Round 3
1. 磯村直樹 6:05 p.m.
「ここでロックのライヴやるっていうのが、すごいよな」
九段下の駅を出て、坂を上り、お堀を渡ったところにある一つ目の門を越えたあたりで、勘太郎が言った。「偉大なる不釣合いだよ。グレート・ミスマッチ」
「何だよ、それ」と直樹は馬鹿にしながらも、勘太郎の言いたいことは理解できた。
鬱蒼と茂る木々と古色蒼然たる石垣と門で囲まれたこの空間に、ドラムの音が響き渡ることを想像しただけで胸が高鳴る。勘太郎が言いたいのはおそらくそういうことだろうと、直樹は拡大解釈する。
「反対する人が出るのもわかるよな」と勘太郎が呟く。
「反対? 誰かがライヴに反対してるのか?」
「四十年前の話だよ」
「あぁ、ビートルズか」
洋楽にそれほど詳しくない直樹も、ビートルズが来日した際に、武道館でライヴをすることの是非について論議があったという話は聞いたことがあった。
「俺があと四十年早く生まれてたら、絶対見に来たよ。ビートルズ」
勘太郎はそう言って、興奮気味に「デイ・トリッパー」の歌詞を口ずさんだ。
武道館が間近に見え、二人が一頻り歓声を上げたあとで、勘太郎が急に、「おい」と低い声で言い、立ち止まった。
「どうした?」
「あれ、何やってるんだ?」
直樹は勘太郎の指差す方向を見る。人波から外れたところで、黒い服の男と荷物をたくさん持った女性が揉み合っていた。二人のそばには一人の男性がしゃがんでいる。揉み合っている二人はお互いに必死な様子で、悪ふざけをしているとか、じゃれ合っているのではないことは明らかだった。
「ひったくり」と直樹が呟く。
まもなく二人が離れ、女性が後ろに転んだ。男の方は手に袋を持ったまま、直樹と勘太郎の方へ逃げてくる。
「おい、こっちに来るぞ」と勘太郎が口早に言う。
男は走るのが速かった。あっという間に二人のところに達する。
「どうする?」
慌てた直樹が友人に尋ねる。
「捕まえるに決まってんだろ」と勘太郎は力強く言うと、その言葉どおり、男の前に飛び出した。男は突然行く手に現れた勘太郎を避けきれず、ほとんど真正面から衝突する。
鈍い音と、ふたりの「うっ」という声が混ざる。男の勢いに負け、勘太郎が後ろに倒れる。男もバランスを失って転び、派手に地べたを転がった。それでもすばやく立ち上がると、ふらつきながらも再び逃走を試みた。自分の手に握られているものを確認し、忌々しそうにそれを左手の茂みの中へ放る。金目のものではないことに気づき、捨てたのかもしれない。
「大丈夫か?」
直樹は、いまだ地面に座り込んでいる勘太郎のもとに走り寄る。
「痛ぇ…」と勘太郎は悲痛な面持ちで右肩を抑えながら、後ろを振り向く。「おい、あいつは? 逃げたのか?」
直樹は無言で頷く。
「何やってんだ、追うぞ!」
そう言うと、勘太郎は肩を抑えたまま立ち上がり、走り出した。直樹も続く。
「お前、大丈夫なのか?」
走りながら直樹が訊く。
「大丈夫じゃねぇよ。大丈夫じゃないけど、放っとくわけにいかないだろ?」
直樹は、現代的でチャラいと思っていた勘太郎の意外な一面を見た気がした。
「お前、本当に仁義を重んじる古風な男なんだな?」
「そうだよ。言っただろ? ってか、どこからどう見ても、そうだろ?」と勘太郎は笑みを浮かべる。
「いや」と直樹は即座に否定する。「グレート・ミスマッチだ」
左へ曲がり見えなくなった男の姿を、直樹と勘太郎は追う。走りながら、直樹はふと思った。あの男が持っていた袋は、自分が失くしたCDのバッグに似ていた気がしたけれども、気のせいだろうか?
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