ホシのよく見える季節の夜

佐川信也

ホシのよく見える季節の夜


――あなたへ


 その手紙は、俺の前に突如として現れた。

 真っ暗なリビングの中、窓から差す月明かりに乗って舞い降りたようだ。

 まるで俺が死ぬことに気付き、由美が天国から送ってきたのかもしれない。

 もちろん、そんな非科学的なことはありえない。おそらく気が動転していて、置いてあることに気付かなかったのだろう。


 クリスマスイブだというのに、俺は荒れていた。当然だ。最愛の由美が死んだのだ。

 いつかはこうなると分かっていた。覚悟もしていた。しかし、いざ現実になると、俺の心は衝動的になり、理性などは簡単に消え失せてしまった。

 由美のいない世界に、未来はない。そう絶望した俺は、死のうと決心した。買ってきたロープで輪っかを作ったほどだ。

 ロープをどこに吊るそうかとリビングをさ迷っていたまさにその時、手紙を見つけたのだ。

 俺はすぐにロープを放り投げ、手紙に飛びついた。冷たい。しかし、俺はそこに彼女の存在を見つけた。

 真っ白な封筒に、『あなたへ』とシンプルに書かれていた。俺は汚れた手をシャツで拭うと、丁寧にシールを剥がして真っ白な便箋を取りだした。便箋は三枚入っていた。


                  *


 拝啓。星のよく見える季節となりました。あなたはいかがお過ごしでしょうか。

  ……なんて、ちょっと硬いかな。

 うん、ダメだ。やっぱりあたしには、こっちがいいや。

 君がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世界にはいないんだよね。

 死ぬ瞬間の私は、どんな感じだったのかな。いつかは死ぬと思ってはいたから、驚きはしなかったかな。

 ただ、もう少しだけ生きたかったと思ったかも。

 ……なんて、過ぎたことはおしまい。

 よし。こっからは、未来に向かっての話をしよう!

 あ、そうだ。その前に、ちょっとお願いがあるんだ。

 あたしの大好きな先輩に、LINEを送ってほしいの。

『今までありがとう。ずっと大好きでした』って。

 ふふふ、もしかして嫉妬しちゃった?

 大丈夫だって。その人は女性だから。大学の先輩だった人。あたしの相談に頻繁に乗ってくれた優しい人なんだよ。

 ね、一生のお願い。あたし死んじゃってるけど、ほんとに一生のお願い。

 そうだ。LINEを送るまで、続きを読んじゃダメだよ。読んだら化けて出てやるんだから。


                  *


 俺はそこまで読んで、思わず辺りを見回した。まるで彼女の声が語りかけてきているようだった。

 テーブルの向こうに目をやる。由美が頬杖をついて、俺をじとりと見ている気がした。

 死んでもまだ俺を見張るつもりか。

 半分冗談のように考えてみたが、しかし由美ならありえそうだった。きっと彼女は、俺がお願いを聞かない限り、ずっとテーブルの向こうで不機嫌な顔をしていることだろう。

 すっくと立ちあがると、俺は彼女の部屋に戻ってバッグを漁った。バッグの内ポケットを開くと、可愛らしいケースに入った彼女のスマホが見つかった。

 リビングに戻って、スマホの画面を開く。すると、ロック画面が表示された。

「おいおい。どうやって開けるんだ」

 思わず声が漏れてしまう。と同時に、そこに彼女らしさを感じた。

 由美はちゃんとしてそうに見えて、ドジが多かった。自宅への帰り道も、何度迷ったか。その度に、俺が助けてあげるのが定番の流れだった。

 仕方なく、俺はもう一度便箋に目をやった。


                  *


 あ、忘れてた! スマホのパスワードはそのままだからね。前から変えてません! どう、開いたかな?


                  *


「……うん、開いたよ」

 暗がりの部屋の中に、俺の声が響いた。一人のはずなのに、まるで二人でいるかのようだった。

 LINEを開くと、仔犬の画像が出てきた。彼女のアイコンだ。由美は犬が大好きで、SNSでもよく飼っている犬の写真を上げていた。

 俺は名前検索で先輩の名前を探す。すると、一件がヒットした。トーク画面を開き、手紙の文面通りに打ち込む。


『今までありがとう。ずっと大好きでした』


 すると、すぐに相手から返信が届いた。


『どうしましたか、塩野さん?』


 トーク画面を閉じる前だったから、既読になってしまった。

 どうしたものかと思ったが、結局、そのままにしておくことにした。彼女の振りをして返信することに、意味などないだろう。

 スマホをテーブルに置くと、俺は再び便箋を手に取った。


                  *


 送ってくれたかな。じゃあ、次にいってみよー。

 次は凄いよ。名付けて、塩野由美ちゃん復活計画!

 どう? 驚いたでしょ。あ、変な目で見ちゃダメだからね。あたしは大まじめなんだから。

 ふっふっふ。あたしはもう一度よみがえるのだ。まぁまぁ、騙されたと思ってやってみようよ、ね?

 じゃあいくよ。

 その1。音楽プレーヤーを用意する!

 私の愛用の音楽プレーヤーだよ。人の想いがたくさんつまっているものほど、可能性は高くなるんだ。

 たぶんバッグに入ってると思うから、探してみてね。


                  *


 俺は立ち上がると、すぐさま由美のバッグを探った。

 馬鹿馬鹿しい。人がよみがえることなどありえない。そんなことは分かっていた。俺ももう三十歳。立派なおっさんだ。そんなおとぎ話のような話を信じる歳ではない。

 だけど、それでも、俺は縋りたかった。

 見つけた。

 出てきたのは、ひと昔前の長方形のiPodだった。彼女が大学の頃から使ってる、よく見慣れたものだった。

 俺はそれを握りしめ、リビングに戻った。


                  *


 手順その2。ワインを用意する!

 聖書にも出てたでしょ。赤ワインは体の一部だって。なんとなんと、用意したワインが生き血に変わるのだ! なんてね。

 戸棚の奥にあるはずだから、それを開けて欲しいんだ。本当は、あたしが誕生日に開けるはずだったワインなの。


                  *


 キッチンに向かい、戸棚を開ける。ドッグフードの袋が積まれた奥に、隠されたようにワインボトルが置かれていた。

 由美らしい。おそらく、うっかり飲まないように隠していたのだろう。


                  *


 その3。ドアのカギを開ける!

 なんでドアのカギを開けるのかって? ふふふ、それは後でのお楽しみお楽しみ。


                  *


 俺は玄関に向かった。ドアの鍵に手をかける。ふと、彼女がドアの前で待機しているんじゃないかと感じた。

 冷たい鉄扉の向こうで、声を押し殺しながら今か今かと彼女が待っている気がした。

 俺は鍵を外すと、そっと扉を開けて外を覗いた。

 そこに由美はいなかった。ただ、寒風が吹き込んできただけだった。

 ふっ、と俺は自嘲するように笑った。何を期待しているんだ、俺は。


                  *


 その4。あったかいお風呂に入る!

 体をぽかぽかにすると、復活の効果は高まるんだ。え、俺があったまっても意味ないって? まぁまぁ。


                  *


 風呂場に向かうと、まるで計ったかのように風呂が沸いていた。もしかして、彼女は全てを分かっていたのではないだろうか。

 俺は脱衣所で服を脱ぎ、湯船に体を沈めた。

 何日ぶりの風呂だろうか。いつもはシャワーだけで済ませていたせいか、とても心地よかった。

 自分を労わることなど、ここ何年もしていない。風呂の良さを思い出させてくれた彼女に、感謝しよう。

 俺は風呂出ると、再び自分の服に腕を通してリビングに戻った。


                  *


 さぁ、これで準備は完了だよ。

 音楽プレーヤーとワインを持って、ベランダに出るんだ。


                  *


 彼女の言う通りに、外へ出る。

 ひんやりとした空気が体を包む。風呂に入っておいて良かった。そうでなければ、復活の儀式を挫折してしまったかもしれない。

 なんて冗談を言えば、彼女は頰を膨らましただろうか。いや、そこまで彼女にはお見通しだったのだ。だから、俺を風呂に入れたんだろう。

 ベランダには、彼女の使っていた木製の椅子とテーブルが置かれていた。

 椅子に腰を掛けると、ぎしりと不穏な音がした。もしかしたら、しばらく使っていなかったのかもしれない。少し不安になりながらも、俺はワインボトルとグラスをテーブルに置いた。


                  *


 どう、星がよく見えるでしょ? 冬の星空はね、一年で一番奇麗なんだ。


                  *


「うん、とても綺麗だ」

 俺は夜空を見上げて、ひとり呟いた。空気が澄んでいるせいか、手で掴めそうなくらい星を近くに感じた。


                  *


 さ、儀式はこれから始まるよ。

 いい? じゃあまずは、イヤホンを耳に付けて、音楽プレーヤーをかけてね。

 なんの曲をかけるかって?

 そんなの、私のお気に入りの曲に決まってるでしょ。ゆみフェイバリットってプレイリストをクリック! こら、ダサいとか言わないの。


                  *


 カナル型イヤホンを耳にかけ、iPodをいじる。ダサい名前のプレイリストをクリックした。

 すると、流れてきたのはモーツァルトのピアノ・ソナタだった。

 心の底にしんしんと降り積もるような曲調は、俺のすさんだ心を覆い隠した。


                  *


 さ、それじゃ景気よくワインを開けてみようか。トクトクと注いで、ぐいっと一気に。

 へへ。お洒落じゃないけど、これが格別においしいのだ。

 優雅でしょ。星空を眺めてお酒を傾けるって。私も良くやってたよ。ただ、寒い日はやらなかったけどね。へへ、ごめんね。


                  *


 彼女の言うとおりに、ぐいと杯を呷った。胃に収まったワインが、体の芯から温めだす。

 悪酔いしそうだなと思ったが、あまり考えないようにした。今日だけは特別な日だ。明日がどうなろうが、知ったこっちゃない。

 まるで彼女の奔放さが移ったのか、酔いの回りが早いのか、俺は少し大胆になっていた。


                  *


 君は覚えているかな。

 いや、きっと覚えてるよね。私たちが初めて出会った日のこと。

 大学の頃だったね。健人は、最初から私にベタ惚れだったでしょ。わかるんだよ~。女の勘ってやつだね。

 たしか、私が学食でご飯を一人で食べていたときだったかな。そのときの私は、友達もいなくて、いつも一人だった。

 そんなときに、君は現れたんだ。大盛りの味噌ラーメンをトレーに載せて、どかんと、あたしの横に座ったんだ。

 それでラーメンをずずーっと食べてひと言。「うん、俺は塩のが好きだね」

 ぶっちゃけていいかな? いいよね。めちゃめちゃキモかったよ(笑)。会話のセンスなさすぎ(笑)。女の子を口説くなら、もっとトキめくような言葉を使わなきゃ。

 なんて。でもまぁ、ちょっぴり面白いなぁって思っちゃったけどね。だから思わず、「私もです」って答えちゃったし、次の日も君とお昼を食べてあげたんだから。

 あのとき、私がもっと落ち込んでて、誰とも話したくなかったりしたら、運命は変わってたのかな。

 それからは、ずっとお昼は一緒だったよね。雨の日も風の日も、そして風邪の日も。なんちゃって。

 そして卒業しても何度も出会って、私が遠くに異動しちゃったときでも、君は健気に付いてきてくれたよね。

 なんて、昔話に花を咲かせてもしょうがないね。もう、過ぎたことなんだから。


                  *


 グラスを傾けた手が止まった。俺は震える手で、一文一文を反芻して読んだ。

 なんだ、これは。彼女は、まさか……。

 背筋が凍るようだった。吐き気が止まらない。

 ピアノの音が、遠く聞こえる。テーブルにグラスを置こうとしたが、上手く置けなかった。テーブルが赤く染まる。


                  *


 ねぇ、ちゃんと読んでくれてる? それとも、もう寝ちゃったかな。

 それなら、この儀式も成功だね。

 これで君は今日、死なないでしょ。

 たぶん君は、あたしが死んだら自分も死のうと考えてたんじゃないかな。

 甘いあまい。あたしにはまるっとお見通しだよ。って、古いか。

 とにかく、君は生きなきゃダメだよ。そうじゃなきゃ、あたしが浮かばれないもん。


                  *


 立ち上がろうとして、酔いが回っていることに気づいた。瞼が重い。もう、動けそうもなかった。俺は全てを諦観して、ただ手紙に目をやった。それしか、俺にはなす術がなかった。


                  *


 もうイヴじゃなくて、クリスマスになったかな? それじゃ、そろそろだね。

 ほら、耳をすませて。

 って、寝ちゃってるかな。じゃあ、見えないかもね。


 真っ赤なサイレンを光らせてやってきてるよ、警察が。


 ごめんね。あたし、実は君に嘘をついたんだ。さっき送ってくれたLINEはね、先輩宛てじゃないんだ。あたしの相談している警察署宛てなんだ。

 なぜかって? それはもちろん、君があたしを殺したからだよ。

 当然の報いでしょ? ねぇ、人殺し。

 何度あたしが拒絶しても、帰り道に待ち伏せして、スマホを乗っ取って、私が体調悪くても、家にも勝手に入ってきて。


 あたし、絶対に許さないから。












 くたばれ、ストーカー殺人鬼


                  *


 本日未明、T市近郊のマンションにて、会社員の塩野由美さんが殺害される事件がありました。

 T署の職員が塩野さんから救難メッセージを受信し、自宅へ駆けつけたところ、塩野さんの遺体と仔犬の死骸を発見。ベランダで血みどろの服を着て眠っていた男を現行犯逮捕しました。

 逮捕されたのはT市在住で無職の稲垣健人容疑者で、二四日の深夜に女性宅へ侵入し、塩野さんを殺害した疑いがもたれています。

 女性は胸部を複数回刺されて即死。稲垣容疑者は犯行について、おおむね容疑を認めているとのことです。

 警察の取り調べに対し、「俺は彼女に告白して両想いになったはずだった。でも、彼女にとってはセンスのない冗談でしかなかった。俺の人生は、何だったんだ」と述べているとのことです。

 また、稲垣容疑者は大学時代から塩野さんにしつこくつきまとうなど、ストーカー行為を繰り返しており、ストーカー規制法に基づく禁止命令を受けていました。

 今回の事件を受けてT署は、「女性への対応について問題はなかった」として、警察側の不手際について否定しております。

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ホシのよく見える季節の夜 佐川信也 @douse-chibakenmin-dayo

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