第二十五話 南部、成敗

 「南部殿が?」

 書を読む俺は思わず、御付きの男(名を作兵衛)に聞き返す。

 「はい、石井殿を討たねば、城には戻れぬと申しておりました」


 藤三郎、南部の家臣として武田家に潜り込んでいた、諏訪家の家臣。

 彼は諏訪との戦の後から、行方をくらませていた。


 (そう言えば、生前に頼重が、藤三郎に晴信暗殺を提案したと言っていたな。)

 しかし、あの日彼が晴信の前に姿を現す事は無かったという。

 もしや武田に仕えていた間に、藤三郎の中にも少しずつ情が芽生えて居たのだろうか。

 

 「其れにしても、藤三郎とやらは、如何様な男だ

  いやはや、実を言うと一度も会うたことが無いものでな」

 何気ない俺の問いに、作兵衛は疑問の表情を浮かべる。


 「何を申します、会うたことがある筈ですぞ。

  貴方様の鎧の着付けを手伝った男にございます」



 作兵衛の言葉に、俺は耳を疑う。



 「今、何と?」

 「は、着付けを手伝った男と……」


 俺の表情から、笑みが消える。


 「其れは……誠か?」

 「は、誠にございますが……」



 

 (戦前に、俺の着付けを手伝った男?)

 あの男が、石井藤三郎だと?

 冗談だろ、まさか




 俺は目を見開き、立ち上がった。



 「南部殿が何処へ向かったか分かるか!?」

 「た、確か、岩森の方へ向かうと申して居りましたが……」


 俺は一度、舌打ちをする。

 駄目だ、このままではまずい。

 恐らくあの男は、南部をー


 「晴幸、様?」

 俺は頭を掻きむしり、作兵衛の方を見る。

 

 此の話が本当なら、南部は恐らく気付いては居ない。

 石井藤三郎、奴は想像以上に危険・・な男だ。



 「済まぬ、其方に二つ程、頼みたい事が有る」

 

 





 〈岩森の地〉


 南部が向かったのは、光照寺。

 晴信の父、武田信虎の時代に栄えたと言われる、曹洞宗の寺院である。

 どうやら岩森に居る仲間が、似たような男に道を訊ねられたらしい。

 確実ではないが、手掛かりが其れしかない以上、行ってみる他無い。


 (此処に居るのか?)

 寺院は閑散としている。如何見ても、誰か居る気配が無い。

 仕方なく近辺を探す事にした南部は、一人の僧の姿を見る。

 その後姿、何処か見覚えがあった。


 「藤三郎」

 其の僧は振り返る。

 間違いない。彼は正真正銘の、石井藤三郎であった。


 「探したぞ」

 南部の安堵する様な言葉に、藤三郎は息を吐く。


 「南部殿、隠密に私を討ちに参ったのですか」

 感情の無い藤三郎の声。

 変わり果ててしまった家臣の様に、南部は苦笑する。


 「其方を斬らねば、武田の許へ帰れぬのでな」

 「此処では物騒です、山へ行きましょう、

  話は其処からです」


 そう言って、持って居た木の棒を傍に立て掛け、藤三郎は歩き出す。

 南部は言われるがまま、彼に付いて行く事にした。

 






 「一つ聞かせよ、其方は何故、殿を殺さなかった。

  聞いたぞ。頼重様は其方に向け、殿を討つよう御命じになったと。

  其方こそ、武田に情が芽生えて居ったのではないのか

  現に今は、武田の領地に残って居る」


 森が深くなる中、南部は山道を歩きながら問う。



 「理由はございません、

  確かにあの日、私は殿に命じられ、武田陣へ向かっておりました。

  しかし、其の道中にて、思ったのです。

  此処で晴信殿を殺せば、殿はまた、酷く御嘆きになるのでは無いかと」


 「苦渋の決断であったことを、知って居たのだな。

  やはり其方は、優しき男じゃ」


 其の言葉を聞き、藤三郎は立ち止まる。




 「貴方様は、誠に馬鹿正直で、助かりました」

 「……え?」




 その瞬間、何かが彼の頬をかすめる。


 「っ!?」

 間一髪避けた南部の頬から、鮮血が垂れる

 後ろを振り向くと、何かが木に刺さって居た。


 「御前……忍びか……」

 南部は目を細める。

 刺さって居たのは、苦無クナイ

 古来からの忍び道具である。



 「御前に何が分かる

  俺がどんな思いで、御前に仕えて居ったか」



 藤三郎の声色が変わる。どすの効いた低い声。


 「俺は御前とは違う、

  俺は生きるために運命さだめを受け入れ、散々人を騙し、殺めて来たのだ!

  こんな男の、どこが優しいというのだ!?馬鹿を抜かすな!!

  俺は御前の様に、自由には生きられんのだ!!」


 森中に響く藤三郎の声。

 南部は表情を変えることなく、ただ一点に彼だけを見ていた。


 「俺は、御前等が心底羨ましかった、

  只民やら主君やらの為だと、ほざきながら生きる御前等ばかどもがな。

  楽なものだろう、従っておればよいのだ。

  其処に罪悪感など、何もないのだから」


 藤三郎は小太刀を取り出し、彼に向ける。


 「南部宗秀。俺を殺さねば、帰れぬのだろう。

  どのみち、御前には俺を殺す事はできぬ。

  ならば、俺が此処で殺してやろう」





 

 俺は岩森に向け、走る。

 知っていた。あの時、目が合ってしまった。

 

 石井藤三郎


 セントウ  二二四一

 セイジ   七四三

 ザイリョク 六九〇

 チノウ  七五一



 有り得ない。

 ステータスにおいて二千を超えた者を、此れまで見た事が無かった。

 腕の立つ部類でも下手をすれば、返り討ちにされる程だ。


 名前を聞かなかった為、てっきり武田の家臣だと思い込んでいた。

 まさか、奴が石井藤三郎だったとは。

 俺は歯を食いしばる。


 誰かに頼む時間は無い。

 今は直ぐに南部の許へ向かわなければ、彼の身が危ない。



 俺は唯走る。陽は既に、傾き始めていた。

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