第6話 召還
1
今度は二日で目が覚めた。
カーズはバルドを女王のすみかから離れた所に運んで休ませてくれていた。
ひどく体調が悪かったが、段々と回復した。
太陽の位置も分からないこの薄暗い樹海の中でカーズは迷いなく方角を見定めて先導した。
樹海を出た日、今は何日かと訊いたところ、二十三日だという答えが返ってきた。
トライに寄って食料を補給したのだが、バルドを見知った者がいて、村の管理をする役人の家に一泊することになった。
戦況を訊いてみたのだが、シンカイという国が戦争を仕掛けてきたことは知っていたものの、皇都に近づく前に撃退されるでしょうと、楽観的な予想をしていた。
ロードヴァン城に帰着したのは五月八日のことであり、カーズの日付計算が正しいことが証明された。
ザイフェルトは不在だった。
王都に呼び戻されたという。
先の魔獣襲撃で副団長のマイタルプも戦死したから、今ここには、団長も副団長もいないことになる。
第二大隊長のカレッジ・ドルビーという騎士が団長代理を務めていた。
ともに魔獣からの防衛戦を戦い抜いた仲間でもあり、バルドのことはよく知っている騎士だ。
捧剣者名簿にもその名はあった。
カレッジは、バルドとカーズが樹海に赴いてマヌーノの女王に会ってきたのだと知り、仰天した。
無理もない。
マヌーノの女王に会うなどというのは、無謀を通り越して正気を疑われるもくろみである。
大樹海の中に踏み込もうとすること自体、まともな人間なら考えもしない。
まして魔獣の大侵攻をマヌーノが率いていたというその出来事の直後である。
ザイフェルトには言い置いていたのだが、ザイフェルトはカレッジには伝えなかったようだ。
バルドたちより七日も早く、ジュルチャガが帰って来ていた。
ほかの者であれば、こんなに早くテューラとセイオンの都の様子を探ってこられるわけがない、と疑うところである。
ロードヴァン城からガイネリアの都を経由してテューラに行けば、それだけでも百八十刻里近くあるのではないか。
人が一日に歩ける距離といえば、五刻里ぐらいのものである。
つまり片道だけで三十五日かかるのだ。
しかも戦争のまっただ中であるガイネリア国内を通って占領下であるテューラとセイオンに行くのである。
むろん、どこをどう通れば安全であり、どこに行けば必要な情報が得られるのかは、あらかじめ分からない。
出発したのはバルドたちより三日早かったのだが、それにしても計算すると七十日ちょうどで帰って来ていることになる。
その日数で、テューラとセイオンの偵察をしてきたばかりか、パルザムとゴリオラの戦況についても、あらましはつかんできたというのだから、あきれるほかない。
だがまあ、ジュルチャガなのだから、そんなこともできるのだろう。
なるほど、ジュールラントが、どこの君主でも喉から手がでるほど欲しい人材、と言ったのはただの世辞ではない。
特にこういう有事におけるこの男の便利さは、ちょっと反則的ですらある。
「いやいや。
それがね。
ガイネリアは戦争まっただ中ともいえないんだ。
テューラとセイオンに至っては、戦争なんかないっていうか。
ま、とにかくまずはテューラの都の様子ね」
ジュルチャガの報告が始まった。
2
テューラの都には入ったよ。
でも必要な情報は、その前にだいたい集まっちゃったけどね。
まあ、いちおう確認っていうか、現場の空気を吸っとこーかなーって。
あと、いつか忍び込むときに備えて防壁を内側から見ておきたかったんだ。
え?
いや、戦の話じゃないよ。
おいらの本業を忘れてもらっちゃ困るなー。
さてと。
面倒な説明は飛ばして、結論っていうか、分かったことだけ言うね。
結局何が起きてどうなってるか、っていうことだけ。
一月の半ば、シンカイは、パルザム、ゴリオラ、テューラ、セイオン、ガイネリアの五国に宣戦を布告した。
国によって宣戦布告の使者が到着した時期は違うけど、だいたい一月の十日から三十日のあいだだね。
テューラとセイオンは、すっかり油断してた。
だってシンカイはファーゴやエジテの北西にあるんだもんね。
シンカイが攻めてくるとしたら、まずはパルザムとの戦になると思ってたわけだ。
ところが、二月四日、シンカイ軍は突然テューラの都を襲った。
ファーゴとエジテを無視して、さらにモルドス山系を迂回して、テューラの都を直撃したんだね。
本隊はあとに残して、騎馬だけの先遣隊が到着したらしくって、すんごく速い進撃だった。
途中シンカイ軍に気が付いて急使を発した諸侯もいたんだけど、その急使が着くのとほとんど同時にテューラの都に着いちゃったんだね。
先遣隊は騎馬隊だけの二百人だったんだけど、都の近くの平原で戦おうって挑戦状を王様に突き付けた。
そっちは何百人出してもいいからって。
テューラの王様は怒っちゃって、二百人の騎士を率いて自ら出陣したんだ。
歩兵も六百人ぐらいいたらしい。
で、あっという間にシンカイ軍に蹴散らされ、王様は捕虜になっちゃった。
シンカイ軍の攻撃があまりに速すぎて、逃げられなかったんだって。
こっからが妙な話なんだ。
テューラに残った大臣たちはびっくりして、何とか王様を返してもらおうと、身代金交渉をしようとした。
ところがシンカイの将軍、えと、バコウ将軍て人ね、この将軍は全然それに応じようとせず、かといってそれ以上攻めようともせず、その場所で待機を始めたんだって。
翌日にはシンカイ軍の食料とかを載せた馬車が着いた。
このころには、テューラの諸侯も騎士たちを率いて集まってきてたんだ。
でもバコウ将軍は平然として軍を待機させた。
三日目に、シンカイの本隊が着いた。
騎馬五百と歩兵九百ぐらい、それに輜重隊だね。
テューラの大臣たちや諸侯は、いよいよ戦いが始まると思って、戦争の条件を決める使者を出したんだ。
そこで何が起こったと思う?
なんとシンカイ軍は、王様を返しちゃったんだ。
何の条件も付けず。
それどころか、一緒に捕虜にした騎士たちも、みーんな解放した。
にこにこ笑いながら城に帰る王様を、みんなあぜんとして見てた。
さて、城に帰り着くなり王様は言ったそうなんだ。
シンカイ国のバコウ将軍の
かの将軍をもてなす宴を開くから、諸侯も出席せよ。
で、王様は本当にルグルゴア将軍やシンカイ軍の幹部を呼んでごちそうをしたんだ。
てっきりその席で油断させて侵略軍の将軍たちを殺すのかと思った人もいた。
逆に王様は脅かされてひどく不利な降伏文書に調印させられるんじゃないかと思った人もいた。
どっちもなかった。
ただひどく奇妙なことがあった。
大きな黒い馬車があって、それにシンカイの貴人が乗っているからあいさつせよ、と王様の命令があってね。
テューラの大臣や諸侯が次々その中に入っていったんだ。
シンカイ軍は、テューラの都でたっぷりの食料をもらった。
そしてシンカイ軍は、たった一人の将も兵も残さず、そのままセイオンのほうに去って行った。
そのあとで王様は諸侯をねぎらって解散させたんだけど、一つだけ変な命令を出した。
今後シンカイ軍が領地の近くを通っても、あちらから攻撃してこない限り一切手出しをしてはならない、とね。
テューラの王城からセイオンの王城までは、ぴったり二十五刻里。
ゆっくりの馬車でも三日あれば行ける。
三日目にシンカイ軍がセイオンの王城に到着したときには、もう戦は終わってた。
え?
話がおかしいって?
おかしくなんかないよ。
だってシンカイには別働隊がいたんだもん。
リュウカイ将軍率いる別働隊騎馬二百が三日前にセイオンの都に到着しててね。
都の外の平原で戦おうって挑戦状をよこした。
テューラと一緒さ。
ちょっと違うのは、こちらでは翌日が戦争の日に指定されたことと、そのあいだに都の近くの諸侯が駆け付けたから、セイオン側の戦力が五百以上に膨れあがったことかな。
もちろんそれに歩兵もくっついてただろうから、すんごい戦力だよね。
王様ももちろん出陣した。
こんな挑戦受けてお城に隠れてたんじゃ、示しがつかないもんね。
まあ、大軍の一番後ろにいるんだから、何かあってもすぐにお城に逃げ込めるって思ってたらしいんだけど。
ところがシンカイ軍の強さと速さは、とんでもなかった。
あっというまに側面に回り込まれて、王様が捕まっちゃった。
そっからあとは、テューラと同じさ。
テューラから移動した本隊が到着して王様は解放され、たっぷり飯を食わせたあと食料を与えて送り出したわけ。
もちろん、お偉い人たちは大きな黒い馬車に招待されたそうだよ。
さてこのあと、シンカイは軍を3つに分けた。
バコウ将軍、バエン将軍、バトツ将軍、ガクソク将軍の率いる四百騎はバコウ将軍を主将としてゴリオラ皇国に侵攻。
リュウカイ将軍、ラドウ将軍、ソンキ将軍、ブンタイ将軍の率いる四百騎はリュウカイ将軍を主将としてパルザム王国に侵攻。
チョウドウ将軍の率いる百騎はガイネリア国に侵攻。
バコウ将軍はテューラで食料を補給しながらゴリオラ皇国南部の都市を荒らし回り、二月の末にコブシ城を占領。
奪還しようと攻めてくるゴリオラの騎士たちに痛手を与えながら悠然としている。
リュウカイ将軍はパルザム北部の都市オーバスに攻め入って、三月の初めに占領。
ガイネリアでは第八騎士団と諸侯の騎士たち合わせて八十騎ほどがチョウドウ将軍を迎え撃った。
けどあっさり負けちゃった。
チョウドウ将軍はたちまちガイネリアの都に攻め寄せた。
第一騎士団から第四騎士団が頑張って防御しながら、ここにいたジョグ・ウォード将軍に緊急の帰還命令を出したんだね。
このときはおいらもここにいたから覚えてるよ。
二月の三十八日だった。
そのころには負傷してた騎士さんたちも元気になってたからね。
騎士五十人を率いて戻り、そのままチョウドウ将軍の軍と激突。
チョウドウ将軍の首を取り、配下の騎士たちも半分ぐらい討ち取ったらしいよ。
てなわけでね。
今、ガイネリアは戦勝で沸いてる。
次の敵軍がいつ来るかは分からないけど、今は戦争中じゃないんだよね。
テューラもセイオンも、シンカイに食料は提供してるけど、まるっきりただってわけでもないみたい。
それと、シンカイの補充兵とかの拠点にもなってるみたいだけどね。
占領中とか戦争中ってわけじゃないんだよね。
なんか変な戦争だよねー。
3
その黒い大きな馬車とやらに誰が、あるいは何が入っていたにせよ、それに入った者は心を操られてしまうようじゃのう、とバルドは感想を述べた。
荒唐無稽な話のようだが、そうとでも考えないと説明がつかない。
「うん。
おいらもそう思う。
それでね。
トード家の下働きだった
トード家の近くにしばらく黒い大きな見慣れない馬車が止まってたことがあるんだって」
何っ、とバルドは言って目を細めた。
そして、それはいつのことじゃ、と訊いた。
「去年の六月ぐらいって言ってたかなあ。
いろいろ聞いたうちのちょっとした話だからね。
あんまり詳しくは聞いてないんだ」
だが、上出来だ。
やっと手がかりが見つかったのだ。
すると問題は、バルドの王都での滞在先がトード邸になるということはいつ決まったのか、どの程度の人間が知っていたかだ。
また、ジュールラントがそこに足を運ぶかもしれないということを予測できた根拠だ。
これはいずれ調べておかなくてはならない。
それにしても不可解なのはシンカイ軍の強さだ。
バルドはジュルチャガに訊いた。
なぜシンカイの軍はそんなに連戦連勝だったのかと。
「それがおいらも一番不思議だった。
だからいろいろ調べてみた。
まずは馬がすごくいいみたい。
それと馬の扱いがむちゃくちゃうまい。
騎士の鎧が馬鹿みたいに軽くて頑丈。
これなんだけどね」
ジュルチャガが渡した物をじっくり見た。
革鎧だ。
しかも、これは。
魔獣だ!
何種類かの魔獣の革を貼り合わせて鎧にしてあるのだ。
なるほど。
これなら軽くてしかも防御力は高い。
「とにかくシンカイの軍は騎馬主体でね。
歩兵は後片付けをして回るだけなんだって。
つまり兵はみんな騎士、ってことになるのかな。
それで、全部の騎士が魔獣の革鎧を身に着けてるんだ」
なんという。
なんという、それは強力な兵団か。
だが、ジュルチャガはこんなものをどうやって手に入れたのか。
「ジョグ・ウォード将軍がくれたんだよ。
じじいに見せろって。
あ、そういえば、ジョグ将軍、次の指示はまだかって言ってたよ」
次の指示とは何じゃと一瞬考えて、思い当たった。
あのとき、この戦が終わるまでバルド・ローエンの指揮に従う、とあの男は言っていた。
つまりまだ「この戦」は終わっていないと思っているのだろう。
相変わらず変なやつだ。
「それとね。
これを伝えろって。
シンカイ軍の強さの秘密は、武器にある。
やつらは長柄の武器ばかりを使っている、って。
それから、やつらは相手の騎士を捕らえようとはせず、はなから殺しにくる。
とんでもないやつらだ、って」
ジュルチャガは実際にシンカイの騎士から分捕ったという武器を検分してきたという。
ひもを当てて長さや刃渡りまで調べてきたようで、かなり詳しくバルドは敵の武器について知ることができた。
いずれも非常に長い。
形は何種類もあるようだ。
斧が付いた槍。
槍の柄に巨大な剣を付けて反りを持たせたような武器。
槍の先に重り付きのくさびを取りつけたような武器。
長柄の付いた巨大な鎌のような武器。
長柄の先に鎖でとげのある鉄球を付けた武器。
シンカイの騎士は、これらの武器を縦横無尽に振り回し、時には突いたり投げたりもするという。
盾を構えてもそれを回り込んで打撃できる武器が多く、射程が剣よりはるかに長いため、騎士の標準武装では戦いようがないというのだ。
剣こそは騎士の武器だ。
誰もがそう思っている。
バトルハンマーやバトルアックスを使う騎士もいるが、長柄の武器は騎士にふさわしくない、と考えられている。
モーニングスターなど、競武会ではともかく実戦では使う騎士はいない。
考えてみれば不思議なことだ。
古い騎士物語では、決闘は槍の戦いに始まり、数種類の武器を経て、最後に剣と盾の戦いで決着を付ける。
だから古代にはさまざまな武器を使って戦ったはずなのだ。
今でも集団決闘の形を取る戦争では、初撃には突撃槍を使う。
だが槍を使うのはそこまでだ。
あくまで決戦は剣で戦われる。
また、槍を振り回して使う騎士などいない。
槍は突くものであって殴るものではないからだ。
しかし実は、槍を振り回すというのは、かなり有用な戦法だ。
バルドは昔、手薄な砦をコエンデラの騎士たちに攻められたとき、従卒たちに槍を振り回させて撃退に成功したことがある。
常々思っていたのだ。
馬にまたがって両手で縦横無尽に槍を振り回す騎士団を作れば、まさに無敵だろうなと。
無論それには長く厳しい訓練が必要であるけれども。
そのバルドが夢想していた軍団が実在した。
いや。
バルドの夢想を越えている。
何しろ彼らは全員が魔獣の革鎧をまとっているというのだ。
防御力を確保しながらも、その身は軽い。
その機動性たるや想像するだけで戦慄を誘う。
全身鎧をまとい盾を構えた騎士など、彼らにはまぬけな的にしかみえないだろう。
それに、馬だ。
バルドも中原に来て分かったのだが、こちらの騎士団では、馬はどっしりして足も太いものが好まれる。
でなければ重い騎士を長時間支えて行軍することなどできないからだ。
だが本当に素早い動きのできる馬は、体軀に比してむしろ足は細いものだ。
おそらくシンカイの騎士たちが使う馬は、足の細い高速機動型の馬だ。
それは持久力では少し劣るかもしれないが、決戦では無類の働きを現すだろう。
勝てない。
中原の騎士団では、シンカイの騎士団に勝てない。
少なくとも野戦ではまったく勝ち目がない。
パルザムの王直轄軍を除く旧来の中原の騎士団では。
速さと軽さ。
防御力と突破力。
そして攻撃距離の差。
テューラやセイオンの軍は、まったく想像もしていない侵攻速度と威力についていけなかった。
それこそ王を逃がすひまもないほどに。
そして中原の兵に勝つことに慣れてしまったシンカイの軍は、ジョグ・ウォードの部隊に対応できなかった。
なぜならジョグも部下たちに軽装と電撃戦を求め、そのように訓練しているからだ。
またシンカイの将軍の武器がいくら長柄といっても、ジョグの黒剣には及ばないだろう。
むむ。
むむ。
もしかすると、これは。
戦、というものが大きな転換点を迎えようとしているのかもしれない。
戦いというのは勝ち負けを決めるためのものだといってよい。
勝ち負けには形式があり、作法がある。
だが。
だが。
相手をいかに殺すかという戦い方をするなら、どうだろう。
シンカイのやり方は、まさにそれだ。
長柄の殺傷力の高い武器ばかりを使う、人馬一体の騎馬兵士軍団。
しかも、馬も人間もどんどん補充されているという。
この軍団は、人数では計れない恐ろしい破壊力を持っているとみなければならない。
バルドは、横で黙ってジュルチャガの話を聞いていたカーズに、思わず言った。
おぬしは以前シンカイの軍を迎え撃って何人もの将を倒したというが、それは実にたいした働きだったのじゃのう、と。
それを受けてカーズが発した言葉は意外なものだった。
「いや。
あのとき、シンカイ軍は確かによい馬を使っていたが、魔獣の革鎧を着けていたのは将か隊長級の騎士で、皆が皆着けてはいなかった。
それに、長柄の武器などは使っていなかった。
剣を使っていた。
全体として、そこまでの強さではなかった」
とすると、シンカイ軍はどこかの時点で戦い方を変えたのだ。
それは一朝一夕にできることではない。
「それにしても、ガイネリアに対してはたった百騎とは。
いくら精強な軍団であるとはいえ、少し侮りすぎのような気もします」
と言ったのは騎士団長代理の騎士カレッジ・ドルビーだ。
バルドは、その理由を考えた。
その疑問をもう一つの疑問と重ね合わせると、答えが出た。
もう一つの疑問とは、テューラとセイオンへの侵略が生ぬるいということである。
王や重臣たちの様子がおかしいのは、誰がみても明らかであろう。
ということは、周囲の家臣や諸侯もそのままで見過ごしはしない。
今の状態はいつまでもはもたない。
なのになぜ大軍を置いて支配することもせず、いいかげんなやり方のままで放置するのか。
必要ないからである。
シンカイは、魔獣たちの大軍が東から襲い掛かってくることを知っていた。
当然、中原諸国で最初に餌食になるのはガイネリアだったはずだ。
その次は、テューラとセイオンが蹂躙されただろう。
荒れ果ててしまうことが決まっている国をきちんと征服したり支配したりする必要はない。
攻めて勝ったという事実だけを残しておけばよい。
テューラとセイオンに要求されているのは、たぶんゴリオラとパルザムに攻め入る橋頭堡としての役割であり、それ以上のものではない。
逆に考えてみれば分かる。
もしも魔獣の襲撃もなく、攻める順もパルザムからだったら、どうなったか。
無事パルザムを攻め滅ぼしたとしても、そのあとには無傷のセイオン、テューラがあり、これを降してもガイネリアが、さらに北方には巨大国ゴリオラがある。
悪くすればパルザムとの戦いにこれらの国が援軍を送り込んでくる可能性さえある。
だが、東から魔獣の来襲があると教え、中原諸国の注意と戦力のいくばくかがそちらに向けられているあいだに、一気にテューラとセイオンを落とした。
それによって、ゴリオラ、パルザムの両大国に短時日で攻め込めることになった。
そしてパルザムとゴリオラの有力都市を落として拠点を確保したではないか。
もはや、テューラ、セイオン、ガイネリアなど、どうなってもよい。
要するに、ここまでの戦争は、シンカイの思う通りに運んでいる。
わずかな予定の狂いがあるとすれば、ロードヴァン城に集結した三国連合軍が魔獣を撃退してしまったことか。
それがこの先の戦況に、少しでも役立てばよいが。
だがいずれにしても、自分の役割は終わった、とバルドは思った。
これ以上魔獣の侵攻はないということが、マヌーノの女王と会って分かった。
あとは王都に戻って報告するだけだ。
そこでふと思い出したことを、騎士カレッジ・ドルビーに訊いてみた。
パタラポザの暦、ということを聞いたことがあるか、と。
騎士カレッジは、そんな物も言い回しも知りません、と答えた。
やはり一般には知られていないことのようだ。
マヌーノたち亜人が使う暦なのだろうか。
一通り報告も聞き、問題点も検討し終えたバルドは、明日には王都にたつぞ、と言った。
ジュルチャガの報告は少なくとも一か月前の時点のものであり、戦況は進んでいるだろう。
だがバルドは、他の国はともかく、パルザムではシンカイの軍は食い止められたはずだ、と思っていた。
なぜなら、軍制改革を行ってきた今のパルザム王直轄軍は、たぶんシンカイ軍との相性は悪くない。
シンカイの馬足は重歩兵と槍兵に止められる。
止まって打ち合えば、いかに魔獣の革鎧を着けていても、金属の全身鎧を着けた騎士には分が悪い。
だからシンカイ軍とパルザム軍の戦いについては、そう心配する必要はないとバルドは思った。
それよりも、マヌーノの女王との会談について、ジュールランに伝えなくてはならない。
あまりに微妙で曖昧な話なので、とても書簡や伝言では伝えられない。
4
その後辺境騎士団の騎士たちが訪ねて来て、あいさつを交わした。
結局大きな部屋に移って一晩中飲みながら語り合うことになった。
バルドとカーズがマヌーノの女王に会いに行ったと知ると、一同はあぜんとした。
「ご、ご無事でお帰りになったということは、まさかたったお二人で、マヌーノの女王を倒されたのか!」
と訊く者がいた。
それを聞いたバルドは、辺境騎士団の騎士たちとの認識の違いを知った。
もとより、騎士というものは戦いをなりわいとする者である。
戦いでは、場合によって敵と味方が入れ替わる。
昨日敵として戦った騎士と今日は肩を並べて戦うこともある。
今日助け合った騎士と明日殺し合うこともある。
だから、味方を殺した相手であっても、その戦が終われば憎しみは捨てなくてはならない。
少なくともそのような態度を取ることを騎士道は求める。
戦争が終わったあとに、味方を殺した敵を探し出して殺したりはしないのだ。
そのような戦いには名誉はない。
ただし、相手の戦いかたに卑怯な点や不必要な残酷さがあったときは別だ。
そのような振る舞いをした相手は〈敵〉であると公言するに値する。
〈敵〉であると公言した相手には、機会があれば名誉ある決闘を申し込むことが可能だ。
この点、辺境騎士団の騎士たちも同じだろうとバルドは思っていた。
だがむしろこの場合バルドの考え方のほうが普通ではない。
つまりマヌーノという異形の存在に対して、騎士が騎士をみるようなまなざしを向けるバルドが異常なのである。
バルドもそのことに気付いたので、いや、わしは復讐に行ったのではない、マヌーノがあのような襲撃をしたわけを確かめに行ったのじゃ、と説明した。
そして、女王との会談の大意を伝えた。
あの魔獣の大侵攻は確かにマヌーノの女王の指揮下に行われたが、それは女王の意志ではなく、別の者に強制されたからであること。
今後二度とマヌーノが魔獣を率いて人を襲うことはないという言質を得たこと。
そもそも魔獣の準備には長い時間がかかるらしいこと、などである。
マヌーノの女王を心のいましめから解放したことは言わなかった。
先代ゼンダッタから教えられた古代の魔剣の真実は、みだりに話すべきではないからである。
また、女王を強制した者のことや、不思議な力で人間を操りシンカイの侵攻を手助けしている者についても話さなかった。
あまりに不確かな情報だからである。
だが辺境騎士団の騎士たちには、それでじゅうぶんだった。
バルドが命懸けで大樹海に赴きマヌーノの女王に会い、もはやマヌーノが魔獣を使役して人間を襲うことはない、と約束させてきたというそれだけで。
犠牲は無駄ではなかった。
あの悲惨な防衛戦は無駄ではなかったと。
そう彼らは知ることができたのだから。
ジュルチャガもシンカイの侵攻の様子について語った。
バルドに報告するまで、自分がどこで何をしていたか、口を閉ざしていたようだ。
そちらも大いに皆の関心を集めた。
結局夜明けに眠り、昼前に出発することになった。
その出発の直前に召還状が届いた。
官吏一名と騎士二名が、わざわざ持参したのだ。
お尋ねしたいことがあるのでバルド・ローエン元大将軍は、ただちに王都に帰還し王宮にご出仕あられたい、と書いてある。
それはいいのだが、おかしなことに、文書作成者の名前はあるのに、誰が召還しているのかは書かれていない。
辺境騎士団団長代理のカレッジ・ドルビーに見せたところ、この文書作成者は重臣会議の秘書官ですが、文面はまるで査問会への呼び出し状ですね、と眉をひそめて言った。
いずれにせよ王都に帰って報告するつもりだったのだ。
バルドはカーズとジュルチャガを連れて、官吏と騎士二名とともに王都に向かった。
官吏も騎士も、明らかにバルドと話をするのを避けていた。
話し掛けても最低限の返事をするだけなのだ。
特に戦況に関する話題には、まったく答えてもらえない。
不審に思いながら旅を急いだ。
王都に着いたのは五月三十日の夜で、騎士一人が先行して到着を連絡した。
官吏は直接王宮に行くよう促したが、ジュルチャガが今夜はトード家に泊まろうようと耳打ちしてきたので、そのようにした。
トード家に着いてみると、バリ・トードはいなかった。
呼び出しを受けて王宮に出仕したのだという。
バルドは久しぶりにカムラーの料理に舌鼓を打った。
使用人たちは、まるで屋敷のあるじが帰ったかのようにバルドを迎えて喜び、世話をした。
夕食のあとジュルチャガが姿を消した。
戻って来たのは明け方で、珍しく少し興奮している様子だ。
バルドは眠っているところを起こされたが、それだけの重大事なのだろうと思った。
その通りだった。
ジュルチャガは夜の街を走り回って、極めて重大な情報を集めてきた。
「王直轄軍が、シンカイ軍に大敗したんだ。
四月十三日、カッセ北方の大平原で。
損耗率四割を超える損害を受け、中軍正将ザイフェルト・ボーエン伯爵は王陛下をかばって戦死。
敗戦は王都の民にはひた隠しにされてる」
耳を疑う知らせだ。
ジュルチャガは、不確実な部分が多いけどと断って、説明を始めた。
5
三月の始めにオーバスが陥落した。
ここにこもったシンカイ軍を撃つために、近隣の諸侯が騎士団を出した。
堅固な城なので立てこもるかと思いきや、素早く打って出てすさまじい速度で各騎士団を蹂躙。
有力騎士が何人も討ち取られてしまった。
諸侯に乞われて王は直轄軍を出した。
総指揮官はザイフェルト・ボーエン卿。
もともと上軍副将として先王の元で大いに武勲を挙げた歴戦の勇将である。
辺境騎士団の意識改革をひそかに命じられて辺境騎士団長となっていたが、バルドのあとを受けて中軍正将に任じられたのだ。
ザイフェルトは中軍の正副両軍を率いて討伐に向かった。
王家の直轄軍とは上中下の三軍であり、それぞれ正軍と副軍に分かれている。
計六軍である。
その一つ一つが、騎馬隊百、弓兵隊百、槍兵隊百、歩兵隊百から成る。
つまり中軍の正副軍を合わせても、従来の数え方では二百騎にしかならない。
騎馬だけで四百というオーバス城のシンカイ軍を討伐するにはいささか戦力が足りないように思える。
だがパルザムの王軍は、従来の騎士団とは内容が違うのだ。
一般に軍の構成最小単位は騎士である。
騎士はいうまでもなく騎馬戦力である。
その騎士が連れてくる従者たちが歩兵となる。
歩兵の実態とは、修行中の少年であったり、普段は武器を持たない平民であったりするので、練度は高くないことが多い。
経済的な理由などから荷物持ちだけを連れて参戦する騎士もいる。
開戦時の突撃をになう槍騎兵を除けば、槍は歩兵の武器である。
士分の者は槍を使うのをいやがる傾向があるから、槍兵をみたら平民と思って間違いない。
もっとも戦争慣れした屈強な農民の槍兵が主人に多大な戦利品をもたらすこともあるのだが。
戦争を始めるにあたり何人の騎士が集まるかは、有力騎士たち次第となる。
その有力騎士が声を掛けてあつまる騎士が何人の歩兵を連れてくるかは、そのときになってみないと分からない。
まして最終的に槍兵が何人で弓兵が何人になるかなど、予想のしようもない。
軍の主宰者である王や貴族は、槍を多めに持って来てほしいとか、矢をじゅうぶん用意してほしいなど注文を付けることはできるが、実際にどうなるかは有力騎士や各騎士の胸先三寸であり懐具合次第なのである。
こうした状況を、ここ数代のパルザム王は変えようとしてきた。
いや、変えた。
歩兵に鉄の盾と鉄の胸当てと鉄の
長く頑丈で規格の統一された槍を作り、集団戦闘の訓練を積ませた。
弓兵には、面制圧のできる射撃法を教え込み、必要に応じて馬で移動できるようにした。
これを可能としたのは一つには経済の伸長であり、人口の増加である。
そしてまた、続く戦乱により国や都市が征服されあるいは消滅し、大量の流れ騎士が生まれていたことである。
他国から流れてきた騎士やその子弟を、パルザム王は積極的に迎えた。
ただし、軍に入って最初に配属されるのは、よほどの軍歴がない限り弓兵隊か槍兵隊か歩兵隊のいずれかである。
流れ騎士たちは憤慨した。
だが背に腹は変えられない。
手柄を立ててゆけば騎馬隊に移ることもできるし、何より平時でも定期的に給金がきちんと支払われるという条件は魅力的すぎた。
彼らは平時においても軍事以外には従事しない、完全非生産者である。
これだけの人数に衣食住を与え、その装備を調えるのは非常に大きな負担だ。
だが歴代の王は、ねばり強く軍制改革を進め、騎馬隊の人数はむしろ圧縮しつつ、歩兵の人数を徐々に増やしていった。
そして軍制が調ってみると、騎士偏重の編成より維持費用がずっと低いことがはっきりした。
敵の弓を歩兵の盾が防ぎ、突進してくる騎兵を弓兵が消耗させ盾歩兵と槍歩兵が足止めする。
機動力を失った敵をこちらの騎兵が
四兵科の長所を組み合わせた運用は、非常に効果が高かった。
軍制改革のかいがあって、近年のパルザム王直轄軍は負け知らずといってよい。
そしてその編成と戦闘方法は、シンカイ軍の得意とする高速機動と長柄武器を主軸にした戦法と、相性がよいはずなのである。
事実、オーバス城付近の平野の戦いでは、王軍はシンカイ軍を圧倒した。
敵の副将格の将軍を討ち取り、ブンタイ将軍を捕獲。
大打撃を受けた敵は市街区を放棄し、城に立てこもってしまったという。
6
ところがここで、ファーゴとエジテの両都市が再び蜂起した。
この二つの有力都市は、昨年反乱を起こし卑怯な手段でジュールラント率いる王軍を痛めつけた。
もう少しでジュールラント自身命を落とすところだったのであり、代わりに将軍二人が命を落とすことになった。
反乱鎮圧後、二都市はいわばはいつくばって許しを乞うた。
その二都市が再び牙をむいたのである。
しかもシンカイ軍とともに。
総兵力ははっきりとは分からない。
ファーゴとエジテの二都市だけで合わせて四百騎の戦力があるといわれる。
歩兵を合わせれば千二百人から二千人に達する兵力である。
シンカイ軍の兵力は分からないが、数百の騎馬隊がいたらしいという。
この大兵力が、津波のようにカッセの街を襲った。
防衛力に優れ、物資も豊かで、難攻の街といわれたカッセは半日で落ちた。
グリスモ城を守っていた騎士は、カッセ陥落の知らせを聞いて、一戦もせず城を捨てて逃げだした。
この知らせを聞いた王宮は、一時恐慌状態になった。
オーバスでの戦いは、パルザム側有利に傾いてはいるものの、敵はテューラやセイオンを経由して兵力や物資の補給が可能である。
そして、ファーゴ、エジテ、グリズモ、カッセがシンカイの側に吸収されたことになる。
周辺の小都市群もである。
広大な版図の北から西にかけてがごっそり削られ、しかもライドの街が敵勢力範囲に孤立した形である。
もしもライドの街も落ちるようなことがあったら、緑炎石はひとかけらも入ってこなくなる。
ジュールラント王はただちに王軍のすべてをカッセに向けた。
王自身も上軍正将としてカッセに向かった。
下軍正将であるシャンティリオンも一緒だ。
そしてまた王国北部と西部の諸侯に緊急の参戦を命じた。
ただしライドの街は除く。
ライド伯爵にはどうあってもライドの街を死守してもらわねばならない。
ザイフェルトもオーバスの囲みを解いて合流した。
カッセの東の大平原で、両軍は激突した。
シンカイ軍の兵力は、ファーゴとエジテ合わせて二百騎ほどと、シンカイ軍四百騎ほどだった。
相当の予備戦力がカッセの街に残されていると考えられる。
パルザム側の兵力は、王直轄軍が六百騎と諸侯の兵が二百騎ほどであった。
緒戦はパルザムの王軍がシンカイ軍を手堅い戦いぶりで痛めつけ、諸侯の意気も大いに上がった。
しかし実のところ、中軍とザイフェルトははなはだしく消耗していた。
なにしろ、王都から長駆してオーバスに敵軍を破り、包囲戦のただ中でカッセへの長距離移動を命じられ、休む間もなく戦っているのである。
疲れ切っているといってもよかった。
そこに物欲将軍が出てきた。
率いるのは直属二百騎であるが、とにかく物欲将軍の姿そのものがパルザム軍将兵の度肝を抜いた。
その身長は普通の人間の二倍ほどもある。
乗っているのは全身が鎧を覆ったような奇怪な姿をした巨大な獣で、鼻面から
虎が羊を蹴散らすように、物欲将軍はパルザム王軍を粉砕した。
陣形も戦術も、何の役にも立たなかった。
物欲将軍が長大な剣を振り回せば、騎士は馬ごとはね飛ばされ、歩兵は盾と鎧ごと数人まとめて肉塊に変わった。
パルザム王軍は総崩れとなり、諸侯の軍は恐慌を来して戦場から逃げ去った。
物欲将軍はまっすぐ総大将たるジュールラント王を目指した。
これをザイフェルトとシャンティリオンが精鋭少数を率いて防ぎ、王は無事脱出できたものの、ザイフェルトは死んだ。
7
ザイフェルトが、死んだ。
あの男が。
バルドは強い衝撃を受けた。
戦場では人が死ぬのだということは、骨身に染みて知っている。
だがそれでも、あれはまだ死んではいけない男であり、そうそう死ぬ男ではなかった。
この痛手がこの国にとって、ジュールラント王にとって、どれほど厳しいものであるかを、バルドは思った。
そしてまた、パルザム軍の現状に戦慄を覚えた。
それではいつ王都がシンカイ軍に襲われるかも分からない状況ではないか。
まさに国家存亡の危機といってよい。
このときに自分を呼び出して、いったい何をしようというのだろうか。
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