第8話 革防具職人ポルポ
1
どうやらバルドは、古代剣にスタボロスという名を付けてしまったようだ。
その名で呼ぶと古代剣は反応し、青緑の光を放ち、驚異的な切れ味をみせてくれるのだ。
思い当たるふしはある。
最近、何か事があると左腰に吊った剣鞘にふれる。
死んだ愛馬スタボロスの皮で作った剣鞘だ。
愛馬にふれたような心持ちになり、心が落ち着くのだ。
魔獣と戦うときに、鞘にふれ、スタボロスの名を呼んだかもしれない。
当然、そのときには右手にこの古代剣を持っていたはずだ。
古代剣は、自分に与えられた名として、それを受け入れてしまったのだ。
つまり、スタボロスという名は、この古代剣の力を引き出す呪文となった。
しかもそれは、バルド自身が剣を手にしたときのみ有効な呪文だ。
ゴドン・ザルコスに剣を持たせていろいろ試してみたが、ゴドンが持っても古代剣はただのなまくらでしかない。
むろん、ゴドンで試しただけでは、バルド以外には使えない剣だと言い切ることはできない。
だが、バルドが生きているあいだはバルドしか使えないのではないか。
はっきりした根拠はないが、そんな気がする。
古代剣は、魔獣を相手にしたときは恐ろしい切れ味をみせたが、魔獣が近くにいないときは、光も弱いし切れ味もそれほどよくはない。
やはり、魔獣を相手取るために生まれた剣なのだろう。
それはいいのだが、バルドには、一つ気に掛かることがある。
古代剣が大きな力を出したあとは、ひどく疲れを覚えたような気がするのだ。
最初のときは、立っているのも難しいほど疲れた。
二度目のときも、そうだった。
今回も、頭痛とめまいが起きた。
ひょっとすると、この剣は、使い手の命を吸い取って力を発揮するのかもしれんのう。
気軽に使ってよい力ではない、ということじゃろう。
もっとも、ただの鉈に似た剣だとしても、重さや長さは今のバルドにとって非常に使い心地がよい。
また、ひどく頑丈だ。
ゴドンの壁剣に思い切り打ち当てたときも、傷らしい傷は付かなかった。
護身用に携帯するには、まさにうってつけの武器なのだ。
当面、テルシア家にこの剣を届けることは考えないことにした。
また、ジャミーンの勇者イエミテから聞いた魔獣を操る〈青石〉の存在も、あわててテルシア家に報告しようとは思っていない。
今のところ〈青石〉を入手するすべもないし、これ以上の何かが分かるまでは、知らせても意味がない。
自分で行く以外に知らせる方法もない。
こうした考え方は、一年前のバルドならしなかった。
物の見方や考え方が、だいぶ鷹揚になっているようだ。
それでよいわい、とバルドは思う。
あくせくするような年でもないし、あくせくするような旅でもないのだから。
2
クラースクの街に着いた。
エグゼラ大領主領の北の端に近い。
大きな街だ。
結局、エグゼラ大領主の直轄地には寄らず、東側の周辺部をぐるっと回ったことになる。
驚いたことに、街の入り口に関所があって、通行料を取られた。
20ゲイルだ。
ひもの付いた鑑札をもらった。
鑑札がないと、街の中で物を買うことも売ることもできず、宿にも泊まれない。
街を出るときには、鑑札と引き換えに10ゲイルを返してもらえる。
住民には無料の鑑札が、しょっちゅう出入りする人には長期期間用の鑑札があるという。
大陸中央の国々では街に出入りする人をいちいち改めると聞いていたが、こんな辺境の、しかも大領主の直轄領でさえない街で見るとは思わなかった。
街の中に入って、さらに驚いた。
リンツの街に負けないほどにぎわっている。
街の真ん中を幅の広い道が通っており、道沿いにはずらっと店が立ち並んでいる。
関所でも、こんなに大勢の人が出入りしているのかと思ったが、この人の多さと活気は圧巻だ。
旅人は街中で馬に乗ってはならない規則だというのもうなずける。
まずは宿を取った。
うれしいことに大きな湯殿があったので、バルドとゴドンは交代で荷物の番をしつつ入った。
食事は部屋に運んでもらった。
肉と野菜のスープと、焼いたツァールガ、それから炊き込んだ
エグゼラ大領主領では、あまりパンを食べない。
小麦が育ちにくい土地柄なのだろうか。
代わりにプランをよく食べる。
粉に挽かず、実をそのまま水で炊くのだ。
クラースクに着くまでの道々でバルドたちも炊きプランを食べた。
バルドはあまりプランが好きではない。
味がないし、ねばねばするし、すぐに固くなって顎が疲れるからだ。
だが、プランで作った醸し酒はすばらしい。
ツァールガは、背が青く細長い魚だ。
パクラの辺りでは見たこともない。
リンツでは食べたことがあるが、大きな川でないと獲れないと聞いた。
ここはオーヴァ川からは遠いが、大きな川が近くにあるのだろうか。
焼きたてでじゅうじゅうと音を立てるツァールガが運ばれてきた。
焦げ目がついている。
この時期のツァールガは脂ののりが最高じゃけんねえ、と店員が言ったが、まさにそうだ。
ざっくり振られた塩と、穀物を発酵させて作ったという甘辛いソースが、まことによく合う。
それだけではない。
バルドは、この日発見した。
ツァールガの塩焼きと炊きあげたプランは、実によく合う。
身を一切れプランの上に乗せ、一緒に口に運ぶ。
それぞれもおいしいし、ツァールガからしみ出たうまみとソースがからみついて、プランが何ともうまい。
しかもプラン酒が合う。
この組み合わせは魔力を持っている、といってよい。
じっくり味わいたいのだが、手が勝手に次々と料理を口に運んでしまうのだ。
気が付いたら、嫌いなはずの炊きプランを、三杯もおかわりしていた。
ここクラースクの炊きプランはふっくらして、みずみずしくて、甘くてうまい。
茶色っぽくなく、輝くように白い。
店員にそう言うと、
「そりゃあ、もう。
ご領主様が特産品にするいうて、近くの村いう村にプランを作らせとりますけんね。
いろいろご指導なさっとるいうて聞いちょりますよ」
聞けば、このクラースクの街の領主は、もとはザルバン国の伯爵だったという。
二十年前、ザルバンがパルザム王国に滅ぼされたとき、パルザム王に降ることをよしとせず、オーヴァの東に逃げた。
多数の領民が伯爵を慕って同行した。
エグゼラ大領主は伯爵を喜んで迎え、支援を与えたうえで大領主領北部への定住と開発を許した。
以来クラースクは発展を続け、今ではエグゼラの各地から人が集まる大きな街となった。
伯爵の孫が現在の領主だが、伯爵は今も健在だという。
3
革鎧を扱う店を教えてもらった。
びっくりするほど大きい店で、たくさんの鎧や革の武具が置いてあった。
店員を呼び止め、魔獣の毛皮を見せて、これで鎧をあつらえたいのだがと話し掛けた。
その店員は、しばらく毛皮を見てから、年配の店員に声を掛けた。
年配の店員は、難しい顔つきで毛皮を見て、お預かりいたしますと言って、奥に持って行った。
ややあって、バルドとゴドンは、店の奥に案内され、主人だという人物に引き合わされたのだった。
「当家の主人で、マリガネンと申します。
これは、川熊の魔獣の毛皮でございますね」
と主人が訊いてきたので、バルドはそうじゃと答えた。
「大変立派な物でございますね。
ご承知のように、魔獣の毛皮は非常に扱いが難しゅうございます。
当家には、残念ながら、これを仕立てられる職人はおりません。
しかしながら、当家と付き合いのある腕のよい職人がおりまして、その者ならお役に立てるかと存じます。
こちらでお仕立てを承りますと、手数料を頂くことになります。
まことにご足労ですが、この毛皮を直接職人の所にお持ちいただいてはどうかと考えるような次第でございますが」
商人として筋の通った言い分だと感心したので、そうさせてもらおう、と答えた。
わざわざ店員を案内につけて、その職人の家まで案内してくれた。
それはいいのだが、案内の店員が、どうも目つきが悪く、有り体にいえば
暴力の匂いを感じさせる男だ。
荒事専門の店員なのだろうか。
職人の家は、目抜き通りから相当奥に入り込んだ場所にあり、案内がなければとてもたどりつけないところだった。
案内の男は家の前で帰った。
戸をたたくと、若い娘が出てきた。
二十歳になるかならないかという年頃だろう。
バルドは訪問の目的を告げた。
「あら、革鎧のお仕立てですか。
ありがとうございます!
にいちゃん、にいちゃんっ。
お客様だよっ」
娘が職人を呼ぶ声はしばらく続いたが、答えがない。
不審に思って家の中に入ると、男が仕事をしていた。
この男が革鎧職人ポルポなのだろう。
大きな仕事台には、巨大な皮が張り付けられている。
牛革じゃな、とバルドは見立てた。
傷は少なく、よく引き締まった、上品な色合いの革だ。
要所要所が釘で固定されている。
左手で押さえつけながら、右手の刃物で、流れるような曲線を描いて革が斬り込まれていく。
ポルポに話し掛ける娘をバルドは止めた。
今は邪魔してはならない。
バルドとゴドンは、しばらくのあいだ、ポルポの手さばきに見入った。
見る見る革は斬り込まれ、魔法のように、ブーツの形に切り出されていった。
作業が一段落つくと、ポルポは背を伸ばして汗を拭き、大きく息を吸い、吐いた。
バルドとゴドンも、ふうっと息をして緊張を解いた。
と、ポルポが振り返り、大声で怒鳴った。
「なんだ、てめえら!
人ん
じろじろ見やがって。
「お兄ちゃん、お客さんだよ。
皮持ち込みで、鎧一式おあつらえだって」
職人の妹はうれしそうな声で言うが、職人は相変わらす不機嫌だ。
「持ち込みだとう?
どうせ、また」
ポルポは、言いかけた言葉を飲み込み、バルドが抱えている毛皮に目を止めた。
「まさか」
椅子から立ち上がって毛皮をひったくると、しげしげと見つめた。
作業台の上において、ひっくり返したり、引っ張ったりしている。
「……すげえ。
こりゃあ、川熊の魔獣だな。
腹に縦一文字の切れ目があるだけだ。
なんてえきれえな毛皮だ。
ぜんっぜん傷のかけらもねえ。
すげえ」
なにぶん、毛抜きさえできず、なめしもできていない毛皮だ。
血は洗っているものの、ごわごわになっている。
そのことをバルドが謝ると、
「ばかやろうっ!!
素人になんぞ、さわられてたまるかっ。
下手な毛抜きなんかされた日にゃ、この宝石みてえな毛皮が
これでいいんだよ、これで」
そのあとしばらくのあいだ、ポルポは皮の裏表を隅々までなでて確かめた。
時々、よしよし、とか、よく無事だったな偉いぞ、などと毛皮に話し掛けている。
そのあとは、バルドを質問攻めにした。
武器は何か。
盾は使うのか。
どんな敵と戦うのか。
実際に剣も振らされた。
「よしっ。
一か月だ。
一か月後に、もう一回来いや、じいさん。
この皮から毛を取って、下処理して、なめしてなじませるのに、一か月かかる。
どのくらい縮むか、やってみなきゃわからねえしな。
一か月後に寸法計って仕立て方を決める」
4
ポルポの妹に支度金を渡して、バルドとゴドンは宿に帰った。
一か月、つまり四十二日は滞在することになったが、何の不満もない。
クラースクの街のうまい食い物をじっくり味わうことができる。
となると、少し軍資金が欲しくはある。
革鎧の仕立代には相応の金子を払わねばならないだろうし、ザルコス家への馬の謝礼もそれなりの金額を使った。
先のことを考えると、手持ちの金では少し心細い。
そう思っていたところ、ジュルチャガがやってきた。
よくもバルドの居場所を探し当てたものだ。
リンツ伯から伝言を頼まれたのだという。
一つ目は、ジュールランがパルザム王国に行ったということだった。
侯爵と伯爵が迎えに来たという。
二つ目は、カルドス・コエンデラがパルザム国王に召喚されたということだった。
表向きの用件は、大領主就任の祝いと、臣従の誓い、及び功績への報奨だということだ。
無論、行けば王太子の偽物をでっち上げた罪を問われるだろう。
三つ目は、ジョグ・ウォードが出奔したということだ。
どこに行ったかは分からない。
四つ目は、手持ちの金が足りなければジュルチャガに言いつけるように、ということだった。
以上を手紙ではなく口伝えでジュルチャガが伝えた。
この若者は名うての盗賊だというのに、リンツ伯はまたずいぶん信頼したものだ。
ついこの前、養子に裏切られて殺されかけたのに、ちっとも懲りておられんのう。
とバルドは思った。
思ったあとに、いや、そうではないな、と考え直した。
完全に信頼できる人間などない。
あのオズワルドという養子にも、長所はあったに違いない。
不幸な生い立ちをしたというから、そのせいで心にゆがみを生じたのかもしれない。
そのゆがみは承知のうえで、リンツ伯はあの男を信頼してみせたのだ。
そうでなければ人は育たない。
このジュルチャガという男。
もしかしたら盗賊に戻らずにすむかもしれんのう。
バルドは、預けた金からこれだけをジュルチャガに渡してほしいと手紙に書いて指印を押し、ジュルチャガに渡した。
5
「じいさん。
体、でっけえなあ」
採寸をしながら、ポルポは言った。
単に大柄なことに驚いたのではなく、しっかりした筋肉や骨に感心しているようだ。
時々、あごに手を当てては、何事かを考えている。
かと思えば、バルドの体のあちこちに手のひらを当てて、感触を確かめている。
作業台の上には、きれいになめされた川熊の魔獣の毛皮が広げられている。
あまりに美しい革に仕上がっているので、最初はとても魔獣の毛皮だと信じられなかった。
色も青みがかっている。
染めたのだろうが、いったいどうやれば魔獣の毛皮を染色できるのか。
だがすぐにバルドは、さらに信じがたい光景を目にすることになった。
採寸しては、木炭で革に印を打っていたのだが、切り出し刀を手に取ると、魔獣の革に、その刃を突き立てたのだ。
バルドは目を見開いた。
魔獣の皮がいかに強靱か、バルドはよく知っている。
それを斬り裂くことがいかに困難か、痛切に知っている。
なのに、まるで馬皮か牛皮でも裂くように、魔獣の革が斬り込まれていく。
ゆっくりと、しかし揺るぎなく着実に。
緩やかな曲線を描いて、革は切り分けられていく。
やがて、型が切り抜かれた。
ここでポルポは、ふうっと気を緩めた。
バルドも思わず、ふうーっと息を吐いた。
ゴドンも、ジュルチャガも、ふうっ、と息を吐いた。
みな、作業に見入って息をするのも忘れていたのだ。
一息入れて、ポルポは作業を再開した。
さらに、その中央部分に穴が切り抜かれた。
そこまで作業すると、切り出した革をバルドにかぶせた。
穴に頭を通す。
革は、背中から腹までを覆う形に整えられていた。
バルドの体にぴったり合うように。
「ふつう革鎧は、いくつもの部分に分けて作る。
そのほうが強靱な鎧になるんだ。
大きく裂けにくいし、動きやすいし、大きく損傷したら、その部分だけ取り替えりゃあいいからな。
だけど、この魔獣の毛皮を使うんなら、細かく分けねえほうがいい。
もともとが金属鎧以上に強いうえに、穴が開いてもそこが弱点にならねえんだ。
どのみち、これに匹敵する補修材なんか、手に入るもんじゃねえしな。
そのぶん、ほんのちょっと動きを妨げるけど、じいさんの戦闘スタイルなら問題ねえだろう。
金属鎧に比べりゃあ、うんと柔軟だし、使い込めば使い込むほど動きやすくなるはずだ。
たいがいの剣じゃあ、こいつに傷も付けられねえ。
胸の所は」
とんとんと指で胸に丸いしるしを書きながら、ポルポは説明を続けた。
「少しずつ大きさの違う革を三枚貼り合わせて強度をだす。
三枚の革は、それぞれ違う場所から取るんだ。
そしてそのあいだに腹の部分の革も綴じ込む。
そうすることで、どんな打撃にもびくともしなくなる。
まあ、縫い合わせは馬鹿みたいに難しくなるけどな」
縫い合わせるじゃと!
バルドは思わず声を上げた。
魔獣の皮は、切れ込み一つ入れるだけでも大変な労力を要する。
針で縫うことなど不可能なはずだ。
だが、ポルポはバルドの驚きを違う意味に取った。
「おおよ。
へたな縫いを入れたら、せっかくの革が台なしだけどな。
こいつを使う」
ポルポは、部屋の隅においた壺のふたを取った。
中には、黒っぽいどろどろした液体がある。
獣じみた匂いがする。
「チャトラ蜘蛛の糸だ。
四十八本をより合わせてある。
この糸だけが、魔獣の毛皮を縫い付けられる。
魔獣の毛皮から出たエキスを煮詰めて、それに漬け込んでるんだ。
こうやって漬け込んだ糸は、毛皮とよくなじむ。
革を傷めず、革から傷められない。
あと一晩漬け込んだら、乾かして蝋を塗り込む。
滑りをよくするためにな」
チャトラ蜘蛛から取る糸は、非常に美しく、軽い。
最上級の服の素材となる。
ポルポによれば、より合わせたチャトラ糸は、鉄でも容易に切れず、引っ張る力に対する強さはほかに比べるものがないという。
魔獣の毛皮のエキスに浸したチャトラ糸は、もはや魔獣の革そのものと同じほど強靱らしい。
たっぷりと時間をかけて型どりをしたあと、三日後に出来上がるから取りに来い、といわれてバルドたちは追い出された。
6
「あれ、
ポルポの工房からの帰り道、ジュルチャガが言った。
バルドは驚いて立ち止まり、ジュルチャガをまじまじと見つめた。
聖硬銀。
それはまさに
この世で最も硬い物質だ。
人の叡智の結晶といってよい。
あれ、とはどれのことじゃ。
と、バルドは訊いた。
「やだなあ。
全部だよ。
切り分け刀も。切り出しも。止め釘も。
あのぶんだと、縫い針もそうなんじゃないかなあ。
すごいよね。
一財産だよ。
あ、なめし刀だけは、普通の
いやあ、あの職人さんの親父さんは、ザルバン公国でも有名な革鎧職人さんだったそうだけど、さすがだね」
聖硬銀は買おうとして買えるものではない。
素材も希少で、腰が抜けるほど高価なことはもちろんだが、製法を知る冶金技師は、すべて大陸中央の王侯のお抱えだという。
ポルポの父親は、ザルバン公国が滅び、伯爵がこの地に落ちのびてクラースクの街を作ったとき、付き従って辺境に来たのだろう。
聖硬銀なら魔獣の革を切り裂けるのも納得できる。
とはいえ、あれほどきれいに、ただ一度の斬りつけで切り分けられるというのは、やはり職人ポルポのおそるべき技前を示している。
しかも、簡単なしるしを付けただけで、複雑な形状を頭の中に描いて、その通りに切り分けていったのだ。
見事な技だった。
思わずみとれてしまった。
ただ革を切るというだけの作業に、極上の酒の酔いにも似た陶然とした気分をバルドは味わった。
「あ、ここだ、ここだ。
バルドの旦那、ゴドンの旦那。
今日はここで晩飯ね」
ジュルチャガは、ぴったり三十日で帰って来た。
リンツまでを十五日で走ったことになる。
相変わらず信じがたいほどの脚力だ。
そしてリンツ伯から預かった金を渡すと、バルドとゴドンをせき立てて、裏通りの安宿に移らせた。
どういう交渉をしたのか、馬は役人用の駅停に預けた。
どこで調べてくるのか、食事のたびに違う店に案内した。
店はどこも安く、とびきりうまい物を食わせた。
バルドはジュルチャガがやり繰り上手なのに感心し、まとまった金を預けると、会計係を命じた。
何しろ、バルドとゴドンの二人でいたときより使う金は少なく、食べる物はうまい。
しかも、ジュルチャガもクラースクは初めて来たのに、観光案内までしてくれる。
どこに行くにも道に迷うということがない。
ジュルチャガは、恐ろしく役に立つ男だった。
店に近づくと、肉の焼けるいい匂いがしてきた。
鳥肉を焼いているようだ。
「ここはね。
コルコルドゥルを食わせてくれるのさ。
おっちゃん!
こっち、三人新規ねっ。
身と皮と内臓と、ありありありのお任せコース、どんどん持って来てっ。
あと、プラン酒の白酒、樽でお願いっ」
店の主人は、もうもうと煙が立つ中で、次々と肉を焼いている。
客は青空天上で、思い思いに椅子と机代わりの木箱を並べ、酒を飲み、話に興じている。
ジュルチャガは落ち着きのよい場所に、手際よく三人分の席をあつらえた。
すぐに店員が来て、木箱のまん中に大皿を置き、酒樽と三人分の椀をその横に置いた。
何年も通い詰めているような自然な仕草で、ジュルチャガは椀にひしゃくで酒をそそいで二人に渡し、自分も手に取った。
「旦那、乾杯」
うむ、乾杯じゃ、とバルドが言いながら椀を掲げると、他の二人も唱和した。
ぐっと白酒をあおる。
うまい。
最初の一杯というのは、どうしてこんなにうまいのだろう。
プラン酒には、プランの白い粒を残した泥酒と、澄んだ部分を濾し取った澄まし酒がある。
この白酒というのは泥酒の一種なのだろうが、粒が非常にきめ細かい。
まるで乳のようだ。
のどごしもまろやかである。
店員が肉を運んで来て大皿に入れた。
「うわあ。
うんまそうだなー」
本当にうまそうだ。
一切れを口に運ぶ。
薪のすすと皮付きの鶏肉の脂が混ざり合い、何ともいえないよい匂いがする。
うまい。
柔らかで、汁気がたっぷりで、量感も十分だ。
初めて食べる鳥なのに、なぜか懐かしい味がした。
「オーヴァの向こうの国々じゃあ、どこもコルコルドゥルを食ってるらしーよ。
これから辺境でも、だんだん増えるんじゃないかなあ」
と、ジュルチャガが例によって情報通なところをみせた。
次に出てきたのは、内臓だった。
「こりこりしとるな。
これは何じゃ?」
「あ、ゴドンの旦那、気に入った?。
そりゃ、筋胃の腑だね」
「おおっ。
これはまたこくがあるのう」
「心の臓だね」
その次には、じゅうじゅうと脂の焦げるよい匂いをさせて、皮焼きが来た。
「あ、これ渡しとくね。
適当に振り掛けるといーよ」
ジュルチャガが、先ほど果物売りの商人から買ったエイボの実を割って二人に渡した。
柑橘系の果物特有のさわやかな芳香が、鼻孔に心地よい。
エイボを絞って掛けると、一段とうまい。
うますぎる。
そのあと、足の肉や、肝の臓、脾の臓、腸の腑などが次々に出てきたが、ざっくり振られた塩とエイボの組み合わせは無敵といってよく、食べても食べても飽きが来ない。
三人は、非常な量の鳥を食べた。
最後には、店長が、よく食ってくれた礼だと、鳥のスープと炊きプランを、卵付きでサービスしてくれた。
白いスープは甘く、臓腑の奥底に染みた。
ゴドンが卵をスープに入れようとしたら、ジュルチャガに怒られた。
「何やってんだよ、ゴドンの旦那。
そうじゃないよ。
これは、炊きプランに掛けるんだよ。
まず、よーく混ぜてね」
ジュルチャガを見本に、バルドとゴドンは、よく卵を混ぜた。
そして湯気を立てている白い炊きプランに掛け、さらに混ぜた。
「いいかい。
生卵を混ぜた炊きプランは、
飲み物なんだ」
と言いながら、さくさくと卵掛けプランをかき込んだ。
バルドとゴドンも、それをまねた。
特にゴドンは、ひどくコルコルドゥルの卵に興味を引かれている。
「なかなか大きくてうまそうな卵じゃのう」
「うまそう、じゃなくて、うまいんだ。
餌によって卵の味が変わったりするらしいよ。
コルコルドゥルの雌は、この卵を十日に六個産むんだって」
「うおおおおっ。
な、何というのどごしの良さ!
うまいっ。
うまくて気持ちよい」
ゴドンが大声を上げた。
バルドも同じ気持ちだった。
少し離れた場所では、店長が、忙しく鳥を焼きながら、自慢げに鼻を鳴らした。
そんなとき、別の客同士の会話が、三人の耳に飛び込んだ。
革鎧職人のポルポが、人殺しの罪で捕まったというのだ。
7
ポルポの家は封鎖されており、その前で、ポルポの妹が泣き崩れていた。
役人はいないが、やじうまがいる。
嘆く妹を、ジュルチャガは硬い表情で見ていたが、ゴドンの耳に口を寄せて、
「ちょっと調べたいことがあるんだ。
ゴドンの旦那。
わりーけど、しばらくみんなの注意を引きつけてくんないかなー」
と言った。
ゴドンは、よし、と答えたもののどうしてよいか分からない。
と、小さな子どもが通行人の男に突き当たったらしく、男が子どもを怒鳴っている。
これだと思ったゴドンは、男に近寄り、
「こらー!
大の大人が小さな子どもをいじめて何とするっ」
と怒鳴った。
もともと地声の大きいゴドンだが、腹に力を入れて怒鳴ると、おそろしく大きな声になる。
みんなが注目しているすきに、ジュルチャガは器用に屋根に上り、屋根板をずらして中に降りた。
ゴドンは、男相手に人の道を説いて聞かせた。
すぐにジュルチャガが出てきたので、
「これからは気を付けよ!」
と言って男を解放した。
そのあと、バルドたちはポルポの妹に声を掛け、ひとしきり事情を聞いて、力を落とすなと励まして別れた。
8
事の次第は、こういうことだったようだ。
妹は少し離れた果物屋で住み込みで働いているのだが、朝食をポルポに届けに来た。
鍵を開けて家に入ったところ、人が死んでいた。
ポルポは作業台の横で寝ていたが、これはいつものことだという。
驚いて悲鳴を上げたので、兄も起き、近所の人もやって来た。
役人も来た。
死んでいたのは馬具職人のトマという男で、ポルポとはよく酒を飲んでけんかしていたという。
トマの胸にはポルポの使うなめし刀が突き刺さっていた。
流れ出た血は、作業台を真っ赤に染めていたという。
役人は、トマがどこかで酒を飲んでやってきて口論になり、ポルポがかっとして刺し殺したのだろうと言った。
妹は、ポルポが仕事の刀や作業台を血で汚すようなことをするはずがないと訴えたが、取り上げてもらえなかったらしい。
ジュルチャガは、調べることがあると言ってどこかに行き、一刻ほどで帰ってきた。
「鍵が掛かってた、ってのが一つのポイントだよね。
あの店は、マリガネンの持ち物だったよ。
ポルポの店を紹介してくれたっていう大きな防具屋の主人だね。
合い鍵も持ってるかもしれないね。
死んだトマって人、あの晩にお酒を飲んでた店、分かったよ。
飲んでた相手ってのが、マリガネンの店の使用人でね、いかにも犯罪者って感じのやつなんだ」
「ジュルチャガ。
ポルポの家に入って、何をしたのだ」
「あ、ゴドンの旦那。
さっきは、ありがとね。
助かったよ。
聖硬銀の道具は残ってた。
魔獣の毛皮はなくなってた。
これでだいたい話が見えてきたよね」
「いやいや。
わしにはちっとも見えんぞ。
何がどうなっとるんだ」
「あ、肝心なこと二つ言い忘れてた。
マリガネンには息子が二人いてね。
長男は店を継ぐんだけど、次男は革鎧職人なんだって。
それとね。
この街の法じゃあ、人殺しは
咎人ってのは、財産を持てないんだ。
だから財産は全部売りに出される。
売り上げは領主様のもんになるけどね。
その金額の分、解放までの年限が短くなるんだ。
賭けてもいーけど、マリガネンはポルポと財産を買い取るね。
そうすりゃあ、道具も手に入るし、知識も技術も盗みほーだいだもんね」
ここまで聞いたら、バルドにも筋書きが見えてきた。
マリガネンは息子のために、聖硬銀の道具を欲しがったのだろう。
ポルポの知識と技術も魅力的だったに違いない。
しかし、一つ分からないことがある。
魔獣の毛皮だ。
それはどこに行ったのか。
「はあ?
何言ってんの、バルドの旦那。
魔獣の毛皮だよ。
しかも腕っこきの職人が下ごしらえした、傷一つない見事な川熊の魔獣の。
どさくさにまぎれてマリガネンのおっちゃんが盗ませたに決まってんじゃん。
あれが手に入ると思ったから、人殺しまでする気になったんだと思うよ」
確かに魔獣の毛皮は得難いものだ。
だが加工は難しいし、使いやすいものではない。
大して値打ちのあるものでもないと思われた。
そうバルドが言うと、ジュルチャガは目と口をまん丸に開けて、しばらくあぜんとしていた。
「な、な、な、なんちゅう物知らずな。
ゴドンの旦那。
何とか言ってやってよ」
「いや。
人殺しをするほどの物ではあるまい」
「うわーーー。
この人もだよ。
だめだ、こりゃ。
世の中の常識を知らないにもほどがある。
あのね。
あれだけの物だったら、捨て値でも五十万ゲイルはくだらないよ。
いや、値段の問題じゃない。
どこの王侯も欲しがるし、あれを扱った店となれば、それだけで箔が付く。
まあ、今回の場合、表には出せないけど、裏でも欲しがる人はいっくらでもいる。
賄賂にももってこいだしね。
そりゃもう、ものすごいもんだよ。
つかさ。
パクラじゃあ、けっこう魔獣の毛皮が取れるでしょ。
それ、どうしてんの?」
テルシア家では、少ない年でも十匹、多い年には二十匹以上の魔獣を倒す。
必ず激闘になるから、皮は傷だらけになることが多いが、それなりの数の毛皮が取れる。
これは倉庫に積んであって、騎士は誰でも自由に使える。
ひどく加工がしにくいので、普通の革鎧の上からくくりつけたり、内側に貼り付けるなどして使っている。
魔獣の毛皮は確かに強靱だが、全身を覆うような鎧には仕立てられないので、金属鎧のほうが重宝する。
「なんかが、なんかがひどく間違ってる。
あのね、旦那。
たぶんその端切れ二、三枚で、全身用の金属鎧が買えると思うよ。
すっごく上等の金属鎧が。
うううっ。
知らないってことも、ここまでくると罪だよね。
うん。
やっぱ、この旦那、俺っちがついてないとだめだわ」
ぶつぶつつぶやいてから、ジュルチャガは大きな声で、こう言った。
「関係者を呼んでの取り調べは、明日の午後に決まったみたいだよ。
旦那、どうする?」
バルドは、目を閉じて考えた。
そして思った。
この街には、悪人もいるかもしれないが、全体に何かしら清明で筋の通ったものを感じる。
それは、領主の気性を反映しているのだと思われた。
そこから、ここの役人は信用してみてよいのではないか、という結論に至った。
正攻法でゆく。
今から役所に行くぞ。
バルドの声に、ゴドンとジュルチャガはうなずいた。
9
「そうか。
すると、お前の店の使用人三人と死んだ男がポルポの家に行って酒を飲み、三人は先に帰ったのだな」
「は、はい。
ポルポは腕のよい職人ですが、短気なところがございました。
まさか、このようなことになるとは。
つい魔が差したのでございましょう。
どうか寛大なご処置をお願い申し上げます」
取り調べの役人に対して答えているのは、防具店主人のマリガネンだ。
ポルポをかばう振りをしながら陥れている。
偽の証人まで用意しているのだから、悪らつそのものといえる。
横の部屋でやりとりを聞いているバルドは、あきれるばかりだ。
「有罪ということになれば、財産は売りに出されるが、職人では大した財産も持っておらんだろうなあ」
「それはもう、致し方ないことでございます。
使い古した道具など二束三文の値打ちしかございませんが、何割増しかの色を付けて、手前ですべて引き取らせていただく所存でございます」
「なんと、殊勝なことじゃ」
取り調べの役人は、打ち合わせの通り、ずいぶん取り調べを引き延ばしている。
そろそろジュルチャガたちが帰って来るころだ。
扉が開く音がした。
役人が取調官に報告をしている。
「そうか。
うむ、分かった。
防具屋店主マリガネンよ。
お前に会ってもらわねばならん者を待たせてある。
バルド・ローエン卿。
お入りくだされ」
言われる通り、隣の部屋に入った。
バルドの顔を見ても、主人は表情を変えなかった。
なかなかの狸ぶりだ。
「こちらのバルド・ローエン卿が、ポルポに魔獣の毛皮を預けておられたのだ。
届け出を受けて、当方の者がポルポの店を探したが、見当たらぬ。
店主。
お前、このことについて何か知らぬか」
「このおかたは、確かに魔獣の毛皮をお持ちでした。
ポルポなら仕立てができると、ご紹介いたしましたのは手前でございまして。
その毛皮がポルポの手元にないとは、これは何とも面妖なことで」
「心当たりはないと申すのだな」
「はい。
ございません」
「お前の店には、仕立てかけの革鎧など売るほどあろう。
似た物が紛れ込んでいたりはせぬか」
「め、めっそうもございません。
魔獣の、しかも川熊の魔獣の完全な毛皮でございます。
手前ども、長年この商いをいたしておりますが、あそこまでの物を見たのは初めてでございまして、似たような物などあるものではございません」
「そうか。
あるはずはないか。
では、これはどういうことか」
扉が開き、役人とジュルチャガが入って来た。
ジュルチャガは、まだ縫い合わせられていない魔獣の革を持っている。
入って来た役人は、
「店を捜索したところ、魔獣の革が出て参りました。
主人の部屋の奥の隠し倉庫の中にございました。
ポルポの家の合い鍵も見つかりました。
ローエン卿がつけてくだされた下人のジュルチャガは、恐るべき捜し物上手にござります」
主人の顔は、もはや蒼白である。
そこに、別の役人が入って来た。
「ご指示通り、店員を逮捕し尋問いたしましたところ、殺人を自白いたしました。
ただし殺したのは事故で、主人の指示でポルポの店に運んで刃物で刺したと言い張っております。
ひどい暴れようで、ザルコス卿がご協力くださらねば取り逃がすところでした」
「店主。
あらためて聞かせてもらいたいことがある。
これ以上の嘘隠し立てはためにならんぞ」
マリガネンは、がっくりうなだれた。
10
トマを殺した店員は、二十回のむち打ちのうえ、十年間咎人として苦役に就くこととなった。
厳しい刑だ。
二十回もむちで打たれたら、下手をすれば死ぬ。
痛みは何年も続くだろう。
マリガネンは、相当に大きな罰金刑となった。
それと別に、今までポルポに払う賃金をごまかしていたことが発覚したので、不足分が徴収されポルポに渡された。
事件はそれだけでは終わらなかった。
マリガネンの長男が、手下を引き連れてバルドたちを襲撃したのだ。
襲ってきた十五人ほどのならず者は、ゴドンが存分にこらしめた。
これは、役所の裁定をないがしろにする振る舞いであるから、重い罪に問われ、マリガネンは巨額の罰金を申し渡された。
結局、二つの罰金を支払うことができず、マリガネンはすべての財産を没収されたうえで、家族ぐるみで街を追放された。
事件解決にバルドたちが活躍したことは役人から聞いたらしく、ポルポと妹から厚く礼をいわれた。
ポルポは腕を振るって素晴らしい鎧を仕立てた。
三日のはずが、七日の日子を要した。
仕立代は要らないとポルポは言い張ったので、相応の金額を妹に渡した。
鎧を受け取った翌日、バルドたちは旅立つ予定だったが、意外な人物が宿に訪ねて来た。
前々クラースク領主ハドル・ゾルアルス伯である。
一代でこれほどの街を作り上げた傑人なのだが、もったいぶったところがない。
あとでジュルチャガに聞いたところでは、今年八十四歳か五歳だという。
痩せて小柄だ。
血色はよく、肌はしわだらけながら艶々している。
頭頂には毛髪がないが、側頭からは豊かな白髪が伸びている。
口の周りもあごも、白いひげに包まれている。
まるで雪のようだ。
「この街に、壁剣の騎士殿と人民の騎士殿がご滞在とはのう。
聞けば今朝出発とのこと。
どうしてもひと目会いとうて、押しかけてきてしもうた。
許してくだされよ」
と、にこやかに語りかけてくる声は、人なつっこいといってよいほどの柔らかさを持っている。
これほど生臭さを感じさせない人間は初めてじゃのう、とバルドは感心した。
さわやかな風が吹き寄せるような気がした。
それは人格から吹く風だ。
老いるにしたがい身についてしまう傲慢や独善を厳しく削りながら生きてきた者だけが、こうした気配をまとうことができる。
随行の騎士二名は、いずれも腕利きと察せられたが、殺気も放たず威圧もせず、ただ静かに後ろに控えていた。
しばらく談笑して元領主は、
「ささやかながら餞別にお納めくだされ。
よい旅をのう」
と言って、バルドたち三人にそれぞれマントを贈った。
もっともこの場にジュルチャガはいないので、ジュルチャガのマントはバルドが預かった。
ジュルチャガは、リンツ伯に報告することができたとかで、ポルポの無罪が確定した日のうちに、リンツに向かって旅立っていたのである。
マントは、派手ではないが丈夫でよい品である。
バルドは奇異に感じた。
さてのう。
少し手厚すぎるのう。
しかも、ゴドンは領主、わしは領地も持たぬ流れ騎士、ジュルチャガにいたってはただの下人。
その三人全員に同じほど上等のマントとは。
この疑問に、もう一つの疑問を重ねれば、おのずと推測が成り立つ。
もう一つの疑問というのは、なぜこれまでマリガネンの悪事やあのやくざな店員の振るまいが見過ごされていたか、また、なぜ今回の事件で早々にポルポが犯人として捕縛されたか、ということである。
おそらくこの元領主は、この件の顛末を聞いたとき、不審を感じ調べさせた。
マリガネンに鼻薬を嗅がされていた小役人がいた。
それを調べ、処分を決めるのに多少の時間を要した。
バルドとゴドンに会いたかったというのも本当だろうが、わびと礼の気持ちを示したかった。
それは、ゾルアルス伯みずからが足を運んだという点で十分なのだが、さらに、三人に同じ物を贈ったという点に、意を含めた。
なるほど、これは人物じゃ。
とバルドは思った。
要するに、〈おぬしたちのおかげで無実の職人を罪に落とさずに済んだ。たちの悪い商人もこらしめることができたし、不正役人も罰することができた。ありがとうよ。手落ちもあったがこの街を嫌いにならんでくれよ〉と言いたいのだ。
だが、あからさまに現領主の統治に
だからこそのマントなのだ。
そう分かったとして、どう答えたらよいのか。
バルドが頭をひねりかけると、隣のゴドンがにこにこ顔で言った。
「いやあ、実はわしは、ここら辺りでよく食べられている炊きプランが嫌いでござった。
しかし、この街で食べた炊きプランはうまかった。
特に、脂の乗ったツァールガと一緒に食う炊きプランは、こたえられんうまさでござった」
この正直な物言いに、ゾルアルス伯も表情をくしゃりと崩して答えた。
「ほう!
気に入っていただけたか」
「それはもう。
それにもまして、焼いたコルコルドゥルをたらふく食べたあとの、卵を混ぜた炊きプランの喉ごしの気持ちよさときては!」
「ほうほう」
「伯はご存じか。
卵を混ぜた炊きプランは、食べ物にはあらず、飲み物にござる」
「なんと!
それは知らなんだ。
が、言い得て妙。
はっはっはっ。
プランとコルコルドゥルの二つは、この街が特に力を入れておるもの。
存分に味わっていただけたようで、わしもうれしいわい。
愉快、愉快」
一同は大いに笑った。
随行の騎士たちも声を上げて笑った。
その昔、〈初めの人々〉のうち、ミト家とイエコタ家が、プランの栽培に適した土地を探してここにたどり着いた。
両家は絶えてしまったが、プラン栽培は広く定着し、やがてエグゼラ大領主領が出来た。
大領主のもとには、上質なプランを育てるための口伝が残っているが、あまりに複雑で手間が掛かるため、まともに実行している村はないという。
ゾルアルス伯はその口伝を大領主から聞き受け、長い年月を掛けて周りの村々に援助と指導を与えて、ようやく最近本当においしいプランが育てられるようになったのだという。
バルドはエグゼラ大領主領に来るまで、プランなどという穀物のことは聞いたこともなかった。
当然、その味も知らなかった。
エグゼラ大領主領では、小麦のパンより炊きプランのほうが一般的であるので、泊まった先々で炊きプランを食べることになったが、その色は茶色で妙な癖があり、食感も味も、あまりバルドの好むところではなかった。
ところがクラースクで食べた炊きプランは素晴らしい味だった。
魚や肉ともよく合った。
炊きプランとともに食べる魚や肉は、バルドにまったく新しい楽しみを教えた。
ここに来てよかったと思えた。
旅の先には、まだまだ見知らぬ美味が待っているだろう。
生きるためには食べることが欠かせない。
食べることは生きることだ。
のたれ死ぬための旅であっても、食べることはやめられない。
どうせなら最後までうまい食べ物を探して歩きたいものだ、とバルドは思った。
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