Round 4
1. 磯村直樹 7:08 p.m.
「どうして、現行犯なのに逮捕できないんだよ」
三度お堀を渡りながら、勘太郎が不満をこぼした。夏至を過ぎたばかりの太陽は、やっと沈んだところだった。
「ひったくりに遭った本人が出てこないからだよ」と直樹は宥めるように言った。
直樹と勘太郎は必死に捕まえたひったくり犯を交番へ連れて行ったが、警察官の反応は二人にとって期待はずれなものだった。彼らは初めのうちこそ鋭い眼光で犯人を詰問していたものの、盗品が何なのかも、被害者がどこの誰なのかもわからないとわかると、一転して困惑した表情を見せた。
策略なのか、それともそれが本性なのかはわからないが、犯人は臆病そうに始終俯いたまま、「すみません、すみません」と謝罪の言葉を並べた。そのことも手伝ってか、結局、ほんの数分の簡単な現場検証が行われ、形だけとも思える調書が取られ、犯人に対して厳重注意が為されただけで、事態は収束した。
それでも、本人曰く「仁義を重んじる古風な男」である勘太郎は、交番の中で興奮気味に持ち前の正義感を披露し、抗議の弁を振ったが、警察官は「被害届が出てないと、逮捕はできないんだよ」とあくまで取り合わなかった。終盤は、犯人よりむしろ勘太郎を疎んでいた感すらあった。
「犯人が袋みたいなのを捨てたのって、確か、あの辺だったよな?」と直樹は百メートルほど先の草むらを指差す。
「さぁな。俺はあいつにぶつかられて倒れてたからな。それは見てないんだよ」
「確かにあのあたりなんだけどな」と直樹は納得のいかない表情を浮かべる。現場検証のときに警察官が探したが、空き缶しか見つからなかった。そのとき、武道館の方から大きな歓声が聞こえた。
「おい、もう始まってるぞ」
勘太郎が慌てて駆け出し、直樹もそれを追う。
「もう七時過ぎてるからな。何曲かは終わっちゃったんじゃないか?」
「もう七時かよ? あいつのせいで、時間食っちまったじゃねぇか」と勘太郎が忌々しそうに言う。
入場口の前には、五、六組の短い列ができていた。直樹と勘太郎はその最後尾に付く。自分たちの番が来て勘太郎が二人分のチケットを出したとき、どこからか悲鳴のような声が聞こえた。見ると、少し離れたところ、道路脇に生えている木の根元で、女の子が一人尻餅をついている。
「何やってんだろう、あれ?」と直樹は勘太郎に話しかけたが、勘太郎には届いていない。代わりにチケット係の男性が、「あぁ、気にしないほうがいいですよ」と言ったので、直樹は驚いた。
「おい、直樹、行くぞ」
すでに階段に足をかけている勘太郎が言った。直樹も一段飛ばしで階段を上る。
「ところで、席は何番なんだ?」
「二階席、東側Eの二十八番」
勘太郎は呪文を唱えるように言うと、武道館の中へと飛び込んだ。
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