第九話 其の男、掟破り
この様な実験を、知っているだろうか。
《今、目の前に二人の人間がいるとする。
一方は相手の素性を根掘り葉掘り質問するA。
もう一方は当たり障りのない話題に終始するB。
初対面の人に話しかける第一声において、
最も好感的なのはどちらか。》
幾度の試行を経た結果として、
Bの方がAの一・五倍ほど好感度が高かったという。
今実験を行った人物は、こう言及している。
《無難な会話を続けているうちに、相手が自ら話し始めるのを待つ方が、結果として良い関係が築けるはずだ》と。
しかし、
そんな結果を一掃する男が一人、
そう、目の前にいた。
「……」
俺は沈黙した。
思いもよらぬ、かつ突然の問いに、困惑するしか無かった。
「聞こえなかったか?
晴幸とやら、此の城を如何にして攻め落とす」
こんな男が現代に居たとなれば、
きっと好感を持つ者は居ないだろう。
しかし、此れだけは間違い無く言える。
此の男は、俺を試している。
理由は一つ。
《山本晴幸》という男が、彼にとって必要な男か否かを見極める為だ。
しかし、この状況ほど掟破りという言葉が相応しい場面は無い。
(どうやら今は、
この状況を如何にして打破するか
今は其れだけを考える
此れでも、伊達に生きてきた訳じゃない
俺は唾を飲み、口を開いた。
「晴信様、私が此処に参ったのは、此度が初にございます。
故に、御答えはしかねまする」
「ならば問を変えよう、此城の弱点はなんだ」
あまりの即答さに、俺は目を見開いた。
晴信は表情を変えることなく、ただ一点を睨みつける。
「其方の申す通りじゃ。仕組みが分からねば、絡繰りは見破れぬ。
然し、例え間者を忍ばせていたとて、
そやつが敵城の仕組みを語れるとは限らぬのだ。
良いか晴幸
儂は此処に来るまでに、其の目で見たもの、
其れ等の穴を突けと申しておるのだ」
話すだけで分かる。
やはり、此の男は頭が良い。
俗に言う、天才という奴である。
天才故に、常識が通じないのだ。
俺は内心焦っていた。
然しまた、同時に慎重な男だとも思っていた。
冷静沈着な彼の心の中には、常に燃え続けているものがある。
板垣から、此城のことは幾らか聞いていた。
其れを思い出しつつ、俺は目を閉じ、此処までの記憶を辿る。
其れ等の記憶と元々の知識を頼りに、情景を頭の中で創造する。
「此城は、盆地の北端に位置し、南に流れる川の末端地に築かれて居ると見ます。東西を川に囲まれ、背後には山。見るからに防御に徹した山城。弱点など見つからぬ程、良い立地、良い造にございます、誰にしも落城には、少々時が必要になるかと」
地理専攻の知識を、人生において使う日が来るとは。
ただ、此れで納得してくれるのだろうか。
「其れが、其方の見た全てか」
「は......」
そんな晴信の見せた反応は
予想を裏切るものであった。
彼は突然、声高らかに笑い始めたのだ。
「ははは、成る程。
たった一度で此処まで把握しておったとは
其方、なかなかの目を持っておる」
俺は顔を上げる。
一瞬、理解が追いつかなかった。
しかし俺は、直ぐに気付くことになる。
戦略など、落城など、実際はどうでも良かった。
俺の観察眼、俺の思考を測ること。
これが、此の男の誠の狙いなのだと。
(こいつ......)
目前の男は恐らく、元から此城を落とす事が出来るとは思っていなかったのだ。
其れ程の自信が無ければ、何処の何者かも分からぬ牢人を易々と此城に招き入れる筈はない。
よく考えれば分かる事だ
然し、奴は考える隙さえ与えなかった。
己が身が、ぶるりと震える。
胸が徐々に熱くなる。
身体が、興奮している。
自然と、笑みが溢れた。
そうか
俺は、まんまと奴の掌で踊らされていた訳か。
やられた。俺としたことが。
見事だ。実に見事である。
「晴幸、残念だが、
其方は重大な事を見落としておる」
晴信はそう言って、立ち上がった。
「城といえば、天守閣と濠を備えた姿を思うだろうが、躑躅ヶ崎館に天守閣は無い」
俺は表情を緩ませる。
晴信の笑顔には、時々子供らしさが垣間見える。
「晴信様、一つ訊ねさせて下され。
もし私が他国の間者だとすれば、
晴信様は如何なさるおつもりで?」
何気ない俺の質問に、晴信は即答する。
「決まっておろう、その場で斬る」
(まあ、そうだろうな)
晴信はふんと鼻を鳴らし、目を細める。
「……此城は父上が命懸けで御守り下さった、其れは承知の上じゃ。
そう易々と渡すものか」
呟く晴幸の目線は、俺に向かっている。
まるで、出陣前の様な、真剣な眼差し。
「山本晴幸、其方の器量、しかと見せてもらった。
もし其方が儂に仕えると申すならば、知行二百貫を与えよう。
其方には其れ程の価値が有ると見た」
「!?」
周りの家臣達の
知行二百貫、現代でいえば三千万円の価値。
板垣の示した額を、遥かに超えている。
しかし、俺は驚かなかった。
此れまでに、散々と驚かされてきた為である。
俺にとって先程の晴信の言葉は、
まるで板垣の言葉を復唱している様にしか聞こえなかった。
金など、領地など、今はどうでも良い。
俺は彼の目を見る。
俺の欲望は、一つ。
此の男を、もっと知りたい。
その一心で、俺は
その瞬間、俺は思わず目を細めた。
(なんだ、これ)
俺は確かに、晴信の目を見ている。
しかし、何も表示されない
〈
こんなこと、此れまで一度たりとも無かった。
俺の目がおかしくなったのではない。
周りの者に目を向ければ、彼らの
しかし、武田晴信という男の
そうか、
この男は特別な存在だと、そう言いたいのだな。
奴の外面は、生意気な小童に過ぎない。
しかし、俺は思い知る。〈能ある鷹は爪を隠す〉というのは、このことなのだと。
俺は再び、笑みを浮かべる。
此の不可思議な男の側にいるのも、案外面白いかもしれない。
《面白い男だ》
俺の中の何かが、声を上げ訴える。
身体が、ゆっくりと前に屈み始めた。
「其の御話、お受け致しまする」
俺は、目の前の不可思議な男に向け
そう一言、口にしたのだった。
続
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます