三つの約束(了)

「俺、バイト辞めることにしたよ」

「へっ?!」

いきなりの辞める宣言に、あたしは変な声を上げてしまった。

宇木さんが、しーっと人差し指を口に当てて、苦笑する。

いくら河川敷に出たからって、この時間に大声を上げたら、宇木さんが犯罪者になってしまう。

あたしは、右手で自分の口をふさいだ。

そんなあたしを、宇木さんは優しく微笑んで、見下ろす。

「親父が死んでね。地元に帰って、家業の菓子店を継ぐことにしたんだ。大学は卒業出来ないけど、これから専門学校を探して、菓子屋になることにしたよ」

寂しそうに、悲しそうに……いや、実際悲しいんだろう、宇木さんのその微笑みが、あたしには何故か、すごく切なく映って。

どうしようもなく切なくなって、鼻の奥がつんとしてきた。

「遠藤さんが、もうちょっと色々仕事覚えるくらい、教えてあげられたら良かったんだけどね」

左手でチャリを支え、右手で頭をぽりぽりとかく宇木さんは、ちょっと無理してるように見えた。

「う、宇木さん……」

「うん?」

今言っても、どうにもならないことを言おうとして、あたしは口を少し開いて、そして、また閉じた。

「遠藤さんとは、カラオケ行きたかったなぁ」

「……宇木さん」

「ごめんね、色々と」

「……」

ああ、宇木さんは、あたしの気持ちに気付いたんだ。

気付いて、傷つけないように突き放そうとしてるんだ。

何でかそう思ってしまって。

女の勘なのかな。

分からないけど、本当にそう思ってしまって。

思ったら、喉の奥に何か熱いものがこみ上げてきて。

……苦しくて苦しくて。

「う……」

宇木さん。

宇木さん、宇木さん、宇木さん。

好きなのに。

大好きなのに。

今日、改めて、カラオケに誘おうと思ってたのに。

なのに……ここでお別れなの?

くちびるが震える。

涙が、一粒、頬をすべり落ちた。

叫びそうになる声を、立ち止まることで、辛うじて抑えた。

それに気づかなかった宇木さんが、三歩先に進んで、止まった。

背を向けたまま。

宇木さん。

宇木さん、宇木さん。

もうダメだ。

泣くのを我慢するなんて、もう出来ないよ。

振り向いてよ。

名前、呼んでよ。

また、頭、ぽんぽんってしてよ……!

「宇木さん……っ」

ぼろぼろっと、涙が滝のように、零れ落ちる。

あたしは立ち止まったまま、子供のようにしゃくり上げた。

顔も、手も、涙でぐしょぐしょだった。


かしゃん、と音がして、チャリをその場に置いた宇木さんが、戻ってきた。

ゆっくり。

そして、ぽんぽんと、優しく叩くように、頭を撫でた。

はっとして顔を上げると、

「そんなに泣かれるとは思わなかったよ。……困ったな」

と、言葉とは裏腹に、心底嬉しそうな宇木さんの顔が、月明かりに照らされた。

「俺の方が先に好きになったのに、気持ちで負けたのかな」

よしよし、と、頭を撫でる手が優しい。

「……みゆきちゃん、俺のこと、信じてくれる? 一緒に頑張ろうって、言える?」

一瞬、何を言われてるのか、分からなかった。

でも、宇木さんがあたしの名前を読んでくれたのに気付いて、びっくりして、嬉しくて、やっぱりびっくりして。

何も言えずに口をぱくぱくさせていると、

「俺のことは、博人って呼んでくれないと、ダメだよ?」

と、あたしの髪を一房、くりくりと指に巻きつけて、もてあそび始めた。

「三つの約束、出来る?」

にっこりと笑う。

「し、ます」

ぎこちなく首を縦に振ったあたしに、う……博人、さん、は、

「頑張ろうね」

と、もう一度優しく、頭を撫でてくれた。

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振り向いて、名前を呼んで。 斉木 緋冴。 @hisae712

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