第50話 彼の記憶

 シャーロットの修道院での部屋は、鉄格子の扉で隔てられた反省房にある。

 女性以外との接触を防ぐためだ。もともとは修道院で暴れたり、誰かを傷つけたりした者を一時的に収用しておく場所なので、逃亡防止にも監視にも都合がよかったのだろう。


「ねぇ、出してよ……」


 何度も叫んで暴れたのだろう、疲れ切った声が聞こえた。それでも声を出し続けるあたり、彼女はあきらめが悪いんだろう。


「諦めが悪いのはどちらも同じ、か」


 つい独り言をもらして、案内をしてきた修道女に振り向かれる。


「なんでもありません。入っても?」

「ええ、時間は30分までです。わたくしは、こちらから見守っておりますので」


 修道女は鉄格子の扉を開けると、近くに置いてあった椅子を引き寄せて座った。

 彼女が見守るのは、万が一にもシャーロットが脱走した場合に備えるためと、セリアンが激昂してシャーロットを傷つけた場合に対応するためだろう。


「よろしくお願いします」


 セリアンは一礼して、鉄格子の扉の向こうに続く廊下へ踏み出した。

 カツカツという足音に、シャーロットの声が途切れる。


 彼女がいたのは、奥の部屋だった。

 扉は鉄格子になっている。そこに、シャーロットはしがみつくようにしてセリアンを見ていた。修道女の黒い長衣を着ていたが、血走った目のせいで修道女らしさは欠片もない。


「なんの用よこの悪魔!」

「君に言いたいことを言うために来た、シャーロット・オーリック」


 淡々とセリアンは続けた。


「君はもう二度と、過去に戻ることなどできない。そして君は僕への復讐にこだわったあまりに、君が大事にしていた、マクシミリアン王子とのつながりさえ途切れさせたんだ。残念だったね」

「ど、どういうこと……」

「ちなみに探そうとしても、とある特殊な祝福を持つ商家の奥方は見つからないよ。君は、二度と元へ戻ることさえできない」


 セリアンの言葉を聞いたシャーロットは、声を振るわせた。


「あなた……まさか。あなたも記憶を送ってもらったの!?」

「君に見つけることができた相手を、ディオアール侯爵家が探せないとでも思ったのかな」


 肯定はしなかったが、もちろんシャーロットはこちらの言いたいことを理解できているだろう。


「そんな……そんな」


 絶望の表情を浮かべたシャーロットを見て、セリアンは微笑む。

 彼女はなんとか脱走して、もう一度やり直すつもりだったのだろう。それが不可能だと知った以上、もう彼女に打つ手は何もない。

 セリアンは何をしても無駄だと教えるためだけに、ここへ来たのだ。


「君は祝福の力を明かした上で、事を起こしたんだ。修道院からは一生出られないよ。脱走しても昔に戻ることなどできない。残念だったね」


 セリアンはシャーロットの前から立ち去った。

 反省房からは、すすり泣く声と怨嗟の言葉が聞こえたが、綺麗に無視する。


 見張りの修道女に案内されて、大聖堂から出る。

 馬車を待ちながら日の光を照り返す、大聖堂の白い石畳の上に立ち、セリアンはふと思う。


「……どうして彼女は、復讐を先にしようとするんだろうね。結局は僕に潰されて、王子とは別れることになるだけなのに」


 ――セリアンは一度、リヴィアを失った。

 シャーロットが初めて過去へ戻り、やり直しを実行した世界で。


 あの時のリヴィアは、セリアンにとって時々サロンで会える友達であり、珍しくも自分が惹かれた女性でもあった。

 聖職者から一貴族に戻ることが決まった時は、彼女にこれで告白ができると考えた。

 結婚もできない状況で告白しては、彼女の迷惑になってしまうと考えたから、その時を待っていたのだ。


 しかも彼女は、婚約者から別れを一方的に告げられ、評判に傷がついた。結婚相手が見つからないと悩んでいたので、まず間違いなく断られることはないと安心していたのに。


 彼がディオアール侯爵家に戻ったとたんのことだった。

 サロンのレンルード伯爵夫人から「リヴィアさん、急にご結婚されることになって……」と聞いたのは。


 相手は悪名高いマルグレット伯爵。

 しかも何週間も前から結婚の申請を王家に出していたので、セリアンが気づいた時には彼女は伯爵のものになっていた。

 無理に取り返すことはできない。けれど結婚相手が悪すぎる。だから様々な伝手を使って取り戻そうとした。でもその前に、リヴィアは発狂した伯爵に刺し殺されてしまったのだ。


 この時は、まだ何が起こったのかはわからなかった。

 ただセリアンは絶望した。

 誰も娶らないまま、兄の体が回復せずに次期侯爵となった。


 その後、セリアンは隣国にかかわることとなった。

 アレクシア王女の輿入れ先になっていたためだ。王女の結婚相手であるマクシミリアン王子には、親しく交際している女性がいて、その女性を排除するのが、王家から依頼されたセリアンの仕事だった。


 ……王家の守護者の役目は、今でも連綿と受け継がれている。

 毒に精通し、人を密かに殺す技も伝えられた家。分家の者達は配下として暗躍していた。兄は水面下で争われた王家内の跡継ぎ争いの結果、毒を受けて体を壊した。次兄はそうした家の仕事が性格に合わず、手伝っても足を引っ張るだけだと判断して、早々に騎士の道を志したのだ。


 隣国へ入ったセリアンは、すぐにマクシミリアン王子が執心しているシャーロットについて調べ上げた。

 彼女の周囲の人物の動きの異常さから、祝福を持っていることはすぐにわかった。だからといってマクシミリアン王子が操られているかというと、そういうわけではなかった。


 だからシャーロットが心の底からマクシミリアン王子に恋しているのかと思ったのだ。最初は。

 祝福は愛する人には通じない。

 高位の聖職者であれば知っていることだ。一時は司祭位にいたセリアンもその知識を持っていた。


 けれど観察してみれば、彼女は恋に恋している様子だ。

 そんな彼女を、マクシミリアン王子は言葉巧みに利用していたらしいなにせ彼女の力を使えば、国内の政敵を操ることも、心を壊すこともできるのだから。


 ならばと、セリアンは王子と交渉することにした。

 隣国は、こちらの王家との関係をどうするつもりなのか、と。アレクシア王女以外の女を側に置き、王女の面目を潰すつもりならば、こちらの王家を軽んじているとみなさなければならない。

 シャーロットを利用したかっただけのマクシミリアン王子は、あっさりと国同士の結びつきの方を選んだ。


 国内の政敵はほとんど片づけていたのだろう。だからこれ以上はシャーロットを側に置く必要がないと判断したようだ。

 しかもシャーロットの祝福には欠陥が多い。マクシミリアン王子は、彼女を利用するのも潮時だと思ったのだろう。


 後はシャーロットが教会から破門にされてしまえば終わりだった。

 こちらはシャーロットが隣国の王宮から遠ざけられ、王女に害をなさない状態になればいいのだから。


 けれど隣国の枢機卿と一緒にその場に立ち会ったセリアンを見て、シャーロットは言った。


「また殿下との仲を引き裂くのね、この悪魔! 妻にするはずの女を奪ってやったのに、まだ壊れていないなんて!」


 八つ当たりのように叫ぶシャーロットの言葉から、セリアンは悟った。

 リヴィアを死なせたのは、彼女だということを。

 いずれは誰かを妻に迎えるしかない。なのに今でも思っているのはリヴィアだけだった。そんな自分から奪ったというのだから、リヴィアが殺されたのは、彼女の祝福によるものだったのだ。


 さらにシャーロットは、何らかの形で二度目の人生を送っているらしいことも察した。

 そんな不可思議なことができるのは、祝福を持つ者だけだ。


 セリアンはシャーロットが隔離されたのをいいことに、彼女を尋問して吐かせた。誰のどういう祝福を使って、二度目の人生を送ったのかを。聞き出した後はシャーロットが二度とそこから動けないようにした。

 そうして、セリアンはその祝福を持つ相手を突き止めて願ったのだ。


 ――自分の記憶を、過去に送ってくれるようにと。



「……思い出したのが、けっこう遅かったのは痛かったな」


 記憶を過去に送るにしてもそれが正確にいつになるかはわからない。祝福の持ち主がそう言っていた通り、その点が一番うまくいかなかった。

 幼いうちに今の記憶を受け継ぎたいと思っていたけれど、セリアンが未来の記憶を得たのは、司祭となり、リヴィアと出会った後のことだった。


 すぐさまセリアンは、還俗の手配をした。

 おかげで早めに貴族に戻り、マルグレット伯爵とリヴィアの結婚を阻止できた。


 ただその後、シャーロットがどういう手に出るのかがわからなかった。過去ではそれ以上のことは起こっていなかったからだ。

 しかもシャーロットは、直接的にリヴィアに害を及ぼしたわけではなかった。だから、彼女を潰す方法をも模索しなければならない。


 そんな時、セリアンの古巣である教会で、シャーロットを聖女として認定する動きがあった。これはリヴィアと自分を苦しめようとしての動きだ。そうわかったセリアンは、後手には回ったものの、自分の人脈を使ってシャーロットの目論見を覆すことができたのだ。


 予想外だったのは、リヴィアもまた祝福を持っていることぐらいだ。

 そのおかげで予定よりも早くシャーロットを排除できたのだけど。


「これでたぶん、リヴィアを失う可能性は少なくなった」


 祝福を持っていると知れたおかげで、教会もリヴィアが助けを求めれば保護するはず。

 それでも予想外のことは、いくらでも起こるだろう。でも二度と失わずにいてみせる。シャーロットが過去を変えようとする前までは、妻として側にいたと、誰でもないシャーロット自身が証言したのだ。できるはずだ。


 そう誓ったセリアンは、後日とても嬉しいことを知る。

 リヴィアはセリアンに祝福の力を使えないようなのだ。心の中で何度も彼女が好きだと思っていたのに、伝わっていなかったのだから、間違いない。


 婚約したので、これから少しずつ心を傾けてもらおうと思ったけれど、ほしいものはすでに自分の手の中にあったらしい。

 セリアンは満たされた気持ちでリヴィアを抱きしめた。

 恥ずかしがってリヴィアが逃れようとしたけれど、面白いのでわざとそのままでいたことは、彼女には内緒だ。

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どうも、悪役にされた令嬢ですけれど 佐槻奏多 @kanata_satuki

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