第4話 勅使と盗賊

 1


 薬師の老婆と別れ、再び一人になった。

 時刻は夕方に近い。

 目の前に見える村に入った。


 村のそばに川がある。

 水の豊かな川だ。

 この川は、大障壁がある山地のほうから流れてきているのではない。

 そうであれば、東から西へ向かって水は流れる。

 この川は、北から南に向かって流れている。

 大河オーヴァの支流なのだ。


 ということは、泳いでいる魚も、今までとはずいぶん違うはずだ。

 オーヴァの魚は、とても種類が多く、うまい。


  楽しみなことだの。

  のう、スタボロス。


 と、荷を背負う老馬に話しかけたが、むろん返事はない。 

 名前だけは知っている村だった。

 もっと小さな村だと思っていたが、意外と大勢の人が住んでおり、共同食堂宿ガンツまであった。

 ガンツは、にぎわっていた。

 馬つなぎにスタボロスをつなぎ、宿の中に入って、泊まれるかのう、と聞いた。


「おう、いいともさ。

 ちょうど一部屋いてるよ。

 それにしても、あんた、運がいいね。

 こんな日に、ここに泊まるなんて」


 ずいぶん上機嫌で女将おかみが言うので、運がいいというのは何のことかの、と尋ねた。


「あら、知らなかったのかい。

 王様が戴冠なさったんだよ!

 そりゃまあ、立派な王様でね。

 こんな田舎の村にまでお使いを寄越されてね。

 今日ここに来た人には、一人一杯、酒がふるまわれるのさ。

 ウェンデルラント王陛下のおごりでね!

 さ、あんたも一杯やっとくれ」


 つがれたのは、水で薄めた蜂蜜酒だった。

 あまりよい味ではなかったが、もらい物に文句を言うわけにはいかない。

 その一杯を飲み干すまでに三度、ウェンデルラント新王に乾杯した。

 そして、自分の払いで蒸留酒を注文してから、ウェンデルラント王のことを聞いた。

 女将は、あちらこちらと忙しく立ち働きながら、バルドに事の次第を説明した。


 オーヴァ川の向こうに、パルザム王国がある。

 パルザム王国は、ほかの大国と戦争していたが、去年、勝った。

 戦争は大激戦で、王太子ほか、何人もの王子が死んだが、最後の最後で、ウェンデルラント王子が軍を指揮して勝利した。

 ウェンデルラント王子は凱旋して英雄となったが、高齢で病床にあった王が、安心のためか死んでしまった。


 次の王を誰にするか、もめにもめた。

 ウェンデルラント王子は、王太子より年上で、人望もあり、功績も抜群だったが、母親の身分が低いため、王位継承の可能性があると思われていなかった。

 しかし、今や王子は救国の英雄で、軍部の支持も高い。

 結局、ウェンデルラントが王位に就くことが決まり、戦勝と前王の死から一年して、戴冠式が行われた。

 王は、戦勝と戴冠の喜びを広く伝えたいと考え、勅使を各地に派遣し、祝い金を下賜しつつ新たな統治方針を説いて回っている。


 女将が説明したのは、そのようなことだった。

 こんな田舎の村にいながら、恐るべき情報収集である。

 パルザム王国が戦争に勝ったこと、その立役者のウェンデルラント王子が王位を継ぐことなどは、バルドも聞き知っていたが、この女将の情報は、それより詳しいものだった。


 バルドは、あきれた。


 辺境はあまりに広く、パルザムからは遠すぎ、村や街はあまりにまばらである。

 徴税するにも、兵を遣わすにも、法をくにも、ひどく不便で、割が合わない。

 今まで、パルザムのみならず、いくつもの国が、この大陸東部辺境の一部について、領有を宣言したことがある。

 しかし、実効的な統治をした国はない。

 大河オーヴァが、それを拒んでいる。


 いくらか現実的なのは、有力な領主を代理者に任命して、間接統治を行うことであるが、それはパルザムのみならず、いくつかの国がすでに行っている。

 行っているが、機能はしていない。

 大国が把握も制御もできないままに、現地では次々と勢力図が書き換えられていく。

 魔獣の襲撃や自然災害で村や街が全滅することも、珍しくはない。


 結局、今まで大陸中央の国々と辺境をつないでいたのは、わずかな人の行き来と商業交流だけだ。

 オーヴァ川の西にはいくつかの国があるが、唯一パルザム王国だけが、川のほとりに交易村を設けている。

 こちらから川を渡って行きさえすれば、交易もできる。

 交易村から馬車に乗れば、パルザム本国に行くこともできる。

 学問をしたり、都会で一旗揚げたい人間は、パルザムを目指す。

 大陸東部辺境では、パルザム王国の名は、少しばかりの親近感とあこがれを持って語られるのだ。


  こんな所でワインをまき散らしても、王の名前など三日後には忘れられているだろうにのう。

  奇特なことだわい。


 などと考えながら食事をつまんでいると、酒場のざわめきが急に静まった。

 立派な装いの騎士が入って来たためだ。

 騎士は、張りのある若い声で問い掛けた。


「皆、くつろいでおるところを申し訳ない!

 薬師くすしか、病気に詳しい者はおらぬか。

 特別辺境勅使バリ・トード司祭様が急病なのだ。

 手足が急に冷え、激しい頭痛を訴えられ、今、高熱で意識がない。

 助けられる者はいないか」


 こんな田舎に薬師などいるわけもない。

 リンツに戻れば薬師がいるが、今現在危篤であるらしい司祭を助けられる者はいない。

 〈河の向こう〉から来た騎士などに関わりたいとは誰も思わないのだ。


 バルドは、立ち上がって、詳しい症状をお聞きしたい、と申し出た。

 そなたは薬師かとの騎士の問いに、薬師ではないが、もし自分が思っている病であれば、ただちに手を打たねばならない、と答えた。


 バルドは、すぐに村長の家に連れていかれた。

 村長自身は不在である。

 勅使の到着を次の村に伝えて宿舎などを手配するために出ている。

 村長の妻は娘の出産のため嫁ぎ先にいて、これも不在。

 家には食事などの世話をする少女が二人いるばかりで、司祭の急病に対処できない。

 村人の中に薬の知識を持った者もあるかもしれないと、わらにもすがる思いで酒場に行ってみたのだ、と若い騎士から説明された。


 特別勅使であるという司祭のそばに、年配の騎士がついていた。

 若い騎士が簡潔に説明し、年配の騎士は、よろしく頼む、とバルドに頭を下げた。


 司祭の様子をよくみたところ、ゲリアドラによる症状ではなかった。

 この地域ではよく知られた〈一夜熱〉と呼ばれる病気だった。

 薬師の老婆は、蚊がこの病のもとを運ぶのだという、不思議な持論を教えてくれた。

 突然高い熱が出るので驚くが、たいていはほおっておいても二、三日で治る。

 ただ熱が高すぎると意識不明に陥り命を落としたり、体の一部が動かなくなったりすることもある。


 バルドは、本職の薬師ではないが、わしの診立てではこうである、と説明した。

 そのうえで、熱冷ましの薬草があるので、よければそれを処方できること、また、部屋を温かくして水分をじゅうぶんに摂らせることが大切である、と述べた。

 年配の騎士が、よろしく頼む、と再び言い、バルドは、薬草をつぶし、煎じて、吸い口で病人に与えた。


 幸い、病人は、薬も水も飲んでくれた。

 火鉢と水の入った鍋が持ち込まれ、寝室は熱気で暑くなった。

 バルドは、汗をかきながら、病人の面倒をみた。

 若い騎士が、意外な手際よさをみせて手伝った。

 二人の従者もよく働いた。

 年配の騎士は、部屋から出ることなく、ずっと司祭を見守った。

 暑い部屋の中で、服装と姿勢を崩さずに。


 真夜中すぎ、いやな匂いのする汗を大量にかいたあと、容体が落ち着き、安らかな寝息を立てるようになった。

 年配の騎士は、一同にねぎらいの声を掛け、交替で休みを取るようにと指示した。

 夜明けごろには熱も下がり、病の兆候はことごとく消えた。

 もう大丈夫でござろう、とバルドが言うと、年配の騎士はわざわざ椅子から立ち上がって、バルドに一礼した。


「まことにかたじけない。

 貴殿には感謝の言葉もない。

 そういえば、まだお名前をお聞きしていなかった」


 名を名乗ると、年配の騎士は、


「もしや、〈人民の騎士ガルデガーシ・グエラ〉殿か」


 と言い、謹厳そのものの顔を少しゆるめた。


 2


「もう一杯ワインはいかがかな、ローエン卿」


 バリ・トード司祭の言葉を受けて、従者がワイン壺を運んでバルドの杯につぎ足す。

 ワインは上質のものであり、杯も足付きで豪奢な彫刻のある銀製品である。


 初め、バルドは、こんな辺鄙へんぴな地に、騎士二人と従者二人だけを付けて派遣されるような〈勅使〉を軽くみていた。

 司祭が勅使というのも妙である。

 しかし、この人物は、どうもただの司祭ではない。

 高級で上品な文物に慣れ親しんでおり、教養も高く、それでいて金回りのよい聖職者にありがちな下卑た空気をまとわない。


 騎士二人も、相当の人物である。

 年配の騎士は、ザイフェルト・ボーエンという名である。

 練達の騎士であり、おそらく歴戦の勇士だ。

 人に命ずることに慣れているように感じる。

 結局明け方まで司祭のそばで腰掛けたまま一睡もしなかったが、その態度に少しの乱れもない。


 若い騎士は、シャンティリオン・グレイバスターと名乗った。

 役目にひどく一生懸命で、物の見方が硬く狭いきらいはあるが、騎士は正義と善の守護者であると本気で信じている姿は、ほほえましくもあり、まぶしくもある。

 それにしても、〈剣の王シャンティリオン〉とはまたすごい名前だが、ザイフェルトは本人に聞こえないよう、万人に一人の剣才の持ち主です、とバルドに言った。


 二人とも、腐敗と堕落の噂しか聞かない大国にこのような騎士もいたのか、と瞠目させられる人材である。

 大国の相当の家柄であると思われるのに、騎士であるという以上の身分を語らない点も、好感が持てた。

 二人の従者も、作法といい、気の配りかたといい、バルドにいささかの気後れも感じさせない自然な給仕といい、見事なものである。

 目の前に並んだ料理の大方は従者が調理したものであるというが、料理人としての技量も並ではない。


 要するに、この一行は、新王の気まぐれにより少人数でほそぼそと僻地へきちを巡回することになった運のない下っ端などではない。

 そう見せかけた、実は有能で、したがって何かの使命を持つ人々なのだ。

 もっとも、彼らの目的が何かなど、バルドは知りたくもない。

 ただ、思いもかけず気持ちのよい人々と酒を酌み交わすことができた幸運を喜ぶのみである。


「いやいや。

 たっぷりと褒美をはずむとは申しましたが、このような小さな村で、これだけの馳走ちそうが並ぶとは思いませんでしたな」


 にこにこ顔でホスト役を果たす司祭の健康そうな顔を見れば、昨夜危篤に近かったなど信じられない。

 司祭の回復ぶりに一行の機嫌はすこぶる良く、バルドもうれしい。

 食卓の中央に置かれているのは、魚料理の大皿である。


 ジャボ。


 オーヴァ川でしかれない魚で、この辺りでは〈騎士魚きしぎよ〉とも呼ばれる。

 騎士のように危険だからという者もあれば、食べるのに騎士のような勇気がいるから、という者もある。

 毒を持つのである。

 皮と内臓は、決して食してはならない。

 一口食べただけで死ぬ。

 そんな危険な魚だが、その美味なことは比べるものがないほどだ。

 網に一匹だけかかっていたということで、料理法を知るガンツの女将が呼ばれて腕をふるった。


 ジャボの身は厚切りにして、さっとあぶり、それから一口大に切り分ける。

 崩れやすい身であるので、手際のよさと大胆さと繊細なナイフさばきが要求される。

 表面を焼かねば風味が出ないが、焼きすぎればうまみが逃げる。


 一切れを取って、口に運ぶ。

 舌先から口全体に芳醇ほうじゆんな甘みが広がる。

 軽く歯を当てただけで身はほぐれる。

 それを口の中でじっくりと味わう。

 部分部分で微妙に違う味が、ふわっと広がっていく。

 七色の味を持つ、といわれるゆえんである。

 身が消えないうちに、ワインを含む。

 身は自然に溶けて、ぷるぷるの食感と、ぴりっとした刺激が喉をなでながら下に落ちていく。

 ふう、と息を吐き出せば、すうっと清涼な芳香が鼻に抜け、余韻は奥深い。


 白身で淡泊といってよい味なのに、ボディがしっかりした苦みの強い赤ワインに、まったく力負けしない。

 赤ワインは、ラウフウェン・マカリスターの43年物である。

 司祭は、この奇跡の白身魚には43年物では位負けしているが、旅の空にこれ以上のヴィンテージは持ち出せなかった、とバルドにわびた。

 バルドは、


  わしは銘柄にはとんと無知でしてな。

  この赤ワインがジャボに負けているとはまったく思いませんな。

  ただ、ワインに旅をさせてはならないというのは、まさにその通りですな。


 と述べた。

 時を経て絶妙の熟成と落ち着きをみせた赤ワインを、がたがた揺れる馬車で運んだりしようものなら、その後一年間は寝かせないと、本来の状態に戻らない。

 二度と戻らない、ということもあり得る。

 酒は、その酒が出来た土地で飲むのが一番なのである。

 若いワインなら、比較的振動にも強い。

 この司祭は、旅をさせられるほどには若く、その中で最大限熟成した赤ワインを選んだのだ。


「まさに、まさに。

 この43年物なら、旅にも強いかと思いましたがな。

 やはり、妙な苦みが出ておりますな」


 確かに舌にやや不快な刺激を感じるが、慣れてしまえばむしろ味の一部だとも思える。

 極上の魚を、このワインがよりおいしく食べさせてくれる。

 司祭も二人の騎士も、生まれて初めてジャボを食べるそうで、今やすっかりジャボのとりこである。

 バルドは、老婆心ながらこの魚だけは慣れた料理人以外に料理させてはなりませんぞ、と注意しておいた。


「ザイフェルト様。

 〈人民の騎士〉というのは何のことなのですか?」


 若い騎士の質問に答えたのは、年配の騎士ではなく、司祭だった。


「おお。

 シャンティリオン殿は、人民の騎士をご存じないか。

 もっとも、この呼び名が都で噂されたのは、もう四十年近く前のことかのう。

 まさかご本人にお会いできる日が来ようとは。

 星神せいしんザイエンよ、お導きに感謝します」


「シャンティリオン。

 騎士が叙任を受けるときには、司祭以上の聖職者と、領主と、先輩の騎士たちが立ち会い、騎士の誓いを行うであろう」


 説明する気のない司祭のあとを、年配の騎士が引き継いだ。


「はい。

 主君であるかたと王に忠誠を誓います」


「ローエン卿。

 辺境では、先輩の騎士一人が立会人を務めるのでしたな」


 バルドは、この問いを肯定したうえで、聖職者が見届け人として同席することもありますがの、と付け加えた。


「シャンティリオン。

 今では、国があり、序列があり、さまざまな主従関係や家同士のつながりが初めからある中で、騎士が叙任される。

 しかし、もともとはそうではなかった。

 騎士になるということは、家を立てるということであり、あらたな貴族が生まれるということであり、そこに新たな領主と街が生まれる、ということであったのだ。

 忠誠の選択が、家と領民の命運を決め、その誓いを守りきれるかどうかで、騎士の生きざまが問われる。

 何物にも制約されず、おのれの忠誠を捧げる相手を選ぶこと。

 これこそが、騎士の誓いの本質だったのだな。

 三つの誓いの内容を聞けば、その騎士がどういう人物であるか、およその見当もついたのだ。

 だから、辺境のやり方のほうが、本来のあり方に近いのだ。

 忠誠を捧げる相手だけではない。

 徳目も、奉ずる神も選ぶのだ」


 年配の騎士は、ワインで喉を潤した。


「徳目を選ぶのですか?

 神も?

 では、選んだ徳目以外は守らなくてよいのですか?

 選んだ神以外は尊ばなくてよいのですか?」


 厚切りのハムをナイフで切り分け、口に運んでから、年配の騎士は答えた。


「そんなわけはあるまい。

 だが、あらゆる徳目を守る、というのはともすれば何も守らないことになりかねん。

 今の儀式では、なんじいかなる徳目を奉ずるや、という問いに、ずらずらと十三徳目を並べ立てる。

 それが悪いとはいわぬが、十三徳目を忘れずに暗唱する試験のように思う者が多い。

 まあ、その話はよかろう。

 とにかく、辺境では、今でも、仕える相手と、奉ずる神と、守るべき徳目を、自分で選び、誓うのだ。

 それは、もともとの形式に近い。

 私が従卒であったころ、辺境には、わが忠誠は人民に捧ぐ、と誓いを立てた騎士がいるという話を聞いた。

 当時、都の騎士や騎士見習いのあいだでは、わりと有名な噂だった。

 私は、ああ、それこそ騎士の本当の姿だ、と感激したのだ」


 おそらく、都で噂になったとき、揶揄やゆする者のほうが多かっただろう。

 だが、それをあえて口にしないザイフェルトに、バルドは人格の厚みを感じた。

 若い騎士は、何事かを考え込んでいるようだった。


 そのあとは、バリ・トード司祭が軽妙な話術で座を盛り上げ、皆は杯を重ねた。


「失礼ながら、そのお年にして、お見事な体力ですな」


 と司祭が言うのは、旅に疲れた体でいきなり看病にあたり、明け方まで一睡もせず、結局そのあとも寝ないままで夕食を食べていることを指してである。

 だが、バルドにいわせれば、二日や三日徹夜して軍事行動ができないようでは騎士は務まらないし、看病などはそう体力を使うものでもない。


「体力を養うには、どのような訓練がよいのでしょうか」


 と聞いたのは、若い騎士だ。

 年配の騎士も、若い騎士も、容態が安定してからは交代で仮眠を取った。

 若い騎士は、夜のあいだ、椅子でうつらうつらすることもあったから、疲れや眠気を感じさせないバルドに、しきりと感心していた。

 バルドは、走ることですかのう、と答えた。

 不思議そうにしている若い騎士に、バルドは説明を重ねた。


 バルドは、修業時代、毎日走らされた。

 石をたくさん詰めた袋を背負って野山を走り回り、帰ってくたくたのところで、武芸の稽古が始まり、さらにその後、武具の整備、馬の世話、掃除片付け、と続く。

 持久力と忍耐力を養い、全身の筋肉を偏りなく育てるのに、走ることに勝る鍛錬はない、というのが先達の口癖であった。

 丸二日走らされたこともある、と。


「シャンティリオン。

 今の騎士見習いたちは、騎士装備で半日行軍しただけで、地獄のような訓練だなどと弱音を吐くであろう。

 バルド・ローエン殿のお言葉には、まことに聞くべきものがある」


 会話もはずみ、司祭の気前よさに応じて村人が提供した食べ物もおいしく、ワインも素性の良い品である。

 一同は、この上なく楽しい宵を過ごした。


 3


 体が、重い。

 しびれて動けない。


 バルドが目覚めたのは、不審な気配を感じたからだ。

 震える足に何とかいうことを聞かせ、マントのところまで行った。

 マントの隠しには、緊急用の万能薬草が差し込んである。

 それをそのまま口に含み、がしがしとかみしめる。

 剣を取って廊下に出て、物音のするほうに向かった。


  あれは、司祭の寝ておる部屋だのう。


 部屋の前で、若い騎士がくずおれている。

 死んでいるのではない。

 しびれて動けないのだ。

 そばに行くと、すがるような目で部屋の中を示した。

 中で何者かが品物を物色しているような音がする。

 くせ者は、物音を隠そうともしていない。

 つまり、皆が動けないことを知っている。

 バルドは、剣を抜いて、部屋の中に飛び込んだ。


「うおっ?

 な、なんで動けるんだ?」


 と間抜けな反応を見せたくせ者は、荷物をあさる手を止め、盗品が入っているのであろう背負い袋を素早く背負うと、逃げにかかった。

 バルドは、手近にあった物をつかんで投げた。

 それは、魔除けの鬼神像であった。

 窓枠に乗って外に飛びだそうとしたくせ者の背中を、大人一人分に近い重さを持つ木像が直撃した。


「のわっっ」


 窓の向こう側に落下したくせ者を追うべく、バルドは、自由にならない足を動かす。

 ちらと見れば、司祭はベッドで寝たままである。

 暴力をふるわれたような跡はない。


 窓枠を乗り越え、外に転がり出た。

 くせ者は、起き上がって背の袋にからまった鬼神像を何とかふりほどいたところである。

 バルドは倒れ込みながら左から右に剣を振り、くせ者の足をいだ。


「ひゃっ」


 くせ者は、反射的に飛び上がって剣をかわした。

 後ろに目があるかのような反応である。

 しかし、不用意に飛び上がったため、大きな庭木の枝に頭をぶつけ、ひっくり返った。


「ってえ」


 痛がり、頭を押さえつつも、くせ者は立ち上がり、草の生い茂る下りのスロープを、ざざざっ、と滑り下りる。

 下りきったところで、バルドがもう一度投げた鬼神像が、その頭を直撃した。

 これはさすがに効いたようで、ふらふらと蛇行して五歩ほど進んでばたりと仰向けに倒れた。


 それでも、すぐに意識を取り戻し、寝たまま頭を左右に振っている。

 だが、今度は起き上がることができなかった。

 バルドが追いついて、その首筋に剣を突きつけたからである。


 月明かりに浮かぶくせ者の顔は、意外に若い。

 くせ者は、降参のしるしに両手を開いて上に向け、なぜか、にやっと笑った。


 4


 バルドには、くせ者の正体に見当がついていた。

 お前がジュルチャガか、と縛り上げたくせ者にけば、くせ者は悪びれもせず、


「おおっ。

 俺ってけっこう有名?

 うれしいねえ」


 と答えた。

 〈腐肉あさりゴーラ・チェーザラ〉のジュルチャガといえば、最近よく噂を聞く盗賊である。

 家人を薬で眠らせ、誰も殺さず金目の物をざっくり盗み去るという。


 バルドは、初め、体の痺れはジャボのせいかと思った。

 しかし、ジャボの毒は食べればすぐに効き目を現すはずである。

 体の痺れは、ジュルチャガが赤ワインと茶壺に仕込んだ薬のせいだった。

 空気にふれさせるため、壺に入れたまま食堂に放置していた赤ワインに、こっそり薬を入れたのだ。

 司祭の病気騒ぎで家は隙だらけだったろう。


「いやあー。

 ちょっと前から、パルザム王国の勅使様ご一行のあとをついてきててさあ。

 隙をうかがってたんだけどね。

 護衛のお侍二人が、もう、なんちゅうか、歩く危険物?

 それで、逆に職業的プライドを刺激されちゃったわけ。

 この二人の鼻を明かしてやったら、一か月は気持ちよく過ごせるぞーっ、てね。

 だけど、わが交易神エン・ヌー様は大したご利益だよね。

 この盗みを成功させてくださいましたら、一番おいしいお酒をお供えしますって祈願したらさあ。

 その翌日だよ?

 司祭が倒れてさあ、で持ち直して。

 夜明けごろには、みんな疲れて寝てたからね。

 今だ、お前の出番だぞ、っていわれてるような状況になっちゃってさ。

 で、あんた誰?」


 バルドが名を告げると、〈腐肉あさり〉は、目を閉じて天を仰いだ。


「うわっちゃー。

 なんてこったジャン・デッサ・ロー

 なんで〈人民の騎士〉が、こんなとこにいるのさ。

 あんたにだけは会いたくなかったよ」


 バルドは、これまで多くの賊を征伐してきた。

 各地の領主は、直轄地以外の村落から泣きつかれても、めったに犯罪者の取り締まりなどしないから、バルドは鼠賊そぞくや群盗どもから恐れられていた。


 幸い〈腐肉あさり〉の言う通り、しびれ薬は一定時間できれいに抜けた。

 ジュルチャガが盗んだ物は、金と金目の物、それから食べ物と酒であって、書類などには無関心であった。

 〈腐肉あさり〉の噂の一つに、金目の物とうまい物があったら、うまい物のほうを盗む、というのがある。

 背後関係などない、ただの盗賊だろう。


 バルドの判断で、〈腐肉あさり〉は村長に任せた。

 少し離れた街の金持ちが賞金を懸けているというので、村長の責任で引き渡し、賞金は村の収入にしてよいと伝えた。


「あなたには、二度助けられましたな。

 私はこれから、ドルバ領のほうに向かいます。

 ローエン卿は、引退なさって気ままな旅とのこと。

 よろしかったら、しばらくご一緒なさいませんか」


 と、司祭が勧めた。

 ドルバ領とは、カルドス・コエンデラが治める地である。

 新しく生まれたジーグエンツァ大領主領の中心地である。

 カルドスのおいに闇討ちに近い形で襲われ、返り討ちにしたばかりのバルドには、世界で一番行きたくない場所といえる。

 リンツに行きたいからと、申し出を謝絶した。


 司祭は、金や高価な品で感謝を表そうとはしなかった。

 代わりに、瓶に入った蒸留酒を一本、バルドにもらってほしいと差し出した。

 瓶というのは、辺境ではなかなかお目にかかれない代物である。

 中の酒も高級そうである。


「これも、なかなかの味ですぞ。

 何より、旅させて味が変わらないところがよいですな」


 と言って司祭は笑った。

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