親心と恋路とメリークリスマス

星陰 ツキト

宝物


ある日の冷え込んだ休日。

俺はいつもより遅い朝食を食べ、コーヒーを飲みながら一息ついていた。

やっぱり、インスタントはあんまり美味しくない。

けれど、自分でドリップするのは面倒なのでインスタントになってしまう。

ああ、切実にコーヒーマシンが欲しい。



(あの、父さん、)



コーヒーの匂いを堪能していたら、息子がちょんちょん、と俺の腕をつついてきて、控えめに指を動かし始めた。

どことなく、いつもよりぎこちなく滑らかさが欠ける指の動きに違和感を覚える。

息子の表情を見てみると、目をさまよわせて瞬きを何回もしていた。



(なんだ?)



とりあえず、気にせず会話を続ける。

寒くて、俺の指も少しぎこちなく動いた。

冷え性でもないのに、指先が凍りそうなくらい寒い。



(明後日のことなんだけど、)



途中で指が停止する。

もぞもぞと、なんの文字も示さずに指先が暇をもて余している。

明後日は、何日だったっけ。

……ああ、クリスマスか。


ははーん、わかったぞ。

こいつの言いたいことが。

にやにやしそうになるのを必死に抑え、なにもわからないフリをし、すっとぼけてみる。



(クリスマスか、それがどうしたんだ?)



いつからか、クリスマスは息子と過ごすのが当たり前になっていた。

俺は別に、クリスチャンでもなければ、わけもわからず世の中の流れにただ乗るだけのつまらない男でもない。

だが、クリスマスの日というのはにぎやかで、町はいつにも増して活気を帯び、綺麗なイルミネーションが輝き、かわいらしい商品が店頭に並び、美味しい料理がたくさん出現し、笑顔が溢れる日だ。

そんな日だから、俺は、自分の宝物である息子と過ごしたい。

最初は、生まれたときから耳が聞こえなかった息子を外に連れ出し、少しでも幸せな気分を味わえるようにと思ってのことだったが、いつのまにかそれが恒例になっていた。

それに、亡くなった妻が、クリスマスが大好きだったというのもある。

いつも、ケーキを前にして目をキラキラさせ、イルミネーションを前にしてぴょんぴょん跳ね、美味しい料理を前にして満面の笑みになり、たまらなくなって俺がぎゅっと抱き締めれば小さな声で"愛してる"と言ってくれた。

妻と俺と息子。

3人にとって、とても大事な日。

それがクリスマス。

宗教的な行事をむやみやたらに日本人が楽しむことを非難する人もいるが、楽しいなら俺は良いと思う。

素敵な街並みに、美味しい料理。

行事がなければこの世に存在せず、楽しめなかったであろうものたち。

それを楽しむことは、全く問題ないと思う人間の部類だ。俺は。


おっと、話が逸れたな。


俺の大事な息子も今年で二十だ。

浪人したから大学一年生。

恋人くらい、いてもおかしくないだろう。

というか、こいつが俺にバレていることを自覚しているかは知らないが、彼女はいる。

こいつは有り得ないくらいわかりやすいから、俺にはお見通しなのだ。



(その、今年は父さんと過ごせないんだ。ごめん)



ゆっくり、ゆっくりと息子の指先が動く。

ふたつの目はこの上なく泳いでいる。

ははーん、やっぱり、彼女か。

不思議と、悲しくはならない。

娘に彼氏が出来るのは悲しいのかもしれないが、息子に彼女が出来るというのは、むしろ嬉しい。

こいつの場合、絶対に、初カノだ。



(父さんは構わないぞ。友達と過ごすのか?)



あえて聞いてみる。

こいつと恋の話なんてしたことがないから、いい年してわくわくしている自分がいる。

つとめて、冷静に指を動かす。

楽しんでいるのを悟られないように。



(ちが、ううん、友達)


(男の子か?)


笑いをこらえながら聞けば、あからさまにギクッと体を震わす。


(ひみつ!)



ものすごい速さで指が空を切り、息子はバタバタバタバタ、と足音をたてながら走って、自室に戻ってしまった。



彼女だな、これは。

思わず顔がにやける。


それにしても、今どきの女の子で、息子みたいなのと付き合ってくれる子がいるんだなあ、と半ば感心する。

息子は少し気弱だが、優しい子だ。たぶん。

でも、耳が不自由だ。補聴器なんてつけても全然だめなくらい、聞こえない。

しかし大学は、本人の希望で普通の四年制大学に通っている。

最初はなかなか苦労したようだが、だいぶ慣れてきたようだ。


まあ、感心するとは言っても、息子の彼女の見当はついている。名前も顔も知らないが、だいたいの見当は実はついている。

息子が入学したての頃から、大学では実習やらなんやらが多かった。

最初は、うまくコミュニケーションを同じ班の人ととれなくて、なかなか思うように実習ができず、また、迷惑をかけてしまっていると言って落ち込んでいた。

筆談でコミュニケーションをとっていたらしいが、やはり、筆談というのには限りがある。なにより筆談は面倒だ。

そんなとき、同じ班の女の子が、突然、息子に話しかけてきたらしい。たどたどしい手話を使って。

それから、"実習のとき、どうやってコミュニケーションとればいいかな? 手話を少し練習してみたんだけど、まだあまりうまく使えないの。良かったら、ちょこっとだけ実習のときのコミュニケーションの練習、一緒にしてくれないかな?"

と書かれた紙を見せてきたらしい。

俺が仕事から帰るや否や、このことを俺に報告してきた息子の目の輝きは凄まじかった。

その女の子にほんのちょびっとだけ嫉妬してしまったくらい嬉しそうにしていた。

それ以降は、実習も楽しくできているようだった。



それから、細かいことはよくわからないがその女の子と息子は仲良くなり、たまに出かけていた。

なんで知ってるかだって?

普段、服なんて全く気にしない息子が、(父さん、この服、変じゃない?)って聞いてきたことがあったからだよ。


それにある日、息子の機嫌がものすごく良かったから告白が成功したんだなあ、と思ったこともある。

その前日、有り得ないくらいソワソワソワソワしてたからな。


まあとにかく、俺にはお見通しってことだ。

息子がクリスマスを彼女と過ごしてしまうのは少し寂しい気はするが、それよりも安心感が大きい。

息子を好きになってくれたどこかのお嬢さん、ありがとう。

そしていつか、息子とその子供と3人で、クリスマスを楽しく過ごしてくれよ。

そこに俺も一緒にいられると嬉しいなあ、なんて思って、頬がゆるむ。








クリスマスの朝、冬の寒さに弱い息子はいつもより一時間以上早く起きて出掛けていった。

ソワソワソワソワしながら、(いってきます)と言っていた。

息子よ、大丈夫だ。

お前はかっこいいぞ。



俺はひとり、リビングでインスタントコーヒーを飲みながら息子と妻とのアルバムを静かに眺めていた。



ふいに、


―ピンポーン―


インターホンが鳴り、静寂を破った。

時計を見ると、午前11時。

息子が出ていってから、三時間が経過している。

まさか、忘れ物か、はたまた振られたか?

いやいや、息子なら、鍵を自分で開けて入ってくるだろ。



「はい。」



応答したら、



「宅急便でーす」


威勢の良い若い男の声が聞こえた。

俺は宅急便など頼んでない。

それなら、息子だ。

おいおい息子よ、まさか彼女へのクリスマスプレゼントじゃないよな?

シャレにならないぞ?

俺が心配してどうすんだ、と心の中でツッコミながらも内心ハラハラしながら玄関の扉を開けた。



荷物を受けとると、俺宛てだった。

依頼人は――、え?息子?



慌てて段ボールを開けると、高そうなコーヒーマシンが入っていた。


思わず、ふっと笑みがこぼれた。


__息子よ、やるじゃないか。

お前なら、今日のデートも大成功まちがいなし、だな。


寒さから逃げるようにして部屋に戻ると、リビングのテーブルに開きっぱなしだったアルバムの、妻と息子と俺の3人で写っている写真が目に入る。

3人とも、穏やかな笑みを浮かべていた。


クリスマスは、俺の宝物がつまった日だ。





メリー、クリスマス。



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