第6話 ジュルチャガの結婚

 1


 ジャン・デッサ・ロー、という言葉がある。

 この世界を取り巻く〈大障壁〉のことなのだが、そこから転じて、あり得ないものを見たり聞いたりしたときの、驚きや嘆きを表す言葉として使われるようになった。

 この、大障壁よ、という慣用句をバルドは使った覚えがない。

 何しろ本物の〈大障壁ジャン・デッサ・ロー〉を目の前に見ながら、そこからあふれ出てくる魔獣と戦って一生を過ごしてきたのだ。

 使いたい気になるわけもない。


 だが、今日。

 今日、四千二百七十六年一月十七日。

 思わずバルドは、大障壁よ、という驚きの言葉を発してしまった。

 しかも二度。


 一度目は、もう帰って来ないと思っていたカーズがドリアテッサを連れて帰って来たのを見たときだ。

 もう一度は、そのドリアテッサがクリルヅーカから飛び降り、ジュルチャガに駆け寄って、こう言ったときだ。


「約束通り、嫁にしてもらいにきたぞ」


 ジュルチャガは、あたふたしていた。


「ちょ、ちょ。

 え?

 約束?」


「そうだ。

 あの滝のほとりからヒマヤに向かう道中で、私を嫁にもらってくれると言ったではないか。

 忘れたのか。

 ひどいやつだな」


 あの滝のほとりからヒマヤに向かう道中で、だと。

 それはバルドの記憶にもない。

 そんなことがあったのか。

 バルドが混乱しているのを尻目に、ジュルチャガは立ち直った。

 そして右手を左胸に当て、右膝を地に突き、こうべを垂れて、こう言った。


「ドリアテッサ姫。

 このジュルチャガめの妻となってくださいませ」


「はい。

 喜んで」


 バルドの頭はまだ真っ白で、何もまともに考えられない。

 あとで振り返ってみて、素早く立ち直って求婚したジュルチャガは偉大な男だと思った。


「ジュルチャガ。

 ずいぶん立派な村だな。

 驚いたぞ。

 他の街との取引などで、いろいろ問題が起きてきているらしいな。

 お前が私の婿になるという形にして、ここをコヴリエン子爵領の飛び地ということにしてはどうだろう。

 お前は子爵の夫として、領地を代表して交渉をする資格を得る。

 大ゴリオラ皇国の皇王陛下の直属貴族の直轄領だ。

 辺境中でも最も格上となるぞ。

 ヒマヤの領主など足元にも及ばない」


「でもそれって、この領地がドーラのものになるってことだよね」


「そうだ。

 私がコヴリエン子爵だからな。

 土地も、家も、家畜も、領主のものだ。

 村民も、家臣あるいは領民として、みんな私のものになる」


「ひ、ひどいや。

 おいらから何もかも奪うつもりかい」


「そうだ。

 だからお前は私を奪え」


 そこでジュルチャガは、そのようにした。


 2


 何もかもが夢のように進んでいった。

 そして今日、四月一日、結婚式が行われている。

 花のじゅうたんのような春の野原で。


「わっはっはっはっ。

 伯父御おじごはとんでもないにぶちんですな。

 まさか気付いておられなかったとは。

 ジュルチャガとドリアテッサ殿は、いつも仲良くくっついていたではありませんか。

 並んで滝つぼを見下ろしたり、花や鳥の名を教え合ったり。

 どこからどう見ても恋人同士でしたぞ」


 まさかゴドン・ザルコスからにぶちんだと笑われようとは。

 悔しい。

 悔しいが、言い返せない。

 なぜこの場にゴドンがいるかというと、皇都に向かう途中、イザクロスの街で、たまたまファファーレン家の行列に行き会ったのだ。

 イザクロスはマイラオ城の南西十五刻里ほどの距離にある、ゴリオラ皇国最東端の街である。

 先だってバルドが皇都に行きかけたとき、ゴドンにも皇王から使いが行き、バルド殿もお越しゆえ、どうぞ客として皇都にお越しいただきたいと招きがあった。

 そのときは領内ががたついていたため出掛けられなかったが、もめごとが落ち着いたので、従者一人を連れて皇都に向けて長い旅に出たのだ。

 てっきりバルドが皇都に滞在しているものと思って。

 そうしたところ、イザクロスの街で、馬車四十台と騎士六十人の行列が辺境に向かうのを見た。

 あれは何かと訊けば、ファファーレン侯爵様の愛娘、剣姫ドリアテッサ子爵様の婚礼の行列とのことです、との答え。

 てっきりドリアテッサがいるのかと近づいた。


 そんなゴドンに気付いた人物がいた。

 カリエム侯爵夫人である。

 この聡明そうめいな女性は、従者一人を連れたゴドンを見て、あれは皇都に向かわれるゴドン・ザルコス様では、と見当をつけた。

 そして側仕えの騎士をあいさつにやらせた。

 この騎士は夫人の実家の公爵家から遣わされた騎士であり、今回の一行の中ではアーフラバーンに次ぐ身分である。

 カリエム侯爵夫人はこの邂逅かいこうを大いに喜び、ゴドン・ザルコスをフューザリオンにいざなったのである。


 この賢夫人は、式を執り行うための神官と、そして画家を帯同した。

 皇都でも有名な腕のよい画家であるという。

 その第一の役割は、ジュルチャガとドリアテッサの絵を描いて、皇都で寂しく留守番をしているファファーレン侯爵への土産みやげとすることである。

 が、カリエム侯爵夫人には、さらにもくろみがあった。

 バルドとカーズと、そして自分が描かれた一枚の絵をものにすることである。

 これにゴドンも加えることができるのだから、夫人の笑みは深いものとなった。


 フューザリオンに到着した夫人の弁舌に圧倒され、バルドはあとでデッサンのためのポーズ取りをすることを約束させられてしまった。

 どうにもこの夫人は苦手である。


「あら。

 バルド様。

 このおなごは苦手だな、という目つきをしておられましたことよ」


 こういう点が苦手なのである。

 さすがに魑魅魍魎ちみもうりよう跋扈ばっこする皇都の社交界に長年君臨し続けてきただけの人物である。

 剣を取っての戦いならいざしらず、言の葉を交えるやりとりでは、とても勝ち目がない。


 だが、この夫人には感謝しなくてはならない。

 ドリアテッサの冒険についてうまくうわさを操って、妙な風聞が広まる前に、神話的な物語として流布させたのもこの人物である。

 その神話は、重税と戦乱と出兵と貴族たちの陰謀で明るい話題のなかった皇都に、さわやかな風を吹かせた。

 皇王にとり政治的に非常に大きな力添えとなった。

 不思議で偉大な出来事が起きるのは、皇王の治世を神々が祝福しているしるしだからである。

 だからこの女性が実家を通じて、ジュルチャガには準貴族の身分を与えるべきだと奏上したとき、皇王はわが意を得たりとうなずいた。

 それは英雄バルド・ローエンの出現を重くみているというしるしであり、そのことによってドリアテッサの冒険譚全体が重みを増すことになる。


 その準貴族の身分があったから、今回の結婚が可能となった。

 準貴族は平民であるが、貴族の女性が爵位と領地を保持したまま嫁ぐことができるという特権が与えられている。

 歴史的な必要からそうなったのである。


 なんとカリエム侯爵夫人は、最初にドリアテッサから冒険の話を聞いたとき、ドリアテッサの思い人はジュルチャガであると見抜いたという。

 だから少々強引にジュルチャガを呼びつけた。

 ジュルチャガとの話の最後にカリエム夫人は韜晦とうかいに混ぜて、ドリアテッサの本当のお相手は、お三方のうちどなたですの、と訊いた。

 お三方、とは〈三柱の英雄〉たるバルド、ゴドン、カーズのことである。

 ジュルチャガは答えをにごした。

 するとカリエム夫人は、追撃の言葉を放った。

 それとも、もう一人のおかたかしら、と。

 あのときのバルドの一行は、ドリアテッサのほかには四人しかいないのだから、もう一人のおかた、とはジュルチャガを指す。

 この思わぬ一撃に、ジュルチャガはうまいごまかしの言葉も浮かばず、愛想笑いをするだけだった。

 それを見て夫人は満面の笑みを浮かべたのである。


 3


「いや。

 まさかバルド様がお気付きでなかったとは驚きです。

 お気付きだからこそ、ジュルチャガを付けてくださったものとばかり思っておりました」


 と傷ついたバルドの心に追い打ちをかけたのはアーフラバーンだ。

 この男は、弟二人を連れてこんな辺境まで妹の結婚式を仕切りにやって来た。

 膨大な物品を持ち込んで。

 それはそのあと村の財産となり、また備品として利用される。

 アーフラバーンは、辺境でバルドたちと合流してすぐ、何となくジュルチャガが怪しいと感じていた。

 そしてトライの港でバルドたちと別れることになったとき、ひどく悲しげだったドリアテッサの顔が、ジュルチャガをドリアテッサに同行させるというバルドの声で、ぱっと明るく輝くのを見て強い疑惑を持った。

 皇都までの道中で、疑惑は確信に変わった。


「まあ、二人ともそんなことは言葉の端にも乗せませんでしたがね。

 私は腹が立って仕方がないので、ジュルチャガを練武場に連れ込んだのです。

 そこでこやつが、何とぬかしたかお分かりですか」


 それは見当がつく。

 斬れるものなら斬ってみろ、かわしきってみせる、とか何とか言いそうだ。


「そうなのです、エントランテ。

 私が靴の裏以外を地につけたら、自分の勝ちだというのです。

 ただし自分は攻撃はせずに逃げ続けると。

 あんな侮辱を受けたことはありませんでしたな。

 なにをふざけたことをと。

 ちょうどよいから悪い虫をたたきつぶしてくれる、という気になりました。

 ドリーの手前、殺してしまうわけにはいきませんが、首の一、二本は斬り落としてやろうと。

 魔剣を取って斬り掛かりました。

 ところがこやつは私の攻撃をことごとくかわしてしまいました。

 最後には私が足をもつれさせて転んでしまったのです」


 そういえば、魔獣の大襲撃のとき、おいらが斬れるほど上達したんだとか何とかジュルチャガがアーフラバーンに言っていた。

 そういうことがあったからなのか。


 それにしても。

 それにしてもである。

 よくもこんな遠くの蛮地に、ゴリオラの大貴族が娘を嫁に出せたものである。

 貴族としての体面からいって、それはできがたいことではないのか。

 格にそぐわない振る舞いをすれば、ファファーレン家の権威は傷つき、侮りを受ける。

 名誉とは、貴族家にとり何よりも大切な基盤といってよい。

 これはゴリオラ皇国の中でドリアテッサの婿にカーズを迎えるというのとは、まるで話が違う。

 よくもこんなことができたものだ。

 バルドがそうアーフラバーンに言うと、大いに笑われた。


「はっはっはっはっは。

 それはあなたがおられるからです、エントランテ。

 英雄バルド・ローエン卿とカーズ・ローエン殿の後見のもと、ジュルチャガがフューザのふもとに村を開いた。

 それは新たな伝説なのです。

 何か偉大なことが、辺境の奥地で始まろうとしているのではないか。

 一部の貴族たちはそう噂し合っています。

 何にしてもジュルチャガは、貴族ではないけれども領地持ちになったわけです。

 ここを発展させ、皇王陛下に献ずれば、やがて貴族にもなれましょう。

 何より、求婚の使者にみえたのが、かのカーズ・ローエン殿なのですからな。

 これ以上の使者はないといってよいでしょう。

 ドリアテッサを妻に迎える使者がカーズ・ローエン殿だということになれば、わが家も他家に対して大いに面目が立ちます。

 断りようなどないではありませんか」


 何だかよく分からない話である。

 だがしかし、一つはっきりしたことがある。

 それは、カーズ・ローエンはバルドが期待したよりもはるかに、ゴリオラ皇国では重くみられている、ということである。

 重くみられているどころではない。

 結局のところ、事はバルドの当初の思いとは違い、カーズがジュルチャガの使者としてファファーレン家を訪れ、ドリアテッサを妻にもらいたいと申し出た、ということであったのだ。

 持参金などまったく持たずにである。

 にもかかわらず、ファファーレン家は、カーズ・ローエンが使者であるというそのこと自体を名誉と受け止め、ドリアテッサを嫁に出した。

 それで周囲の貴族たちにも顔が立つと考えたのである。

 うれしかった。

 カーズ・ローエンがそこまでの男と認められている、ということが無性にうれしかった。

 バルドは少しだけゴリオラ皇国の印象をよくした。


 だが待て。

 おかしいぞ。

 前にゴリオラ皇国に行ったとき、カーズはなぜアーフラバーンと闘ったのだ。

 念のため徹底的にたたきのめしておいた、と言っていなかったか。


「ぐ。

 そのことですか。

 カーズ殿が、自分にも勝てないような者にバルド・ローエンを呼びつける資格はない、と言ったのが発端ではあったのです」


 こら、カーズ。

 わしが聞いていたのと、ずいぶん言い回しが違うようだが。


「実はその前に私はドリーと口論をしておりましてね。

 辺境競武会の総合部門で優勝したという報告には驚き喜びました。

 しかし、その褒賞としてパルザムで女武官の指導役という栄職を得たと聞いて、父も私も愕然がくぜんとしたのです。

 いささかパルザム王太子殿下のお考えに理解しがたい点があると。

 ありていにいえば、憤慨したのです。

 わが家の姫を当主に断りもなくそのような役に任じ、遠いパルザムに長期間呼びつけるとは何事かと。

 そしてドリーに、できるだけはやくお役を済ませて帰国し、そのあとは家に落ち着くようにと、懇々と諭したのです。

 するとドリアテッサのほうも興奮して、自分の生き道は自分で決める、自分にはもう好き合う人がいるのだと言い出しました。

 本当のところを申しますと、辺境競武会が終わったあとジュルチャガが一緒ではなかったので、私たちは安堵したのです。

 やはり二人はあまりに生き方が違うと、思い分けてくれたのだろうと。

 そこにこのドリアテッサの言い分です。

 売り言葉に買い言葉で、大げんかになってしまいました。

 それでいささか気の立っているところでカーズ殿と話をし、いずれバルド殿を皇都にお迎えしたいと申したところ、そのように言われました。

 見下したような言い方に私はつい反発し、わが家の姫を妻にせんとする者は、それだけの武威を持たねばならない、と言ったのです。

 ジュルチャガのことを言っているのだと、カーズ殿もすぐ気が付き、こう言い返してきました。

 ジュルチャガは俺の兄らしい。

 俺はローエン家の剣。

 ジュルチャガの敵は俺の敵だ。

 つまり俺が卿に勝てば、ジュルチャガはドリアテッサ殿を妻にできるのだな、と。

 ここまではっきりと宣言されては、もうこちらもあとに引けません。

 私たちは試合ではなく決闘をしました。

 立会人は並の者では務まりませんから、キリー・ハリファルスに来てもらったのです。

 私はこの世に自分がまったく歯の立たない相手が存在するのだと知りました。

 骨の髄まで思い知らされましたとも」


 そのあとカーズはキリーに試合を申し込まれ、打ち破ったのだという。

 その話が皇王のもとに届いてしまった。

 英雄バルド・ローエンの息子にして一の弟子カーズ・ローエンが、ゴリオラ皇国の騎士の武威を試しにやって来た。

 その試練に合格すれば、つまりカーズ・ローエンからただ一本でも取れれば、バルド自身がやって来てくれるらしい。

 なぜかそういう話になった。

 ただちに皇都中の、いや国中の豪傑達人が呼び集められ、あいだに日をはさみながら計六日、二十四人の挑戦者がカーズに挑み、そしてことごとく敗れ去った。

 この日から、修練を積んでいつかカーズを破り、バルド・ローエン卿を皇都に招くことがゴリオラの剣士たちの夢となったのだという。

 だから大臣たちの口車に乗せられて皇都に来かけたバルドが、マヌーノの女王から呼び出しを受けるという世にも不思議な形で皇都の直前で姿を消したことは、やはり武の技をもって試練を果たさないうちは戦神マダ=ヴェリの化身たるバルドには面謁めんえつできないのだ、というように受け止められたらしい。


 この顛末を聞いて、バルドは脱力した。

 そしてあらためて思った。

 決してゴリオラには、皇都には行かない、と。


 あとになって、カーズのいない場所でアーフラバーンが補足の説明をしてくれた。

 なぜあいだに日をはさみながら六日というような長い期間になり、二十四回というような多い試合数になったかについてである。

 最初皇王は、三人の精鋭との勝負を予定したらしい。

 ところがこれを聞きつけた有力騎士たちが、ぜひにカーズの戦いを見届けたい、と願い出てきた。

 有力騎士たちの中には、元老院に席を持つ者や、強大な騎士団を率いる騎士たちもいた。

 皇王は、彼らの願いを許すしかなかった。

 問題は試合会場である。

 皇王は皇宮を出ることができない。

 だが皇宮内で皇王が観戦できる試合場など限られている。

 収容人数は少ない。

 だから何度にも分けて試合を行い、観戦は誰もが一試合のみ、という条件を付けた。

 ところがこれでは収まらなかった。

 後宮の女性たちも、観戦を申し出たのである。

 非常に熱烈に。

 皇后たちはこぞって観戦を願い出た。

 姫たちもである。

 その鬼気迫る熱意に、皇王は首を縦に振るしかなかったらしい。

 そしてそれを聞きつけた有力貴族家の婦人たちが観戦を願い出た。

 あのカリエム侯爵夫人のごとき女性によしようたちがこぞって観戦を願い出たというのだ。

 皇王やその官僚たちの苦労は察するにあまりある。

 結局六日間二十四試合という、カーズの都合はまったく無視した日程となった。

 問題は誰にどの試合を見せるか、の割り振りである。

 なにしろこの試合は、カーズが一度でも負けたらそれで終わりなのである。

 最初にそういう条件で話を進めてしまった。

 しかし観戦を楽しみにしている大貴族や婦人たちが、カーズ殿が敗れましたので試合は中止になりました、で済むわけがない。

 この難問には皇后たちが救いの手を差し伸べた。

 なんと彼女たちは、自分たちの観戦は日程の最後のほうでよい、というのだ。

 つまりそれは、カーズは負けない、と信じているということである。

 おそらく試合が進むあいだ、皇王ほど心の底からカーズの勝利を祈った人はいないに違いない。

 こんなことならカーズを呼んでの試合など思いつくのではなかったと、きっと思っていただろう。

 果たしてカーズは勝ち進んだ。

 観戦者には随行者の数が定められていた。

 後半戦に入ると、連れて行ってくれとせがむ夫や父を振り払って、お気に入りの侍女と共にうきうきと皇宮に出かける大貴族の妻や娘が、皇都のあちこちでみられたという。

 カーズは勝ち続け、すべての試合が終わると、さっさと皇都をあとにした。

 貴婦人たちから届けられた大量の贈り物をファファーレン邸に置いたまま。


 4


 すると、パルザムの王都でカーズがドリアテッサへの求婚者たちを手厳しく蹴散らしたのは、ジュルチャガのためだったのだ。

 そう考えれば、納得できる。

 なるほど。

 いや、待て。

 あの件は、どうなる。

 ドリアテッサは風神ソーシエラに供物を捧げていたではないか。

 あれは確かに恋の供犠くぎだった。

 ソーシエラを守護神とする者は、カーズしかいないはずだ。

 この疑問には、ジュルチャガ本人が答えた。


「あ、言ってなかったかなー。

 あのね。

 おいら、準貴族にしてもらったじゃん。

 そのとき、守護神を決めなくちゃならなかったんだ。

 交易神エン・ヌー様にしようと思ったんだけどね。

 なんか、いかにも商人ですって感じだから嫌だって、ドーラが言うんだよ。

 風の神ソーシエラがかっこいいからそっちにしろって。

 えへへ」


 何が、えへへじゃ。

 あ、そうか。

 とバルドは心づいた。

 パルザムの王都で、ジュルチャガはしょっちゅう留守にしていた。

 情報収集に走り回っているのだろうと思っていたが、たぶんそれだけではない。

 こっそり王宮に忍び込んで、ドリアテッサとの逢瀬を楽しんでいたのではないか。

 そういえばドリアテッサがあれほど頻繁にトード邸を訪れたのも、理由の半分以上はジュルチャガに会いたいためだったのか。

 バルドと周りとの会話をずっと黙って聞いていたカーズが、ぽつりと言った。


「おやじ殿。

 すると、まさかとは思うが。

 俺とドリアテッサが思い合っていると思っていたのか」


 ほかに答えようもなく、そうじゃ、とバルドは答えた。

 春なのに、カーズの視線がとても冷たく感じられた。


 5


「そういえば、ジュルチャガ。

 お前のご両親の名を教えてくれ」


 というドリアテッサの質問に、ジュルチャガが答えた。


「うん。

 母ちゃんの名前はワナリー。

 父ちゃんの名前は知らない」


「おいおい。

 父御ててごの名が分からんということはあるまい。

 母御ははごに訊かなかったのか?」


 と横から口を挟んだのはゴドンである。


「うんにゃ。

 ゴドンの旦那。

 母ちゃんも知らなかったんだ」


「いくらなんでも自分の夫の名を知らんということはあるまい」


「だからね。

 父ちゃんは、とっても逃げ足の速い人だったんだ」


「そういう意味じゃったのか!」


 6


 あとになって、バルドは気付いた。

 カーズの働きについてである。

 フューザリオンという村をジュルチャガが作ったこと。

 つまり小なりといえど、おのれの領地を切り開き打ち立てたこと。

 そうしたことは、カーズがファファーレン家に伝えたはずである。

 なにしろカーズの口よりほか、アーフラバーンやドリアテッサが、そのことを知る方法はなかったのだ。


 そうした説明を、カーズはした。

 そしてまた、その領地にドリアテッサを妻に迎えたいと、カーズは言ったはずだ。

 そうでなくては、これだけの一団がわざわざ辺境遙かなフューザリオンにやって来ることはなかった。

 正確に場所も伝えたのだろう。

 またその話は皇王の耳にも入った。

 カーズは皇都でそれだけの打ち合わせを済ませてきたのだ。


 ジュルチャガとドリアテッサの結婚が、周囲に祝福された幸福なものとなるよう、カーズは重い口を開いて、種々の説明と説得を行ったのだろう。

 そういえば、ドリアテッサはフューザリオンに到着するなり、村の実情にずいぶん詳しいことを示してみせた。

 それも当然、カーズから聞いたのだ。


 ああ!

 ああ!


 カーズ・ローエンは、ジュルチャガとドリアテッサのために、精いっぱいの熱弁をふるったのだろう。

 この寡黙な男の、一世一代のしゃべりだったにちがいない。

 なんとうれしいことではないか。

 そのカーズの姿を見てみたかったわい、とバルドは思った。


 7


 それにしても驚くべきは贈り物の多さだ。

 だがそのことをアーフラバーンに言うと、この新婦の兄はじつに微妙な笑顔を浮かべた。


「いや、じつのところ、やがてこの何倍もの、あるいは何十倍もの贈り物が届くでしょう。

 皇王陛下にはこの結婚のことはお届けしましたし、カリエム侯爵夫人にも報告しましたが、本当のところ現在はごくごく内密にしているのです」


 こんな派手な行列を組んでおきながら内密もないものだと思ったが、少し詳しく話を聞いて納得した。

 ファファーレン家は多くの貴族をその傘下に抱えている。

 伯爵家だけで二十家に及ぶという。

 傘下の貴族家では、ドリアテッサの嫁ぎ先が注目されていた。

 アーフラバーンがにらみを効かせているのでなければ、すさまじい求婚合戦となっていたはずなのだ。

 だがまさか国外の、しかも貴族家でさえない家に嫁ぐとは。

 そんなことを聞いたら、なんとしても結婚を取りやめさせ自家の嫁にと望む者が続出するだろうというのだ。

 だから結婚の事実を作り、そのあと時間をおいて傘下の家々には連絡を取るつもりなのだという。

 そうなれば各家は納得せざるを得ない。

 そして、たとえ辺境の地の果てだろうが贈り物を届けようとするだろう。

 アーフラバーンの説明は、ざっとそんな内容だった。


 めんどくさいものじゃのう、とバルドは思った。

 そして、ふと思った。

 アーフラバーンは、いつドリアテッサへの思慕を思いきったのだろうかと。

 その思いを断ち切ったからこそシャンティリオンの妹を娶ったはずである。

 まさか本人に訊くわけにもいかないので、落ち着いたらジュルチャガに訊いてみようと思った。


 8


 子どもたちも村人たちも大喜びで大騒ぎして、そして結婚式は終わり、一同は帰って行った。

 たくさんの贈り物を残して。

 皇王その人からも馬車二台分の祝いの品がことづけられていた。

 ゴドンも領地に帰った。

 また時々来ると言い残して。


 恥のかきついでにドリアテッサに訊いた。

 いつからジュルチャガが好きだったのかと。


「それは、たぶんあのときです。

 バルド様が、カーズ殿に名を授け、騎士の誓いをさせたあと、ジュルチャガが言ったでしょう。

 いいな、いいな、おれにもそれをやってくれ、と。

 それを見ていて思ったのです。

 こんなにも自由で、こんなにも素直な人のそばでなら、自分も自由に素直に生きられるのではないかと」


 結局入り婿の形は取らなかった。

 取らずとも、これだけ派手な婚礼行列がヒマヤに宿泊したのである。

 領主以下おもだった者が肝をつぶしてあいさつに来たらしい。

 目もくらむような高位の貴族たちと騎士たち。

 それは、辺境の北の地に生まれた村の長が、なんとゴリオラの侯爵家から嫁を取る行列であるという。

 これほどの身元証明はないといってよい。

 つまりことさら子爵領としなくても、フューザリオンの存在は認証されたのである。

 しかも直接ゴリオラの高位貴族とつながるらしい強力な村として。


 単なる平民の村長であることは将来のためによくないと、家名を定めることになった。

 オルガザード家。

 それがジュルチャガを初代として創設された家である。

 もともと準貴族になったときに家を立てることができたのだが、ローエン家の身内であるから今は家名は必要ないと、保留していたらしい。

 この家名は、どこの国に従属するのでもない独立の家としてゴリオラの記録に記される。

 パルザムやガイネリアにも伝えられるだろう。


 四千二百七十六年四月。

 フューザリオンという村が、正式に発足した。

 それは小さな小さな村である。

 今は、まだ。

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