2. 桐野修一 5:20 p.m.

 修一は電車を降りたところで電話をかけた。四回目の呼び出し音が途中で切れ、香夏子が出る。

「もしもし、着いた?」

「着いたよ。渋滞してて、思ったより時間がかかったけど。それで、新宿線の新宿駅っていうのは、何口から出ればいいんだい?」

「南口よ。いいわ、私も一度そっちに戻るから、南口の改札で落ち合いましょ」

 そこで突然、電話に雑音が入る。「痛っ。ごめんなさい。あ、大丈夫です。すいません」という香夏子の声がかすかに聞こえる。

「どうしたの?」と修一は尋ねるが、香夏子に届いているのかはよくわからない。ガサガサという、通話口のそばで紙を丸めているようなノイズが続いた後、「あ、ごめん。もうすぐ行くわ。また後で」という香夏子の声がして、一方的に電話が切れた。


 南口の改札を抜けると、まもなくして甲州街道のほうから香夏子が現れた。シルバー・レインのライヴが余程楽しみなのか、表情が晴れやかだ。

「時間に間に合ったわね。優秀、優秀」

「さっき電話してたときに、何かあったの?」

「あぁ、あれ? そこのハンバーガー屋で時間潰してたんだけど、お店を出たところでおじさんにぶつかって、バッグ落としちゃってさ。別に大したことじゃないわ」

「そう」

「ねぇ、それ何?」

 香夏子は修一が手に持っている青いバッグを見ながら、尋ねた。「あぁ、これ?」と修一は、そのバッグがいかに忽然と現れたかを説明する。


「突然車内にねぇ……」

話を聞き終わると、推理小説好きの香夏子は右手を顎にあて、思案する顔つきになる。

「たぶん、前のお客さんの忘れ物だと思うんだけど」

 その可能性は低いとは知りながらも、ほかに妥当な選択肢が見つからないので、修一は控えめにそう述べた。

「いや、違うわね」と香夏子がどこぞの名探偵よろしく、はっきりと言い放つ。「バッグが現れる前に、何か変わったことはなかった?」

「変わったこと?」と修一は生真面目に考える。「香夏子から電話があった」

「それのどこが変わったことなのよ」と香夏子は容赦なく切り捨てる。

「あ、人を轢きそうになった」

「それよ」と詳しい事情を聞きもしないで、香夏子は決めつける。「そのとき、車の窓が開いてたんじゃない?」

「開いてた、かも」

「それが、そのCDと何らかの関係があるに違いないわ」

「何らかって、どんな?」

「バッグはその人が持ってて、それが偶然車の中に入っちゃったとか」

「あるかなぁ、そんな偶然」

「さぁね」と香夏子は無責任に首を捻る。推理小説を片っ端から読んでいる香夏子が名探偵になれないのは、きっと根気強さと繊細さが足りないからだ、と修一は考えている。


「でも、何で修がまだ持ってるのよ? 車を届けた営業所に置いて来ればよかったじゃない?」

「もし前のお客さんの忘れ物だったら、車を返却した営業所に連絡を取る可能性が高いでしょ? それに、ほら、ここ見てよ」

 そう言って、修一は青いバッグを香夏子の鼻先に突き出す。

「『ビデオ・パラダイス 三鷹店』?」

 香夏子は修一が指で指し示した箇所を読み上げる。

「そうなんだ。うちの営業所のそばの店で借りられてるんだよ」

「なるほど。それで修が自分のところの営業所に持って返ることにしたのね。よく気づいたじゃない?」

「はは、まぁね」

 実際は、何も考えずにバッグを預けようとしたところを、高田馬場駅前営業所の職員に今言ったことを指摘されたのだが、修一はそのことに関しては言わないことにした。

「それで、どっちに行くの?」

「こっちよ」

 颯爽と歩き出した香夏子の後に、修一が続く。


「それにしても」と香夏子が言う。「ビデオ・パラダイスっていうネーミング、どうなのよ?」

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