないからこそ、教えられたものをそのまま覚えるという単純作業に人一倍の熱量を注ぐ必要があった。もとより、あれこれ頭を使って考えるのは億劫なのだ。囲碁でも、初段になるまではほとんど手を読まず、感覚頼みで打ってきた。もしくは、ある程度手数の長い定石や
覚えることは言わば前提と見なされ、その先のステップを要求される大学の大半の授業は、だからしんどいと感じるのである。周囲がみな、当然のごとく優秀なことも私の意欲を削いだ。定期試験は、ただの面倒な過程でしかなくなった。
フランス語の二科目は、しかしまだ私の土俵と言える。
ゼロから学ぶ異国の言語なのでそこまで難解な内容は含まず、比較的単純な暗記で事足りる。グラマーはもろに記憶力ゲーム的様相であったし、コミュニケイションのほうは一部で会話形式のテストがなされたが、事前に話す内容を練ることができたので、つまりは記憶力の問題だった。
期末試験、私はグラマー・コミュニケイションの二科目とも、九割を超える正答率でA評価を獲得した(他科目と異なり、夏休み前に結果が出た)。
一方、光蟲は骨折で欠席していたハンディがあったか分からないが、グラマーD評価、コミュニケイションC評価と
「いやあ、助かりましたよ。悦弥くんのほぼ満点の答案があって」
期末試験をひと通り終え、私と光蟲は新宿三丁目の居酒屋で羽を伸ばしている。
「授業詰め込みすぎなんだよ、アナタの場合は」
最近、光蟲の投げかけに軽いツッコミを入れるのが心地よく感じる。
「まあ、卒業まで想定して、明らかに必要な単位数を大幅に超過して履修してるからね。フランス語とか、取る必要皆無だし」
マイペースでレモンサワーに口をつける私の横で、光蟲は緩んだ表情を浮かべ、しかし早いペースで日本酒を注いでいる。
「マジメだねぇ」
「初めて学ぶフランス語のテストで、二科目ともしっかりA取るほうがよっぽどマジメでしょ」
所属学科の科目ではD評価すら危うそうなものもあったが、そんなことを口走っても水をさすだけのような気がしてやめた。
「おっ、来た来た」
今月の一押しメニュウとして勧められた刺身五点盛りが運ばれてきた。
刺身は舟の形をした木製の容器に豪快に配されており、食欲をそそられる。
「ふむ」
厚みのあるまぐろを一つ食し、光蟲がつぶやく。
「何か?」
「居酒屋は刺身と日本酒が美味ければ、他はクソでも構わないわ」
日本酒で顔を赤くした光蟲が口にするいいかげんな台詞は、私の笑いのツボに見事命中し、思わずレモンサワーでむせそうになった。
「褒め言葉ってことでいいのね」
五点盛りは、確かに幸福な味がした。
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