その望月の男、藤原道長(了)

 数日後、飛香舎で月見の宴が催された。季節は望月の頃。藍色の空に、美しく、丸く輝く月の光を肴に、歌が交わされ、酒が交わされ、そして楽が奏でられた。紫式部は勿論、中宮付きの女房であるので、彰子の側近くに従っていた。

 所用があって宴席を離れたその時、紫式部は、渡殿で道長と行き合った。待ち伏せだった。

「彰子に釘を刺されてしまったよ。そなたに手を出すこと、許さぬと」

 くつくつと、喉の奥で笑う道長は、自信にあふれ、また、底意地の悪そうに見えた。

「そなたはどうなのだ。わしと彰子を、天秤にかけるか」

「そのようなことは、ございません」

「では……」

「私は、中宮彰子さまにお仕えしていることに、誇りを感じております。私は、中宮さまのものです」

 きっぱりと答えた紫式部に、迷いを見いだせなかったのか、道長は、

「ふん……いいだろう。わしも彰子には甘い父だ。娘のわがままを、聞いてやろう」

 道長は、少々不服そうではあったが、首を縦に振った。娘が可愛い故に、無理も出来ないのだろう。

「所要がありますので、失礼致します」

 紫式部が、その場を後にしようとすると、道長が、するりと道をふさいで、

「逃がす訳がなかろう」

と、紫式部の手首をぐっと引っ張り、腕の中に抱き込めた。

「道長さま!」

 腕の中でもがく紫式部を、道長は軽々と抱きしめて、かすめるような口づけをした。

「忘れるな。わしがいつでも、そなたを手に入れられることを」

道長は、甘く低い声で囁いて、あっという間に紫式部を解放して、去って行った。


 その望月の男は、美しい月のように光輝いて、そして、月のようにその姿を、心に刻んで行ったのだった。

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その望月の男、と、女。 斉木 緋冴。 @hisae712

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