第4話 双子の虹

 1


 ゲリアドラは奇怪な草である。

 その実は悪魔の実とも呼ばれる。

 はじけたときばらまかれる粉は、実は小さな虫の卵であり、人間の体の中を食い荒らして成長する。

 宿主を得た虫は多数の卵を飛ばして村を国を滅ぼしてしまうというのだ。

 バルドは以前ゲリアドラの粉を吸って死にかけたところを、不思議な薬師の老婆に助けられたことがある。


 ゴリオサという草の実をつぶして飲めば、体に入った卵を殺すことができる。

 ゲリアドラもゴリオサも、めったに生えない草である。

 ゲリアドラが茂るときは、必ずゴリオサも茂る。

 そのゴリオサが、一つの小山を埋め尽くして生えている。

 ということは、それに見合うほどのゲリアドラが生い茂っている、ということなのだ。


 バルドは全身があわ立つのを感じた。

 腹の中に千匹の虫がうごめいているかのような悪寒が身を包む。

 目の前の光景が意味するもののあまりの恐ろしさに。


「旦那!

 カーズ!

 これをかむんだ。

 しっかりかんで、かんで、じゅうぶんつぶしてから飲み込むんだっ。

 早くっ」


 見ればジュルチャガがゴリオサの実を両手に乗せて差し出している。

 バルドは右手を伸ばしてひとつかみ取り、口に放り込んでかみしめた。

 ひどく苦く、青臭い。

 本当は実の中身だけを出してすりつぶして服用するのだ。

 だが今はそんなことをいっている場合ではない。

 カーズも同じようにしている。

 ジュルチャガは、ゴリオサの実をユエイタンとサトラにも食べさせた。

 二頭の馬は、素直にそれを食べた。

 ジュルチャガは、再びゴリオサの実を取って、ユエイタンとサトラに食べさせた。

 自分も口にゴリオサの実を入れ、かみ始めた。


 バルドは不思議に思った。

 確かゲリアドラが宿主にするのは人間だけのはずだ。

 そう言うと、ジュルチャガはびっくりした顔をした。


「えっ?

 そうなのっ?

 てか、旦那。

 何でゲリアドラを知ってるんだよ」


 バルドからすればジュルチャガが知っていたことのほうが驚きだ。

 前にゲリアドラの実の粉を吸い込んで死にかけたことがある、と教えた。


「そうだったんだ。

 旦那も、こいつに。

 おいらね。

 こいつにやられたんだ。

 母ちゃんも、村のみんなも。

 おいらはザリアに助けられたけど、ほかのみんなは死んだ。

 死んで体中から卵が」


 ジュルチャガの言葉が途絶えた。

 遠くのほうに注意を向けている。


「子どもだ。

 二人」


 と言ったのはカーズだ。

 ジュルチャガが駆け出した。

 カーズがサトラを駆ってあとに続く。

 ユエイタンも走り出した。


 いた。


 森の出口に子どもが二人。

 一人は十歳を少し過ぎたぐらいで、もう一人は十歳より少し前だろう。

 二人の子どもは駆け寄る馬と大人たちに気付いておびえた様子だ。

 ジュルチャガが駆け寄ってなだめている。


「おとうが、おかあが、村のみんなが。

 み、みんな倒れて眠って」


「虫の卵みたいなのが、ぶわって出てきて」


「ばあちゃんが。

 逃げろって」


 ジュルチャガは、背中の袋からゴリオサの実を出して、子どもたちに食べさせようとした。

 すると子どもたちは、それはもう食べた、と言った。

 バルドは、いつ食べたのかと訊いた。


「さ、さっきだよう。

 ばあちゃんが、それをすりつぶして、食べろって」


「苦かった」


 知識のある人物だったようだ。

 よかった。

 バルドのときは、一度体内に入った実の粉のせいで体調が崩れ、気を失った。

 そのあとに老婆からゴリオサの実を与えられて、それでも命が助かったのだ。

 実の粉が体内に入って倒れる前に、ゴリオサの実を口にしたというのだから、この子たちは大丈夫だろう。


 そのとき、強い風が吹き始めた。

 風が運んできた匂いは、物が焼ける匂いだ。

 火事だ。

 この森の向こうで火事が起きている。

 そうか。

 ゲリアドラを滅ぼすには、強い火をもって地下茎ごと焼き払うしかない。

 それを知っている人間が、火をかけたのだろう。


 さらに強い風が吹き寄せた。

 ばちばちと木々が焼ける音も聞こえる。

 火神ガーロゴは風神ソーシエラが憎くてたまらない。

 手ひどく振られたことを根に持っているのだ。

 ゆえに風が吹き寄せれば、火はたけり狂う。

 まずい。

 この風では。


「風が吹いてきた。

 火はすぐにここまでくるぞ。

 逃げなくちゃ。

 旦那。

 カーズ。

 子どもたちを乗せて」


 子どもたちは、ジュルチャガが自分たちを助けようとしていることが分かったのだろう。

 おとなしく馬の背に担ぎ上げられた。

 もう見える所まで火が迫っている。

 風はますます強くなってきた。


 バルドは左手で子どもを抱きながら右手で手綱を取ってユエイタンを走らせた。

 カーズも同じようにしている。

 ジュルチャガは、二頭の馬に遅れもせず走っている。

 北へ走った。

 西寄りに走ればオーヴァ川のほうに出る。

 しかし川辺は草木も茂っているから、火が追ってくるだろう。

 東も樹影が濃い。

 だからもと来た方角目指して走った。

 沼地になれば火は燃え移りにくいはずだ。


 だが。


 風はますます強くなり、火は天を焦がして吹き上がった。

 木や草をかきわけながら進むのだから、いかに名馬でもそう速くは駆けられない。

 火の粉が掛かってきた。

 逃げられないのか。

 ここで死ぬ運命なのか。

 それが運命なら。

 それが運命なら。


 そんな運命には従えぬ!


 バルドは思わず、うおおおおおお、っと大声でうなった。

 ユエイタンが馬脚を上げる。

 と、天空に雷光が走り、天の太鼓が鳴り響いた。

 突然一帯は大雨に包まれた。

 水神イーサ=ルーサは、火神ガーロゴの姉である。

 弟をなだめに降りてきてくれたのだ。

 乱暴者のガーロゴも、優しきイーサ=ルーサの前ではおとなしくなるほかない。

 火事はしゅうしゅうと収まっていった。


 バルドたちは木陰に身を寄せ、やっと休憩することができた。

 激しい火事だった。

 火はわざとつけたのだろうが、まさかここまで大きく速く燃え広がるとは思っていなかったのではないか。

 あの中にいる者は、助からない。

 そもそもおとなが付き添いもせず子ども二人を逃がしたということ自体、よほど切羽詰まっていたことを示している。

 この辺りは危険な獣が多い。

 危険な虫もいる。

 獣とも虫ともつかない生き物も人を襲う。

 沼地などは、それ自体が危険だ。

 そんな場所にこの二人を逃がしたのだから、それだけ余裕がなかったのだ。

 食事を与え、水を飲ませると、子どもたちはことりと寝入った。


 2


 三日後、バルドたちは焼けてしまった森を、ゆっくり進んでいた。

 いまだに小雨が降り注いでいる。

 焼け焦げた匂いが立ちこめ、煙と雨霧で辺りは白くけぶっている。

 二人の子どもが、どうしても家を見に行くと言って聞かないのだ。

 二人の子どもは、それぞれ、クインタとセトという名前だった。

 兄弟ではないが、とても仲良しだ。


「だって、ユグルが、ヌーバが、ミヤが。

 ばあちゃんが、きっと見つけるからって」


「ユグルとミヤは女の子だから。

 ぼくらが守ってやらないといけないんだ」


 おばあちゃんなる人物は、二人の祖母というわけではなく、皆からそう呼ばれているらしい。

 そのおばあちゃんとクインタとセトは、村から少し離れた場所に植えた野菜の様子を見に行った。

 村に帰ると、村人が集まっている。

 旅人がやって来て倒れたのだという。

 その倒れた旅人をみて、おばあちゃんなる人物は狂ったように騒ぎだした。

 この男の上に木ぎれを積んですぐに焼くようにと。

 みんなにすぐに村を捨てて遠くに逃げるように言い出した。

 だがみんな取り合わなかった。

 おばあちゃんは、村を飛び出した。

 年を取っているとは思えない速さで走り、何かを探していた。

 クインタとセトはおばあちゃんに懐いていたから、そのあとを追った。

 二人とも駆けっこは大の得意なのだ。

 ずいぶん走り回ったおばあちゃんは、ある草を見つけ、その実を二人に食べさせた。

 そして袋一杯にその実を詰め込んで、村に帰った。

 村はひどいことになっていた。

 何人もの人が地面に倒れていた。

 体に虫の卵のようなものが噴き出している人もいた。

 倒れていない人たちは大騒ぎをしていた。

 おばあちゃんは、草の実を食べさせようとしたが、みんな言うことを聞かなかった。

 そうしているあいだにも、次々人が倒れた。

 そのうち火事が起きた。

 家が次々と焼けていった。

 おばあちゃんは、クインタとセトに、逃げるように言った。

 クインタとセトは、ユグルとヌーバとミヤを連れて来ると言った。

 五人はとても仲良しなのだ。

 おばあちゃんは、その三人は自分が探すから、とにかくできるだけ遠くに逃げるように言った。

 二人はおばあちゃんがあまりに必死な様子なので、言われた通りにした。


 クインタとセトから聞いた話をまとめると、そういうことになる。

 二人はおばあちゃんがユグルとヌーバとミヤを探して守ってくれているはずだから、探しに行ってあげないといけないのだと言う。

 あの火勢では生きていられるわけがない。

 死体が見つかるとしても、むごい状態だろう。

 できれば見せたくなかった。

 けれど二人は何と言い聞かせても、村に帰ることを諦めなかった。

 やっと見つけた俺たちの村だという。

 それは親たちの口癖なのだろう。

 三日たってようやく踏み込めるほどに熱さが収まってきたので、村があったはずの場所に向かっているのである。


 3


 森の南の端にぽっかりと開けた空間に、その村の跡はあった。

 雨が降ったため、森の木々同様、村のたたずまいもわずかにその面影をとどめている。

 とはいえ家という家は焼け落ちて崩れ、そのあとに土砂降りの豪雨に押し流されたのだから、その面影は霧雨に溶けて消えそうなほどかすかなものにすぎない。


 そんな焼け跡に、あり得ざるものがあった。

 そんな村の跡地の一角に焼け残った一軒の小屋である。

 ひどくみすぼらしい小屋ではあったけれど、何もかもが焼け落ちて流されたその跡に、焼けることも流されることもなく、毅然きぜんと立っていた。

 それはひどく粗末な苫屋とまやであったけれども、二人の子どもたちにとっては、希望そのものだった。


「ユグル!

 ヌーバ!

 ミヤーーーーーーーっ!」


 クインタとセトの上げる悲鳴にも似た呼び掛けに応えて、小屋から三人の子どもが飛び出して来た。

 すすけて、どろどろで、ぼろぼろだけれども、元気いっぱいの子どもたちが。

 バルドは走り寄る子どもたちより、焼け残った小屋に目を奪われていた。


 いったいこれは、どういうことか。

 周りがこれほど焼けて何もかもが失われてしまったというのに、その小屋だけがぽつんと、何事もなかったかのように立っている。

 業火の中で、この小屋と子どもたちは、どうやって自らを守ることができたのだろう。

 そのときバルドの中で、何かの記憶がもぞもぞとうごめいたが、はっきりした形を取るまでには至らなかった。


 クインタとセトは馬から飛び降りて走り寄った。

 そして五人の子どもたちは抱き合いもつれあって、お互いの無事を喜んだ。

 ジュルチャガは、しばらく子どもたちの様子を笑顔で見守ったあと、小屋のほうに走って行った。

 バルドもユエイタンを小屋のほうに歩ませた。

 小屋の中に入ったジュルチャガが、


「ザリア!」


 と驚きの声を上げるのが聞こえた。

 バルドは馬を下り、小屋に入った。

 そこでは一人の老婆が倒れていた。

 バルドは、おおっ、と声を上げた。

 その老婆をバルドは知っている。

 それはまぎれもなく、かつて死にかけたバルドを助け、薬草の知識を授けてくれたあの老婆だった。


 4


 あれは四年前のことだ。

 テルシア家を致仕し放浪の旅に出たバルドは、ゲリアドラの実の粉をそれと知らずに吸い込み、意識を失って倒れた。

 そのままであれば悪魔の虫たちの苗床となって死ぬという世にもおぞましい目に遭うところだった。

 そのバルドを助け、薬を与えてくれたのが、この老婆ろうばだった。

 老婆はゲリアドラの恐ろしさをバルドに教え、二人はその群生地を地下茎ごと焼き払ったのだ。

 その後ひと月ほどのあいだ二人は一緒に旅をした。

 その間に教えられた薬草の知識はバルドの旅を大いに助けた。


 その老婆がなぜここにいるのか。

 ここで何をしていたのか。

 ジュルチャガはザリアと呼んでいるが、二人はどういう知り合いなのか。

 聞きたいことはいくらもあるが、今はそれどころではない。

 何しろ小屋の中はひどい状態だ。

 降る雨にさらされるよりはましかもしれないが、子どもたちは四日間以上もこの中で生活していたのだろうか。

 とにかく風を入れ、汚れたものを片付け、奇麗にしなくてはならない。


 幸い、近くに川があった。

 あんな大惨事の直後だというのに、流れる水は美しい。

 小屋を掃除し、ザリアの体を拭き、服を着せ替えた。

 その次は子どもたちだ。

 聞けば四日間、ろくに食事も取っていない。

 小屋の中の食べ物を食べ尽くしたあとは、畑の跡地に行って野菜の焼けかすを掘っては食べていたらしい。

 まだ熱のこもる場所で歩き回ったから、足の裏が焼けただれている。


 まずは、川で魚をってスープを作って食べさせた。

 バルドとカーズはもくもくと働いた。

 ジュルチャガは一番よく動いた。

 それはいつも通りといえばいつも通りなのだが、何かしらひどく一生懸命に子どもたちの面倒をみている気がした。

 忙しく動き回り、手を動かしながらも、ジュルチャガは子どもたちに優しく声を掛けた。

 小屋の中で薪を燃やしたが、幸い子どもたちは火を怖がらなかった。

 子どもたちはジュルチャガに懐き、その夜はジュルチャガにすがりつくようにして寝た。

 途中で老婆は意識を取り戻して少しスープを飲んだが、そのまままた寝た。

 ジュルチャガはカーズの馬に載せた荷物の中から薬草を出し、すりつぶして湯に溶いて老婆に飲ませた。

 半分寝ながらも老婆はそれを飲んだ。


 翌朝早く、老婆は目を覚ました。

 覚ましたどころではない。

 ひどく衰弱していると思われたのに、何事もなかったかのように起き上がると、小屋を出て周囲の様子を見て回ったのだ。

 老婆が小屋を出る気配にバルドは目を覚ました。

 ジュルチャガは目を覚ましていたが、子どもたちを起こさないためか、寝たままにこっとバルドに笑った。

 カーズの姿はない。

 食料の調達にでも行ったのだろう。

 バルドは起き上がって小屋を出た。

 雨は夜にやんだはずだが、また小雨が降りだしていた。

 老婆は、小屋の横にあった畑の焼け跡を探って、焼け残った野菜の様子を見ていた。


「やあ。

 今度はあんたに助けられたねえ」


 しわがれてはいるが、力のある声で老婆は言った。


 5


 老婆の名がザリアで、ジュルチャガが少年の時期に二人で旅をしていたらしいことまでは話を聞けた。

 子どもたちが起きてからは話をするどころではなかった。

 子どもというのは、どうしてこんなに元気なのだろう。

 親も村も失った直後であっても、内からあふれでる生命の力はみはしないのだ。

 食事を作り食べるあいだも子どもたちはずっと元気だった。

 足を洗って薬草を塗って縛っているのだが、歩くなと言い聞かせても歩き回ることをやめはしない。


 ジュルチャガがつきっきりで面倒を見た。

 それはひどく献身的な姿だった。

 この生き残った子どもたちの世話をすることが、今のジュルチャガにとってはもっとも大切なことであるらしかった。


 子どもたちの年齢は、クインタ、セト、ユグル、ヌーバ、ミヤの順であるらしい。

 ミヤは自分が六歳であると言っているが、よくて四歳ぐらいにしかみえない。

 ほかの子どもは自分の年齢をはっきりとは知らなかった。

 辺境では珍しいことでもない。

 やがてお腹がふくれたミヤが寝た。

 するとほかの子どもたちも体を寄せ合うように寝た。

 それで、ゆっくりと話をする時間が持てた。

 バルドは初めてジュルチャガの身の上話を聞くことになった。

 いつもの雄弁さはどこかに消えうせ、ぽつりぽつりと、ジュルチャガは語った。


 ジュルチャガの村は、悪魔の実によって滅びた。

 ずいぶんひどい光景を見たようだが、ジュルチャガはあまり詳しくは語らなかった。

 逃げだして気を失って倒れたジュルチャガを見つけて、ザリアが助けた。

 バルドのときと同じようなものだ。

 ザリアは山に火を掛け、村とゲリアドラを焼き払った。

 うなされて寝ていたジュルチャガが覚えているのは、ザリアの背に負われて運ばれて行ったこと、遠くで何かが燃える気配だ。


 山から山へと旅をしながら、ザリアはジュルチャガに生きていくすべを教えた。

 時々人と出会って薬を売って何かを買うこともあったが、あまり人と会わない暮らしだった。

 数年間を共にしたあと、ザリアはこんなことを言うようになった。


「あんたには生きていくやり方と、いろんな知恵を教え込んだ。

 だけどあたしには教えられないことがある。

 それは人との付き合い方だ。

 あんたは人間の世界で生きていかなくちゃならない」


 ジュルチャガは人の世界に興味があった。

 いつかザリアと別れて人の世界に行くんだという思いが固まったころ、ザリアはある行き倒れの男を助けた。

 ザリアはその男は悪党だが純なところもあり、生きていく力の強い人間だと感じた。

 それでその男にジュルチャガを託した。

 その男はザリアとの約束を守り、ジュルチャガに自分の持つ最高のわざを教え込んだ。

 つまり、盗みのわざである。

 また、男は口先三寸で物を売りつけたり相手を言いくるめたりすることも得意であった。

 そうしたわざを、ジュルチャガはつるりと飲み込んでみせた。

 男はひどく感心した。

 男自身口もたち足も速かっただけに、ジュルチャガの資弁捷疾しべんしようしつ類いまれなることに驚倒した。

 そこで男は、俺は一流の盗賊だが、お前は歴史に名を残す大盗賊になれるぞ、とジュルチャガを褒めた。

 人に褒められるということのなかったジュルチャガは、大盗賊になれるという予言をこの上なく誇らしく受け止めた。

 男は騎士にからまれた娘を助けようとして騎士に斬り殺された。

 だまし討ちそのもののやりかたで。

 ジュルチャガは、騎士、すなわち貴族から盗む盗賊になった。

 それだけではない。

 ジュルチャガは、貴族のやり口というものを学んだ。

 もう二度と裏をかかれることのないように。


 ザリアは、自分のことについては多くを語らなかった。

 薬草や野菜を調べながら辺境の山野をめぐり歩いてこの地に着いたらしい。

 この森の南端近くにはいくつもの村があったという。

 いずれも辺境をさまよってたどり着いた旅人が、身を寄せ合うようにしてできた村だ。

 この村の場合、村にザリアが来たというより、ザリアが野菜や薬草を育てている場所に人が集まり、村のようになったらしい。

 子どもまでいれても三十二人という小さな村だったが。

 ゲリアドラの実の粉に冒されたのは、別のどこかの村だったようだ。

 すでに悪魔の虫たちは人間たちを苗床に増え広がり、粉をまき散らして辺り一帯を滅ぼしかけていた。

 気付くのがあまりに遅すぎた。

 強い風の吹くこの時期にゲリアドラの粉が舞い散れば、どれほど被害が広がるかも分からない。

 だが火を付けたのは錯乱した村人だったらしい。

 ザリアは火を調整することもできず、ただ子どもたちを守ってこの小屋に閉じこもるしかなかったという。

 特別なわざを使って小屋と子どもたちは守り通したものの、力尽きて倒れてしまったのだ。


 6


 子どもたちは、バルドとカーズとジュルチャガが食事の前に手のひらを組んで目を閉じるのを見て、不思議がった。

 神様と食べ物に感謝の祈りをささげてるんだよ、とジュルチャガが言い聞かせると、子どもたちもまねするようになった。

 子どもの回復力というものは大したもので、六日もたつとやけどの跡も癒えてきた。

 あと二、三日したら出発することができるだろう。

 ずっと南のほうに下れば、人が住んでいる地域もある。

 ジュルチャガの見立てでは、ヒマヤの港まで行っても五十からせいぜい六十刻里のはずだという。

 ただしそれは直線距離であって、実際に進む距離はそれより多い。

 老人と子どもを連れてでは一日に二、三刻里しか進めないかもしれないが、とにかく焼け野原では不便すぎるし危険すぎる。

 この辺りはもともと野獣の非常に多い地域なのだ。

 樹海を出てからバルドたちも何度も襲われた。

 ここには住めない。

 いったいどうしてこんな所に小さいとはいえ村が成り立っていたのか不思議なほどである。

 いずれにしても、すべてが焼け落ちてしまった今、ここに住むことはできない。

 そこで、子どもたちを連れて南のほうに行くことにした。


 ところが、この話を聞いた子どもたちが、反対の声を上げた。

 絶対にこの地を離れないという。

 ザリアによると、この子の親たちは、この地に着けた幸運をひどく感謝していて、ここは神様が自分たちにお与えくださった土地だと信じ切っていたという。

 そして困ったことに、ザリア自身も、自分はこの地でやることがあるから離れる気はない、と言い出した。

 子どもたちはできれば連れて行ってほしいが、子どもたち自身がどうでも動かないようなら、あたしが面倒をみるよ、というのだ。


「バルド。

 ジュルチャガ。

 なに、大丈夫さ。

 あんたたちが思ってるより、ここはずっと暮らしやすい。

 安心して出発しな。

 あんたたちのおかげで、子どもたちは生き延びられた。

 ありがとよ」


 つまりザリアは、自分と子どもたちを置いて旅に出るように、とバルドたちに言っているのだ。

 それを聞いて、子どもたちは不安そうな目つきでジュルチャガを見た。


「に、兄ちゃん。

 行くのか?」


「おにーちゃん。

 行っちゃうの?」


「行っちゃだめ!」


 子どもたちは騒ぎ出し、ついには泣きながらジュルチャガにしがみついた。

 ごくわずかな時間ではあったが、ジュルチャガは子どもたちに心を開き、誠心誠意その面倒をみた。

 子どもは敏感である。

 今やジュルチャガは、子どもたちにとってなくてはならない庇護者であった。

 生きていくための唯一の希望といってもよい。

 そのジュルチャガが自分たちを置いて旅立ってしまうと知り、子どもたちは泣いてすがったのだ。

 ジュルチャガは、馬鹿だなあ、お前たちを置いて行くわけないだろ、と言って子どもたちを抱きしめた。


「旦那。

 わりーんだけどさ。

 おいらの旅はここまでらしいや」


 子どもたちをあわれむジュルチャガの気持ちを、バルドは尊いと思った。

 ジュルチャガはこの子たちを置いては行かないと決めたようだ。

 それもジュルチャガの運命かもしれない。

 ジュルチャガの村はゲリアドラに滅ぼされた。

 それをジュルチャガはどうすることもできなかった。

 愛しき者、大切な者は、すべて消え去ったのだ。

 だが今目の前に同じ目に遭った子どもたちがいて、手を伸ばせば救うことができるのだ。

 なるほど。

 ジュルチャガは、この子たちを置いては行かないだろう。


 では、わしも残ろう、とバルドは思った。

 バルドはフューザに拒否されたように感じていた。

 あのマヌーノのすみかはすでにフューザであったという。

 ところが奥に進んでフューザに上ることはできないといわれた。

 それでバルドは東にうかいしてフューザを目指そうとした。

 ところがそこでも、奇怪な草や沼に阻まれ、フューザのほうに向かうことができなかった。

 そして、まるで神々の導きを受けたかのように、この地に着いた。

 おそらく今はまだ、フューザに登るべき時期ではないのだ。

 その時が来れば、登れるだろう。

 それまで、フューザにほど近いこの辺りにとどまるのもよい。

 ただしこの場所ではだめだ。

 

 バルドは言った。

 子どもたちの面倒をみるのはよい。

 家を作り直すのも結構じゃ。

 わしらも手伝おう。

 じゃが、この場所はだめじゃ。

 もう少し南の、火事が及んでおらん場所に移ったほうがよい、と。


「だめさ。

 この子らはね。

 ここがいーんだ。

 父ちゃんや母ちゃんが暮らしてて、いっぱい思い出のある、この場所がいいんだ。

 ここを離れていい所を見つけてもね。

 だめなんだ。

 ほんとはあそこにいたかった、って。

 ずーっと、ずうっと、そう思う。

 いつまでたっても、その気持ちは消えないんだ」


「お兄ちゃん。

 行かないの?」


「ここに残るのか」


「ああ!

 残るとも。

 残って、おいらは。

 おいらは、お前たちの本当の兄ちゃんになるっ」


 子どもたちは、口々に、兄ちゃん、お兄ちゃんと言いながら、あらためてジュルチャガにしがみついた。


「よしよし。

 大丈夫だ。

 確かにここには何にもない。

 みいんな焼けちまった。

 それがどうした。

 なければ作ればいい。

 ここに村を作るんだ」


「ふぇふぇふぇ。

 するとお前が村長むらおさというわけかの、ジュルチャガ」


 ザリアの言葉に、ジュルチャガがびっくりしたような目をした。


「む、村長?

 おいらが?」


 子どもたちがまた口々に、むらおさ、兄ちゃんむらおさ、と言い出した。


「い、いや。

 おいら、そんなのできないよ。

 だっておいら、盗賊だぜ。

 どろぼーなんだぜ。

 泥棒が村長になったなんて話、聞いたこともないや。

 村長が要るんなら、ザリアがやってくれよ」


「こりゃ。

 こんな年寄りをいつまでもこきつかうんじゃないよ。

 こういうことは若い元気な者がやるもんさね」


 ザリアに叱られて、ジュルチャガは周りを見回した。

 といっても子どもを村長にするわけにもいかない。

 バルドのほうも見たが、バルドは静かに首を振った。

 年寄りに頼るなと、今言われたばかりなのだ。

 カーズのほうも見たが、すぐに視線を外した。

 この男ほど村長に向かない人間もいない。


「で、でもやっぱり。

 元泥棒が村長じゃ、まずいんじゃないかなあ」


 そう言うジュルチャガに、子どもたちが次々に呼び掛けた。


「オレだって、どろぼーぐらい、したことあるぞっ」


「あたいもある!」


「あたしもがんばるっ」


「うそついたことある」


「おれもっ」


「俺は殺し屋だった」


 最後のはカーズである。

 たまに口を開いたかと思えば、とんでもないことを言い出した。

 さすがに子どもたちも、ちょっとおびえた目で見ている。


「ま、まあ確かに騎士ってのは、人を殺すのが仕事みたいなもんだけどさ。

 そんなふうに言うもんじゃないよ、カーズ。

 子どもたちが怖がってるじゃないか」


「怖かった」


「カーズ、こあい」


 ジュルチャガがうまくごまかした。

 それから少し押し問答があったあと、結局ジュルチャガが村長を引き受けることになった。

 となると、村の名前を決めなくてはならんのう、とバルドは言った。

 こんなわずかな人数で村であるといっても何になるだろう。

 だが新しく何かを始めるときには、名を付け、ここは村であると言ってしまったほうがよい。

 物事はそうして始まるものなのだ。

 意外にも、ジュルチャガはすぐに、そんならいい名前がある、と言った。


「えへへへへ。

 おいらたちの村に、ぴったりの名前があるんだ。

 さあっ。

 命名するぞ。

 神々よ、聞き届けたまえ。

 ここに我ら、村を作る。

 その名は、フューザリオン!

 すべての神々よ。

 ここに集いてフューザリオンの誕生を神々の記録に刻みたまえ。

 しかしてその前途を祝福したまえ!」


 みんな拍手してうれしそうに笑った。

 子どもたちも、意味を分かってか分からずにか、ふゅーざりおん、ふゅーざりおん、むら、むら、とはしゃいでいる。


 バルドはあきれ、感心した。

 フューザリオン。

 なんという気宇壮大な名付けか。


 王のことをエリオンあるいはイリオンと呼ぶのは、アリオン、つまりいだくもの、という言葉に由来する。

 王とは民をいだきいつくしむものであるからだ。


 フューザリオンという言葉を語義通りに受け止めれば、〈フューザがいだくもの〉という意味になる。

 村の名前だとすれば、〈フューザにいだかれし村〉という意味になるだろう。


 だがいだかれる者はまたいだき返す者でもある。

 ゆえにフューザリオンという言葉は、フューザに抱かれるものという意味であると同時に、フューザを抱き返すものをも意味している。

 フューザを抱き返すだけの巨大さを備えている、ということである。


 すなわち、フューザリオンという名は、霊峰フューザを抱え込むほどの巨人を思い起こさせる。

 あるいは、フューザに君臨しその高き山頂から世界を睥睨へいげいする大神を彷彿ほうふつとさせる。

 老人二人、大人二人、子ども五人のこの村ともいえないちっぽけな村が、まるで世界の中心だと宣言しているかのようではないか。

 なんとも豪儀で雄大な名付けである。


 自分で宣言しておいて、その言葉に照れたらしいジュルチャガは、小屋の外に出た。

 降り続けた雨がやっと終わり、辺りは奇麗に晴れ上がっている。


「あああああっ!

 み、みんなっ。

 外に出てみてっっ」


 ジュルチャガが大声を出している。

 何事かと一同は外に出た。

 ジュルチャガがフューザのほうを指さしている。

 みんな息を飲んだ。


 視界を埋め尽くしてその広大な裾野を広げる大フューザ。

 その横に巨大な虹が出ている。

 くっきりと、すべての色をあざらかに浮かび上がらせて。

 見たこともないほど大きな虹なのであるが、驚くべきことに、その下側にも映し絵のように小さな虹が出ている。

 二重の虹だ。

 神々が約束事をするとき、虹を描いてそれに約束の文言を刻む。

 これほど大きいしかも二重の虹を描くとは、神々はどんな大きな約束をしたのだろう。


「あっちにもあるー」


 ミヤの言葉に振り向いた一同は、今度こそ声を失った。

 村の南には広大な平野が広がっているが、その南から南東にかけては大きな山脈が遠望される。

 その山々に足を下ろして巨大な虹が天空にある。

 その虹も二重である。


 天の一角と天の一角で、対峙たいじするかのように立ち上る二つの二重の虹。

 奇瑞きずいである。

 この神々からの贈り物を、時間のたつのも忘れて一同は見つめた。

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