第10話 約束の剣
1
バルドは、白馬ユエイタンの大きな背に揺られながら、スタボロスのことを考えていた。
死んだときは、ただただ悲しかった。
置いていかれたという寂しさがあり、ついにスタボロスまで失ってしまったという孤独感があった。
だが、こうして時間をおいてみると、傷口は癒され、別の考え方ができるようになった。
やつは大した馬じゃった。
若いころには、わしの大きな体を乗せて存分の働きをした。
頭もよかった。
口の悪い部下どもは、わしの立てる作戦はスタボロスの入れ知恵じゃなどと陰口をたたいておったものじゃ。
若いころにはやんちゃじゃったのに、年を取って戦場に出なくなると、手の掛からんおとなしい馬になった。
そして最後に一花咲かせた。
わしの死出の旅に付き合うて、へたりもせず荷物を運んでくれた。
ヨティシュ・ペインとヴェン・ウリルに襲われたときは、石を蹴って助けてくれた。
悪魔の実の粉を吸うて気絶したときは、川から引き上げてくれた。
そして、コエンデラ家の陰謀がついえ、気兼ねなしにわしが旅立つのを見届けてから死んだ。
その日の昼までは元気に歩いて、夕方体調を崩し、夜になると静かに死んだ。
長患いすることもなく。
なんという見事な死に方じゃ。
なんという見事な生き方じゃ。
これ以上の死に方なぞありはせん。
かなうものなら自分もスタボロスのような死に方をしたい、と思った。
物思いに沈むバルドを、前に乗せた亜人のモウラが、時々振り返っている。
精霊のスィが、ふわふわとバルドの周りを漂っている。
「お
お
と、モウラが言った。
ユエイタンに乗れてうれしいのだろうか。
それとも、バルドの胸内の思いを読み取っているのだろうか。
2
谷川のほとりで野営の準備をしようとしたら、先客がいて釣りをしていた。
十四、五歳だろうか。
驚いたことに、その少年は、モウラの横に浮かんでいるスィが見えるようで、まっすぐスィを見ながら、
「それは、精霊か」
と聞いてきた。
その態度がひどく落ち着いていることに、バルドは感心した。
妖魔と言わず精霊と言ったことも気に入った。
バルドはモウラの顔を見せ、この子はルジュラ=ティアントで、精霊のスィはこの子の友達じゃ、と説明した。
「精霊を見るのは初めてだ。
本当にいるとは驚きだ。
スィというのか。
よろしく。
ルジュラ=ティアントに会うのも初めてだ。
俺はオーサ・コンドルアという」
とその少年は言った。
初めて会ったという精霊にそんな態度を取れることのほうが驚きだ。
そもそも見えることが驚きだ。
モウラによれば、スィと仲良くなるとスィの姿が見え、もっと仲良くなると声が聞こえるらしい。
だが、バルドとジュルチャガにはおぼろげにスィの姿が見えるようになったが、ゴドンはいまだに見えない。
なのに、この少年には初めからスィが見えるようだ。
オーサ・コンドルア少年は、シェサ領主の長男だという。
少年の年齢を聞いてびっくりした。
十二歳だというのだ。
それにしては体格がよい。
精神と知性もずいぶんしっかりしている。
何より、実にさっぱりした物言いをする少年で、バルドはそこが特に気に入った。
だから、城に泊まって旅の話を聞かせてほしいという少年の頼みを快諾した。
3
確かにそこに領地があった。
街というより村であり、城というより館だが、こんな辺鄙な場所にしては、しっかりと作られている。
兵士が開拓農民を兼ねる仕組みのようで、あいさつしてきた農夫は兵士だという。
館に入ると、少年は母親とバルドたちを引き合わせた。
領主である父親が病床にあるため、母親が取り仕切っているのだという。
母親は最初驚いたが、跡継ぎの少年が招待した客だということで部屋と食事の用意をしてくれた。
少年の助言で、スィは姿を現さないようにした。
母親はモウラを見てびっくりしていたから、やはりこれが普通の反応なのだ。
ましてスィの姿などみたら、大騒ぎになるだろう。
客室でオーサ少年と談笑していると、弟が訪ねて来た。
オーサ少年の弟は、フィリカという名で十歳だった。
野性的な兄と違い、おとなしくかわいらしい少年だった。
翌朝、オーサ少年はバルドたちに意外な頼みを持ち込んだ。
「モウラ殿。
スィ殿に頼んで、一つ幻を作ってもらいたい。
俺が死んだという幻を」
驚く一行に、オーサ少年はわけを話した。
オーサ少年とフィリカは実の兄弟であり、母親にとってはどちらも実子だ。
ところが母親は次男のフィリカが可愛くてしかたなく、何とか次の領主はフィリカにできないものかと心の底で思っている。
実際フィリカはごく利発なたちであり、人を引きつける魅力も持っており、領主にふさわしい。
だが、病床の父は家の跡は長男が継ぐものだと考えている。
母親もそれが正しい道だと思うから、口に出してはフィリカを跡継ぎにとは言わない。
だが口にしない分、思いは日々募っている。
家臣の中にも対立が起き始めており、このままではオーサが領主を継いだとしても、しこりが残る。
どうしたものかと毎日谷川で釣りをしながら悩んでいたら、バルドたちがやってきた。
天が差し向けてくれたに違いない、と思ったというのだ。
モウラはバルドに、どうしたらいいか決めて、と言った。
バルドはオーサに、死んだことにして、ここを出て行くわけか、どこに誰と行くつもりじゃ、と訊いた。
「一人で行く。
どこに行くかは決めてない。
冒険をしながら、自分の人生を探す」
と、オーサは答えた。
普通なら、とてもうなずけない頼みだ。
家族や親しい人々をだますというやり方がそもそもよくない。
しかも死んだことにするというのだからたちが悪い。
父や母や弟や家人家臣それに領民たちは、悲しむに違いない。
領主となって弟と仲良く統治していけばそれで済むことだ、と説くのが筋だろう。
領主の座を譲って弟の統治を支えればよかろう、と言ってもよかった。
ところが、バルドはこの少年の依頼を受けてもよいと思った。
自分でも不思議だが、それでよいのだとなぜか思った。
少年にいわれるまでもなく、この館の中に家臣同士の対立があり、清明ではない空気があるのを、バルドは感じ取っていた。
このよどんだ空気がさらに濁っていけば、先では恐ろしいことになる。
兄と弟が仲良くしたからといって、一度生じた対立が解消するとはかぎらない。
この平和な集落を、エンザイア卿の領地のようにしてはならない。
人は今を見ても十年後は見えないものだが、時々十年後が見える
エルゼラ・テルシアがそうだった。
この少年もそうなのかもしれない。
オーサ殿の願いをかなえるとする。
バルドの決定に、一同はうなずいた。
4
翌日、バルド一行はシェサ領を離れ、北側の峠にいた。
少し前、オーサ少年と木の実を採りに出た家臣たちは、オーサ少年が足を滑らせて西の谷底に転落したのを見たはずだ。
今頃は、せめて死体なりと探そうと懸命の捜索が行われているだろう。
それは幻だ。
本当のオーサ少年は、バルドと一緒にいる。
「ん?
馬が来るね。
こっち目指して来てるみたいだよー。
そうとう飛ばしてるね」
と、ジュルチャガが言った。
しばらくすると、バルドにも蹄の音が聞こえ始め、さらに木立の向こうに、ちらちらと姿が見えてきた。
「ガルクス・ラゴラスだな」
とオーサ少年が言った。
間もなく、青年騎士ガルクス・ラゴラスが一行に追いついて、馬から下りた。
「やっぱりこちら側でしたね。
あまり進んでいなかったから助かりました」
「お前、俺の死ぬところを見たんじゃないのか」
「見ました。
でも信じませんでした。
猿よりすばしっこいあなたが、あんなところで足を滑らせて落ちるなんて、あり得ません」
「そうか。
で、お前はどうして旅支度をしてるんだ?」
「あなたについていくためです」
「俺はお前を養えん」
「あなたに養ってもらおうなんて、考えてません。
むしろ私があなたを養ってあげます」
「ほう。
主従を取り替えるのか」
「そうじゃありません。
家臣の面倒を見るだけが主君の務めではないのです」
「じゃあ、俺は何をすればいい」
「騎士の修行をなさい。
そして、騎士となり、領民の暮らしを守るのです」
「領民なんて、どこにいる。
俺は今領地を捨てたばかりだ」
「これから集まってきます。
あなたは後継問題で家臣同士が争い、領民が苦しまないよう、領地を弟君に譲りました。
それは平和の神イアホーに領地を捧げたのと同じです。
大きく捧げる者は、大きく報われるのです」
「いや。
領地なんか持つつもりはないぞ」
「あなたにそのつもりがなくても、騎士のしるしを持つ者は民を護り民に慕われるものなのです。
そうでなければ、私の見込み違いだったということです」
「騎士のしるしなぞ、俺は持っておらん」
「自分では見えないのです。
しかし、あなたのここに、確かに騎士のしるしはあります」
ガルクス・ラゴラスは、オーサ少年の額を指さした。
そして、自分の剣を鞘ごとはずして、ひざまずいて捧げ持った。
「さっそくですが、剣の誓いをお願いします」
これを聞いて、バルドもゴドンも馬を下りた。
馬上から見下ろしてよいものではない。
「何で今、そんなことをしなきゃならんのだ」
「剣の誓いを受ければ、いくらあなたでも、私を置き去りにしにくくなるからです」
「ぼろっちい剣だな」
「ほっといてください。
それは拝領の物ではなく、父からもらった私自身の剣なんです」
ぶつぶつ言いながらも、オーサ少年は型どおり剣の誓いを行い、剣をガルクスに下げ渡した。
儀式が終わるとガルクスは、オーサ少年を馬に乗せた。
オーサ少年の顔が分かる者が絶対にいないような遠い所まで、できるだけ早く移動したほうがよいからだ。
「バルド殿っ。
また会おう!」
と言い残して若いあるじはたった一人の臣下と共に立ち去った。
バルドも手を上げて、また会おう、と返した。
二度と会うことはないだろうが、別れのあいさつは希望に満ちたものであってよい。
気持ちのよい主従だった。
幼いあるじは成長し、いつの日か臣たる騎士に最高の剣を贈るだろう。
オーサ少年はそのことを、おのれの奉ずる神に固く誓ったはずだ。
王者の風格をまとう少年の胸内を慮りつつ、バルドは、ある場面を思い出していた。
5
「バルド。
いつになったら、あなたは私に剣の誓いをしてくれるの」
と、アイドラが言った。
とうに剣は捧げたつもりだったが、なるほど誓いの儀をしたことはない。
バルドは帯剣を鞘ごとはずしてアイドラの前にひざまずき、剣を捧げ持って頭を垂れた。
なんとアイドラは、その剣を取った。
同じ剣の誓いでも、主君に対する誓約と、貴婦人に対する捧剣は、作法も意味も違う。
貴婦人が騎士から剣を捧げられたときは、スカーフなど身に着けているものに口づけして、捧げられた剣に結わえる。
いずれにしても剣そのものを持ち上げることはない。
ところがアイドラは、剣を受け取り、鞘から抜いた。
そして剣の平で、バルドの右肩を三度、左肩を五度たたいてこう言ったのだ。
「バルド・ローエン卿。
あなたの額に輝く騎士のしるしが曇ることのないよう、私はいつも見守っています。
民を護り、民を慈しみなさい。
それにふさわしい本当の宝剣を、いつかきっと私はあなたに授けます」
そうだ。
あのときアイドラは確かにそう言った。
本当の宝剣を、いつかきっと授けます、と。
バルドは古代剣を抜いた。
まだ名前を呼んでもいないのに、古代剣は柔らかな青緑の燐光を放っていた。
剣身からあふれるぬくもりが、バルドの全身を優しく包む。
これか。
この剣がそうなのか。
姫がわしに約束なさった剣なのか。
この剣は、姫に差し向けられてわしのもとに来たのか。
バルドは古代剣を右上に高く差し上げた。
力強い音をさせて大地を踏みしめ、袈裟懸けに思い切り剣を振り下ろした。
続いて、腰を沈めながら逆の足を踏み込み、体を前方に進めつつ、左から右に横真一文字に剣を振り切った。
右肩と右肘が痛くない。
少し前までは、まっすぐ上げることもできなかったのである。
それなのに、今は、思い切り振り下ろし、肘が伸びきるまで振り切っても、痛まない。
老いた体が若返ったわけでも、弱った腰が強さを取り戻したわけでもないが、動きを妨げる痛みが消えたことは、それだけで羽の生えたような自由さを感じさせた。
スタボロスがわしの体に入って、治してくれたのじゃ。
なぜか疑いもなくそう信じることができた。
そうだ。
スタボロスはバルドを置いていったのではない。
今こそまさに共にある。
バルドが力強く剣を振る様子を、一同は見つめていた。
邪気を祓う、ということがある。
人にせよ物事にせよ、ひと所に留まり続ければ、よどみがたまる。
だから、旅立つときや何かを新しく始めるときには、武人に刀を振らせ、よどみを払うのだ。
若い主従の旅立ちを寿いでバルドは邪気を祓っているのだろう、と皆は思った。
いや。
皆ではない。
精霊スィから何事かを耳打ちされたモウラは、複眼を大きく見開きながら、
「シャントラ・メギエリオン」
とつぶやいた。
ずっとあとになって、このときモウラは「
だがこのときは、「
バルドはもう一度古代剣を振り上げた。
片手大上段に、高く、高く。
わしはスタボロスの皮で作った鞘を形見のように思うておった。
じゃが今気付いた。
この剣にこそスタボロスは宿っておる。
姫がわしに下されたこの剣に。
じゃからこの剣はわしにだけ懐くのじゃ。
姫もスタボロスも神々の園でわしを待っておると思っておった。
そうではなかった。
こうしてわしを助けようとしていてくれるのじゃ。
もう死に場所を探す旅は終わりじゃ。
明日死ぬとしても、今日は生きておるではないか。
今日からは、生きるために旅をするのじゃ。
大きく深く大気を吸い込むと、かっと目を見開き、大地が揺れるほどの気迫を込めて足を踏み込んだ。
スタボロスよ、わしと共に来い!
心で叫びながら、古代剣をまっすぐに打ち下ろした。
古代の魔剣は、常人には見えない光を放ち、森を、山を、彼方の空を斬り裂いた。
天と地とが左右
(第1章「古代剣」完)2012.7.1〜2012.8.22
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