第二十六話 囮の、対価

 〈数刻前、原虎胤の屋敷〉


 「父上、痛みはございませんか?」

 菊は眠る虎胤の傍で、声を掛ける。

 先の戦で傷を負った虎胤は晴信に、完治するまで安静にせよと命じられていた。

 

 気づけば、夏も終わりに差し掛かっている。

 蝉の音も、今では殆ど無くなってしまった。


 「済まぬな、菊」

 虎胤の返事に首を振る。 

 生きて居るだけで良いのだと、そう伝える。



 「菊様、作兵衛にございます」

 そんな時、菊の許を訪れた作兵衛は、菊に一枚の文を差し出す。


 「山本晴幸様からの文にございます、

  虎胤様の御隣でお読みになって貰いたいと」

 「……晴幸様から?」

 




 菊殿


 其方の父、虎胤殿にお伝えして貰いたく候

 私は今、此城を離れており、

 石井藤三郎征伐へ向かう南部殿の許へ参り候。

 しかし殿には、私が城を発って居ると御伝え無くして、

 若し晴信様に事が知れれば、如何なるか分からぬ故、

 どうか晴信様には内密にお願いしたく、

 万一知られた時は、何か理由を付けて貰いたいと思うておる所存、

 報酬は幾らか御用意致す故、

 どうか、御無礼を御許し願いたき候。


 後日、若し私が此処へ戻った暁には、此の文を私に御返し願いたき候。

 宜しく、御頼み申す。




 菊は、文の内容を一文字もたがうことなく、

 虎胤に読み聞かせる。


 「菊、其の文の男と会うたことが有るのか?」

 「はい、一度だけ」

 虎胤は文を受け取り、一語一句丁寧に読み直す。


 「……晴幸様も可笑しな事を申されます、

  若し知られたくないと申されるのなら、

  誰にも言わずにおけば宜しいのでは」

 「否、此れは妥当な判断じゃ。

  我等にとっては少し、はた迷惑な話ではあるがな」

 「?」


 虎胤は菊の様子を横目に、語る。



 「考えてみよ。此の男が南部の援助に向かったと知る者が居なければ、

  抜け出した事が知られた際に、其の男は言い逃れが出来ぬ。

  其れを防ごうと、其の男は〈事実〉を囮に、我らを仲間に引き入れたのじゃ

  もし知られた際には、何かしら理由を付け、ごまかせとな」

 「仲間……?」


 「若し其の男が抜け出した事が殿に知られた際、

  儂が何も言わねばどうなると思う。

  男の事を知っていた儂が、〈殿に隠し事をして居た〉と思われる訳じゃ。

  さすれば儂こそ、何をされるのか分かったものでは無い。


  無論、此の文が存在する事を知られなければ、

  例え城を抜け出した事が知られたとしても言い訳が聞くだろう。

  然し、『文を返せ』という一文がある以上、何処かに破って捨てる事も出来ぬ。

  文を捨てる事は、〈此の男を裏切った〉という事を意味するからじゃ」


 語り終えた虎胤は、再び其の文面を眺め、笑う。


 「恐らく南部の藤三郎征伐を理由には、

  城外に出ることは出来ないと判断したのだろうな。

  ふっ、策士め、

  こうなれば、我等も隠し通すしか無いではないか……」

 


 虎胤は、此の文を書いた男の名を訊ねる。

 「山本晴幸様にございます。

  其の方は先の戦での見事な采配により、

  頼重様の身を炙り出したのです」


 「山本晴幸というのか……

  是非一度、会うてみたいものだ」


 虎胤は微笑み、其の文を見つからない場所へ隠す様に、菊に伝える。

 彼の中で、山本晴幸という男への関心が

 芽生え始めた瞬間であった。





 陽は既に沈んでしまった。

 ひぐらしの鳴き声が、辺りを木霊する。


 「何処だ、何処にいる」

 岩森に辿り着いた俺は、辺りを見回す。

 何か、彼らの居場所が分かる手がかりは無いか。


 そう思いながら歩いていると、足元で何かを蹴った感触がした。

 「……ん?」

 俺はその場に屈み込む。

 其処に、一本の棒が落ちて居た。

 僧侶が座禅に使う、〈警策〉という棒である。



 この近くに、寺でもあるのだろうか。

 

 (此れが、何か手掛かりになれば良いが)

 俺は警策を手に取り、目を閉じる。

 途端に突風が吹き、辺りが明るくなる。



 此処は、数刻前の光景か、

 俺の目の前で、二人の男が背を向け、歩いている。

 僧と、旅人の様相をしたもう一人の男。

 其の背には、見覚えがあった。



 暫くして僧は立ち止まり、俺の方を振り向く。

 彼は俺に向かい、にやりと不敵な笑みを浮かべた。






 俺は目を開ける。

 「……此方の方角か」

 

 当たりだ。

 あの僧、俺の着付けを手伝った男と同じ顔をしていた。

 どうやら彼が、石井藤三郎として間違い無い。

 しかし、もう一方の男、此方も南部宗秀で間違い無いだろう。

 やはり、既に二人は出会ってしまっていたか。

 

 (頼む、南部殿、生きて居てくれ)


 俺は再び走り始める。

 スキルで得た其の残留思念だけを頼りに、

 俺は深く暗い森へと入ってゆくのであった。








 「ぐ......っ」

 南部はその場に膝をついた。

 「つまらぬ、もう終わりか」

 其の上から、藤三郎が見下ろしている。


 藤三郎は、強かった。

 刃先が見えない程の、速い刀さばき。

 武田家中でも、刀には自信のあった南部でさえ、十数カ所の傷を負う程。

 其の反面、藤三郎の身体には、傷一つ付けられて居ない。


 「……見事じゃ、

  御前が其処まで強いとは、いや天晴じゃ」


 藤三郎は此れまで、南部に対して

 自身の剣の腕前を見せた事が無かった。

 恐らく警戒心を抱えさせない様にする為なのだろうと、今になって納得する。


 南部は俯き加減に笑った。


 

 「のぉ藤三郎、一つ聞かせよ」

 藤三郎は表情を変えぬまま、彼を睨み続ける。




 「御前は何故、先程から

 〈わざと〉急所を外して居る?」




 

 其の言葉に、藤三郎はぴくりと反応した。

 そんな彼を他所に、南部は語り続ける。



 「誠に儂を殺す気ならば、

  急所を外し傷つける必要は無いであろう、

  もしや死なせない様に、儂を救おうとしてくれて居るのか?」

 「黙れ!!」



 藤三郎は再び南部に向け、刀を向ける。


 「俺は、御前の苦しむ顔が見たかった。

  苦しみの伴う死に方を、御前に授けようと思うた、

  ただそれだけだ」


 藤三郎は南部の目の前に立ち、南部の腹を思い切り蹴った。

 「がぁっ......!!」


 鈍い音を響かせ、南部はその場に倒れる。

 既に立ち上がる事も、ままならなくなって居た。

 藤三郎は、そんな南部を足で踏みつける。



 「其処まで言うのならば、拝み討ちじゃ

  御前の望み通りに殺してやろう」



 藤三郎は自身の刀を、南部に向けて振り上げた。


 其の時である。




 「やめんか」




 「っ!?」

 何者かによって、藤三郎の腕が掴まれる。

 其処に立っていたのは、息を切らせた山本晴幸



 

 藤三郎は手を振り払い、俺をじっと睨みつける。

 南部はゆっくりと顔を上げ、目前の存在を確認する。


 「は……晴幸……殿……?」

 「南部殿、無理に話さずとも良い。儂に任せよ」


 そう言って、俺は藤三郎の前に立つ。

 夏らしからぬ、冷たい風が吹き抜けた。



 「我は武田家家臣、山本晴幸と申す!

  石井藤三郎、儂と相手せい!!」



 俺の言葉に、藤三郎はにやりと笑う。


 「成程、此の馬鹿を助けに来た訳か。

  其方、武田家の参謀だとか言ったな。

  頭しか使えぬ其方に、何が出来ると言うのだ」



 其の言葉を聞き、俺はあの時拾い上げた警策を、藤三郎に向ける。



 「其方ごとき、

  此れさえあれば十分じゃ」


 俺はにっと笑ってみせた。



 予想外の言葉だったのか、彼は目を丸くした。

 しかし、直ぐに藤三郎の表情が、怒りに変わってゆく。



 「おのれぇ……っ!!」




 俺の頰に、一滴の汗が垂れる。

 握り締めた棒に、手汗がにじむ。


 真剣と木の棒

 武器からしても、明らかに不利な状況。

 しかし、如何してだろうか。

 今、生と死のはざまに立っている筈なのに

 俺の表情から、笑みが消えないのは。

 


 俺は彼の見せる怒りと殺意に、

 決して目を背けたりはしないと、そう心に決めていたのだ。

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