第5話 祝福の大地

 1


 バルドには懸念があった。

 この場所は村を作るによい土地だ。

 よすぎる。

 村の南側には広大な緑の平野が広がり、そのさらに向こうには南から東にかけて山脈が広がっている。

 村の北側にはこれも広大な森林が広がり、ずっと大障壁のほうまで続いている。

 村の東には清流が流れており、少し西に行くと、ずっと大きな川がある。

 地味も豊かで作物をよく育てるだろう。

 放牧にも適している。

 多種多様な動物もいるだろう。


 ということは、それらを捕って食う巨大な獣も多いということである。

 現に樹海から南下する途中、多くの猛獣を見かけたし、襲われもした。

 防げない。

 こんな場所では防ぎようがない。

 今は少人数で固まっているから、バルドとカーズで撃退することもできる。

 しかしずっと皆についているわけにはいかない。

 ここではとても人の集落は作れないのである。

 これまで村があったのが不思議なぐらいだ。


 この場所では、木も草も獣も大地も強すぎる。

 人がどこかに住み暮らすというのは、いわばその地の自然と戦い、勝ち続ける、ということである。

 生きる、というのは自然との戦いなのだ。

 自然がおのれを守る力の強い地では、人は侵食され、蹂躙される。

 ささやかな開墾は、自然がおのれを取り戻そうとする力の前に押しつぶされる。

 か弱い人間は、獣や鳥や虫たちの食い物とされてしまう。

 自然の力を押し返せるほどの人の質と量がなければ、村などはまたたく間に消え去ってしまうのだ。

 そうでなくても辺境は自然の力の強い場所だが、ここはまた格別である。

 こんな場所に村などを作っても、長期にわたって維持することなど、できはしない。

 

 バルドが難しい顔をしているのを見て、ザリアがわけを訊いた。

 バルドは自分の懸念を率直に話した。

 ザリアは小屋の隅に行き、そこに積んでいたものをつかんでバルドに見せた。

 それは焼け焦げた何かの野菜だ。


「分からないのかい。

 エガルソシアだよ」


 エガルソシア!


 バルドは思い出した。

 この老婆からその特質については教えられていたのである。

 その後実際に見たし、食べたし、その効能をまざまざと感じたことがある。

 三年前。

 リンツからフューザを目指して出発し、山の中で愛馬スタボロスが死んだ。

 その少し北にある村で古代剣を手に入れ、そのさらに少し北で騎士志願の少年がいる家に泊めてもらった。

 その家のある場所はエガルソシアの自生地だったのである。

 その辺りでは、エガルソシアは青巻菜と呼ばれていた。

 食べて美味でいろいろな調理ができる野菜なのだが、実は滋養豊かで薬草としても効き目が高い。


 それだけではない。

 これが生えている場所には野獣たちが近寄らないのだ。

 茎の煮汁をマントや馬車に塗るだけでも野獣よけになる。

 その効能の確かさは、バルド自身が使って実感したものだった。

 ただ、エガルソシアという野菜は、非常に土を選ぶ。

 というより、自生している場所以外、どこに持っていっても育たない。

 育て増やすのは極めて難しい野菜なのである。


「あたしの旅の目的の一つは、これを育てられる土地を探すことだったのさ。

 この森の際に、ほんのわずかに自生しててね。

 ここに小屋を作って、いろいろ試してたのさ。

 この平野も森も、試した限りの遠くまで、エガルソシアが育つことが分かった。

 だからね。

 野獣に襲われない村を、いや国でも作ることができるのさ、ここにはね。

 ほら、この袋をごらん。

 これに入ってるのは、みんなエガルソシアの種なのさ。

 焼けたあとはよく作物が育つ。

 三か月もしたら、そこら中に立派なエガルソシアが成っているさ」


 なんということだろう。

 ここはまさに祝福された大地だったのだ。


 2


 村長になったジュルチャガがまずやったのは、死者の埋葬だ。

 すさまじい火災だったから、粗末な作りだった家は完全に焼け落ちて、跡形もない。

 しかもそのあと大雨に流されているのだから、なおさらである。

 死体も焼けて流されてしまっているのだが、泥をすくうと少しばかりの骨が出てきた。

 これを袋に入れ、馬で窪地に運び、土を掛けて墓地とするのだ。


 ジュルチャガはこれをあえて子どもたちに手伝わせた。

 小さい子どもたちは震えて泣いた。

 怖がる子どもたちを優しくなだめながら、ジュルチャガは言った。


「怖いかい。

 怖かったらね。

 拝むといいよ。

 ほら。

 こうやって手を合わせて拝んでさ、話し掛けてあげるんだ。

 痛かったかい。

 熱かったかい。

 苦しかったかい。

 もう大丈夫だよ。

 神様のお庭に行けば楽しいことが待ってるからね。

 神様のお庭に迷わず行けるよう、ちゃんとお祈りしてあげるからね。

 そうしたらみ使い様が祈りの言葉を聞きつけて、迎えに来てくれるからね。

 そう言って拝んだら、怖くなくなるよ。

 本当に怖かったのは、つらかったのは、死んじゃった人のほうなんだ。

 だからこうやって拝んであげな」


 やがて子どもたちは泣くのをやめ、一生懸命死んだ村人たちを拝み始めた。

 その中には父や母もいるのだろう。

 バルドもまた、死者に手を合わせた。


 3


 カーズをヒマヤのみなとに行かせた。

 ヒマヤはオーヴァ川の東岸にあって、辺境としてはなかなか栄えた街である。

 以前、ドリアテッサと出会って魔獣を倒し修行をつけたあと、アーフラバーンたちと共にオーヴァを渡ったとき宿泊したことがある。

 とにかく、まず塩が要る。

 建築工具、農具、服、その他買いたい物がたくさんある。

 金はあるのだ。

 大赤熊の代金やファファーレン侯爵から受け取った旅費はもちろんのこと、バルドもカーズもジュルチャガも、諸国戦争での功績に対してかなりの報奨金を受け取った。

 バルドなど、あまりの大金に全部を受け取ることができず、大半はパルザムの王宮に預けてあるほどなのだ。

 使えるものは使う。

 フューザリオンでの生活基盤を築く上で、資金に不自由しないというのは大きな利点だ。

 今までもこの辺りに流れてきた人間は少なくなかったはずだが、ここでは身一つでの開拓などまったく不可能であり、森の暴威の前に消えていくしかなかった。

 フューザリオンは、その轍を踏んではならない。

 しっかりした出発をすること。

 それこそが大事である。


 カーズが留守のあいだに、小屋を補修し、その周りを片付けた。

 焼けた木がいくらでもある。

 そして焼けた木というのは腐りにくいから、加工しにくいという欠点はあるが、当座の補修には重宝する。

 小屋の周り四か所に小さな畑を作り、エガルソシアを植えた。

 魚をたくさん獲った。

 冬に備えて干物も作りためておかねばならない。

 バルドが弓で泳いでいる魚を射るのを見て、みんな目を丸くしていた。

 そして自分たちもやりたい、と言い出した。

 バルドがこれをできるようになったのは十歳になるかならないかのときだ。

 たぶんクインタがちょうどその年頃だ。

 セトはもう少し幼い。

 バルドは彼らに弓を作ってやり、こつを教えた。

 クインタはびっくりするほど勘がよかった。

 筋肉の力も強い。


 この子は騎士に向いているのではないか。


 という考えが浮かび、わしは馬鹿かと自分を笑った。

 無論自衛ができる程度のわざを覚えておくのはよい。

 が、好んで人殺しの技を教えることはない。

 この村にはほかにやらなくてはならないことがいくらでもあるのだから。


 4


 カーズは二十八日で帰って来た。

 聞けば行きに五日、買い物に二日、帰りに二十一日かかったという。

 カーズが愛馬サトラを駆って五日かかったというのだから、あまり気楽に行き来できる距離ではない。

 買い物は、馬を一頭と、その馬に引かせた荷車一杯の荷物だ。

 塩が一か所ではそろわず、何か所も回ったという。

 辺境の街で一人の男が買うにはひどく大量の買い物なので、新しく村でも出来たのかと訊かれたようだ。

 ろくに返事もしなかったようだから、ここに村が出来たとは思われていないだろう。

 幸いカーズはどう見ても農民や開拓者にはみえない。

 だが何度も買い物に行けば、ここのことは知られてしまう。


 話を聞いた盗賊もそのうちやって来るだろう。

 ここは人里からはるかに遠い。

 悪さをしても捕まらないと、悪党どもは思う。

 だが、それはまあいい。

 物盗り狙いなら火矢も撃ち込んでこないだろうし、バルドとカーズがいれば何とかなる。

 問題は、物のやり取りだ。


 カーズの報告を聞いたところ、だいぶ売り渋りをされたようだ。

 そういう問題があることを、バルドは考え及んでいなかった。

 だが、当然起こるべき問題であり、頭の痛い問題だ。

 後ろ盾のない村では、物を売るのには足元をみられて買いたたかれ、物を買うには制限や高い税が掛けられるだろう。

 ある程度以上の分量は売ってくれなくなったり、まったくやり取りを断られてしまうこともある。


 なぜか。

 辺境の街や村にとって、近くに村ができる、つまりえたいの知れない人間が大勢集まるというのは、恐怖と警戒の対象でしかないのだ。

 それはある夜そっくり盗賊団となる村かもしれないのだから。

 あるいは飢えて食べ物を強奪に来る暴徒となるかもしれない。


 やたらと羽振りがよいというのも警戒の対象となる。

 まともに大金を稼げるような者たちが、辺境の端の端などに住み着くわけがない。

 その金は不審な金であり、その金を持つ者たちは不穏な者たちとみられる。


 最初からはっきりした後ろ盾を持って入植するなら話は全然違う。

 たとえ罪人を集めて作った村であっても、出自が明確であればそれなりの付き合いはしてもらえる。

 だが、フューザリオンはどこからともなくやって来た正体不明の人間たちが作った村だ。

 バルドがパクラ出身の騎士であり、中原で連合元帥まで務めた人間だと名乗ったところで意味がない。

 それはひどく証明しにくいものであり、当地の人々からあまりに縁遠いからだ。

 ちゃんとした村だと認めてもらえるには、どうしたらよいのか。


 5


 森の回復力というものをみくびっていたことに、バルドはすぐに気付かされた。

 見る見る緑が復活してきたのである。

 大木の芯や根が焼けてしまう前に雨が降り始めたことも幸運だった。

 動物たちも戻ってきた。

 ザリアの小屋の近くに新しく家を建て、みんなでそこに住んだ。


 塩について、ザリアが一つの重要な情報を教えてくれた。

 以前通りかかった旅人の病を治してやったとき、北東の山のあいだに塩で出来た谷があると教えてくれたというのだ。

 目に見える場所だし、いずれにしても周囲の状況把握は必要であるから、さっそくカーズを行かせてみた。

 たった三日でカーズは帰って来た。

 たっぷりの岩塩を袋に詰めて。

 塩はいくらでもあるが、道中は獣が多いから戦闘のできない者に採りに行かせてはならない、とカーズは報告した。

 遠い場所に魔獣の気配もあったという。

 魔獣が人間を感知するより遠くから魔獣を察知できるのだから、やはりカーズは妙な男だ。


 人が、ぽつりぽつりとやって来た。

 その多くは、もともとこの森の際近くに住んでいた者たちだ。

 悪魔の実に冒されることなく焼け出されたり、一時的に離れていて戻る場所のなくなった者たちである。

 こんな地の果てのような場所に流れて来る者たちは、ぼろぼろで財産もほとんどない。

 フューザリオンでは、ちゃんとした工具がなければ建てられないような家を建てているのだから、それだけで目立つ。

 そこにはいろいろな品々があるはずだ、と見た者は思う。

 もちろん食料も。

 それはバルドたちが思う以上に人を引き寄せる力を持っていたのだ。


 ジュルチャガを村長と認め、この村のために自分のできることをすると誓う者は受け入れた。

 そうでない者は受け入れなかった。

 乱暴を働こうとする者は遠慮なく打ちのめした。

 ある三人の男は話の途中でいきなりバルドに襲い掛かった。

 お粗末な剣を抜いて。

 バルドはこぶしで三人の鼻面を打った。

 三人は鼻から血を流して倒れた。

 そのまま三人を重ねてユエイタンに乗せ、村からじゅうぶん離れた場所に捨てた。

 目を覚まして逃げたかもしれないし、野獣に食い殺されたかもしれない。

 彼らはそうなっても仕方のないことをしたのだ。


 6


「おい、じじい。

 おめえ、あの村のもんか」


「雇われ用心棒かい、その年で。

 大変だなあ」


「楽にしてやるぜ。

 今日限り金を稼ぐ必要もねえ。

 死んじまうんだからな」


「げっへっへっ。

 よかったな、でっけえじいさん。

 その代わり、おめえの金は頂いとくぜ」


「馬とくらよろいもな」


 馬に乗ったごろつきは久しぶりだ。

 しかもわりとちゃんとした剣や槍を持っているようだ。

 槍が欲しかったから、ちょうどよい。

 風体と匂いはひどいものだが。

 五人もそろって馬で近づいてくるものだから、村の手前で出迎えてみたのだ。


 一人が斬り掛かってくるその剣を古代剣で迎え打った。

 相手の剣は折れ飛んだ。

 すれ違いざまに首に斬りつけた。

 そしてその真後ろにいた賊の頭を正面から割り砕いた。

 ユエイタンが右回りに素早く体を回転させる。

 その勢いを利用して、三人目の賊が振り返りかけたその頭を横から斬り飛ばす。

 その賊が馬から落ちる前に、持っていた槍を奪い取ると、逃げだそうとした賊の背中に放った。

 最後の一人はすでに馬を走らせて逃走にかかっていたが、あっという間に追いついて、頭に斬りつけようとしたがやめて、体当たりして馬から落とした。

 なぜ頭を斬らなかったかというと、そこそこ使えそうなかぶとをしていたので、もったいないと思ったのだ。

 起き上がった所を殺そうと思っていたら、倒れていた賊をユエイタンが踏みつけた。

 みっともない声を出して五人目の賊も死んだ。

 五頭の馬と装備が手に入ったわけである。

 すぐにクインタとセトがやって来て、使える物をはぎ取ってくれるだろう。


 ここに豊かな村があるということが評判になっているようだ。

 実際、バルドもカーズもジュルチャガも金持ちである。

 必要な物を買う金は惜しまない。

 無論それはわずかな地域での限られた評判なのだが、そのうち噂は広がるだろう。

 遠く南に見える山脈には、ボーバードを始め南の地域で食い詰めたごろつきや野党が逃げ込むことも多いようだ。

 山の上からここの煙を見ると、襲いに来たくなるのだろう。

 さほど得る物がないとしても、防衛力がないというのは最大の魅力なのだ。

 そしてバルドとカーズの腕を見て驚いて逃げようとする。

 襲ってくれば殺すが、逃げる者は逃がすこともある。

 逃げた者は仲間を集めてもう一度来るかもしれず、ほかの村を襲うかもしれない。

 本当は捕まえて、ヒマヤの街あたりに引き渡したいのだ。

 奴隷として売れるし、うまくその労働力を使ってくれるだろう。

 無駄な殺生もせずにすむ。

 だがそれにはちゃんとした村長が要る。

 この村が村としてちゃんと認められる必要がある。

 村長なしで、これは盗賊ですと突き出しても、お前がそうだろうと言われかねない。

 ジュルチャガは自称村長に過ぎない。

 相変わらずの交渉力で、買い物は何とかうまくできている。

 こんな辺鄙へんぴな開拓村にどうしてそんなに金があるのかとは思われているだろうが。

 しかしちゃんとした村であり村長だと、ヒマヤやその他の街から認められてはいない。

 やはり何とかしなくてはならない。


 もう一つ何とかしなくてはならないことがある。

 カーズとドリアテッサのことだ。

 今まではカーズを遠出させるわけにいかなかった。

 最初こそヒマヤへの買い物に行かせたが、その後は二、三日以上村を離れないようにしてもらっている。

 だが村の設立から一年が過ぎ、村もずいぶん立派になった。

 何しろちゃんとした工具があり、たっぷりの塩があり、腕の立つ騎士が二人いるのだ。

 とびっきり目端の利く村長と、腕利きの薬師までいる。

 地理的条件のよさはいうまでもなく、発展するのに必要な条件はすべて備えているといってよい。

 村人はもう百人に近いし、それなりに腕に覚えのある者も何人かいる。

 なかなか立派な家が二十二軒建ったし、柵もある。

 あちこちにエガルソシアの畑があり、順調に育っている。

 もうカーズが遠出しても、いや、抜けても何とかなる。


 7


 騎士とは貴族であり領主であり、独立独歩の存在であった。

 しかし、規模の大きな家が生まれると、自身では領地を持たず主君の家の一部を貸し与えられて生活する騎士も現れた。

 彼らもやがては手柄を立て、主家が大きくなるに従い、領地を下賜され独立していった。

 実際にそうなれるかどうかはともかく、それが自然なあり方であると思われていた。

 ところが大きな国が生まれて貴族家が巨大化していくと、最初から最後まで主家に従属することを前提とした階層が生まれた。

 彼ら従属騎士もれっきとした貴族であるが、その地位身分は主家の権勢と財力次第ということになる。


 カーズ・ローエンは従属騎士ではなくバルドの跡継ぎであるが、そのバルド自身が領地も身分も持たない身なのである。

 であるからカーズは身元の怪しい従属騎士とみなされる。

 カーズがドリアテッサをめとることは不可能なのだ。

 だが、ドリアテッサはコヴリエン子爵である。

 自身が領地持ちで爵位持ちなのだ。

 カーズのほうが入夫すれば領主代理として身を立てることができるから、二人は結婚できる。

 無論その場合でもカーズが名誉ある騎士であると証明されることがぜひとも必要ではある。

 バルドは騎士証明を書こうかと思ったが、やめた。

 アーフラバーンが、そして何人もの騎士たちが、カーズの身元を証してくれるだろう。

 それを期待してよい程度の働きはしてきた男なのだ。


 カーズには、ドリアテッサと結婚して幸せになってほしい。

 それが、ここを出て行き帰って来ないということを意味するのであっても。


 騎士証明を書くことをやめたのは、バルドの意地でもある。

 もう少しいえば、カーズに対する申し訳なさが、そこにある。

 バルドが領土や財産やきちんとした身分を持った騎士でさえあれば、カーズに肩身の狭い思いをさせることなく、堂々とドリアテッサに結婚を申し込ませることができた。

 だが、今のバルドは、つまるところただの放浪騎士にすぎない。

 自分がしっかりした身分さえ持っていればと思うと、カーズに対してたまらなく申し訳ない気持ちになるのである。


 しかし。

 しかしである。

 騎士としての立派さは、領土や財産や身分をもってしか計れないものなのか。

 むしろ、騎士としての立派さは、武威と、志望と、何をなしてきたかによってこそ計られるものではないのか。

 とすれば、カーズ・ローエンほどの騎士が、この大陸にあろうか。

 あれほどのことを黙々としてなしてきた騎士が、愛しい姫に求婚する資格さえ持てないというようなことが、あってよいのか。


 だから、騎士証明を書かずにカーズを送り出すことにしたのは、バルドの意地である。

 この男をどう遇するつもりか、とバルドはファファーレン家に、ゴリオラ皇国に問いかけるのだ。

 それは騎士の振る舞いを見守り裁定する神々への挑戦でもある。


 神々よ。

 大いなる命よ。

 あなたがたが、カーズ・ローエンのしてきたことに正義と献身を認めるなら。

 その業績を賞めるならば。

 どうかこの求婚を成就させよ。


 バルド・ローエンは、そう言いたいのである。


 8


 九月二日。

 ジュルチャガのフューザリオン設立宣言からちょうど一年目の日。

 神々に供物を捧げ、たくさんの肉を焼き、酒と果物の汁でお祝いをした。

 たまにはこういう祭りが必要なのだ。

 みんな大いに楽しんだ。

 子どもたちも、まつり、まつりとはしゃいでいる。

 この一年でクインタもセトも、ユグルもヌーバもミヤも、見違えるほど成長した。

 それまで栄養が足りていなかったのかもしれない。

 ミヤは四歳ぐらいかと思っていたが、どうも本当に六歳ぐらいだったようだ。


 クインタはひどくたくましくなってきた。

 弓で魚を射抜くわざも身につけた。

 剣もどんどん上達している。

 血を見ても動じないし、猛り狂う野獣を目の前にしてもひるまない。

 中原のへなちょこ従卒よりよほど使い物になる。


 セトは落ち着いた性格で思慮深い。

 人の話を理解する力が高く、自分の気持ちを表現するのもうまい。

 子どもたちのまとめ役だったのだが、最近ではジュルチャガの助手としてなかなか活躍している。


 バルドは満ち足りていた。

 この年で開拓農民のまねごとはきつい。

 だがそれ以上にやりがいがある。

 殺してばかりだった人生の最後に、一つの村を作り出す手伝いができたのだ。

 子どもたちが、じいじ、じいじ、と慕ってくれるのもうれしい。

 年寄り扱いされるのがこんなにうれしいことだと初めて知った。

 五人のみなしごは、もはやバルドの孫にひとしい。

 このまま村が栄えていくのを見守ろう。

 そしていよいよ体が衰えたらフューザに登って死ねばよい。

 そんなふうに考えるようになった。


 その夜バルドはカーズに言った。


 ドリアテッサ殿の元に行け。

 ゆっくりしてきてよいぞ。

 ドリアテッサ殿も、お前も、ジュルチャガも、幸せにならなくてはならぬ。

 義理や立場にとらわれるな。

 自分の生きていく場所、居たい場所は、自分で決めるのだ。

 心のままにな。

 そのことを遠慮してはならぬ。

 分かるな。


 カーズは、うなずいた。

 そして、にこりと笑った。

 この男がこんな表情を見せるとは。

 愛し合う二人を引き裂いてきた罪を感じて胸が痛んだ。


 待てよ。

 カーズとドリアテッサが結ばれたとしてだ。

 ジュルチャガはどうする。

 村長になり落ち着いたのだ。

 嫁が要るではないか。

 うむ。

 わしの生涯の最後の大仕事は、ジュルチャガに妻をめとらせることじゃな。

 バルドはその夜寝るときまで鼻息が荒かった。


 翌朝早く、カーズは出発した。

 バルドはそれを見送った。

 ジュルチャガとクインタとセトも見送った。

 この三人とザリアには、カーズを皇都に使いに出すと伝えてある。

 もう戻らないだろうということは教えていない。

 見る間にカーズの姿は草原のかなたに消えた。


 シロヅノの大群が移動している。

 すぐに冬が来るから、シロヅノを二頭ばかりって燻製くんせいにしておきたいところだ。

 空を白い鳥の群れが横切った。

 あれはカリカザイだろうか。

 焼いても煮てもうまい鳥だ。

 これほど豊かな地は、世界中探しても少ないのではないか、とバルドは思った。


 7


 その夜バルドは奇妙な夢を見た。

 丘の上に二人の立派な騎士がいる。

 一人の騎士は壮年で、もう一人はごく若い。

 若い騎士があるじで、壮年の騎士がその配下だと、様子で分かった。


「見よ、クインタ。

 ここからはわが国も霊峰フューザも、そしてオーヴァまでもが一望できる。

 絶景だ」


「まことに。

 ところで、御大将」


「ん。

 何だ」


「王をお名乗りなされ」


「なにっ。

 これまで通りではいかんのか」


「ここまでフューザリオンの規模が大きくなっては、共和制ではやっていけません。

 それに領主たちも、騎士たちも、民も、他国も、あなたが王だと思っています。

 みんな、あなたが成長するのを待っていたのです」


「む。

 だが母上が何とおっしゃるか」


「御大将の御名を名付けられたは、その母上様ですぞ。

 どこの王家にも負けないほど格式の高い御名を。

 そのお心は明らかではありませんか」


「他国が警戒するかもしれんな」


「逆です。

 今の状態のほうが不自然であり、不便であり、不審を呼ぶのです。

 良い騎士を育てたければパクラかフューザリオンに修行に出せ、と中原ではいうそうです。

 医学を学ぶ者、鍛冶を学ぶ者も一度はフューザリオンに行かねばならないといわれるとか。

 各国から料理人の修行申し込みの予約が詰まってヌーバが苦労しているのをご存じでしょう。

 今の共和体制からきちんとした王国になったほうが、諸国も付き合いやすくなるのです。

 神々に建国を宣言なさり、王位に就かれ、爵位を与え、大臣諸官を任じ、国としての形をお調えなされ。

 すでにタランカが準備を調えております。

 みな、この日の来るのを心待ちにしておりました。

 あとは御大将のお気持ち一つなのです」


「はは。

 聖地パクラと並べられるとは光栄だな。

 そうか。

 俺が王か。

 父上はさぞ驚かれような」


「まさに」


 目を覚ましたときも、笑い合う二人の声が耳に残っていた。

 この夢はいったい何だったのか。

 何かの予兆なのか。

 二人の騎士に見覚えはない。

 ないのだが、どこかで知っているような気もする。

 壮年の騎士はクインタと呼ばれていた。

 まさか、あのクインタなのか。

 ヌーバという名前も聞こえた。

 そして、若い騎士が乗っていた馬。

 懐かしい感じのする馬だった。

 目がユエイタンに似ていたのだ。

 目だけではない。

 体全体が、大きさといい力強さといい、ユエイタンによく似ていた。

 そして体毛の色とたてがみの様子は、クリルヅーカにそっくりであるように思われた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る