第5話 襲撃
1
バルドは、リンツに着いた。
リンツは、大河オーヴァのほとりにある
オーヴァの東岸には、ほかにも多くの
なぜなら、リンツからオーヴァ川を渡れば、対岸にパルザム王国の交易村パデリアがあるからだ。
大河オーヴァは、対岸が見えないほど広い川だから、渡るだけでも大仕事である。
リンツの領主は大きな交易船を何隻も保有し、パデリアと交易をしている。
リンツに来れば、大陸中央の国々の品が買える。
しぜん、リンツは栄え、リンツ領主は伯爵を自称するようになった。
たった一つの街を領有するだけだが、その経済力は大領主たちをしのぐ。
屋台の立ち並ぶ道を歩きながら、バルドは、初めて訪れるリンツの
屋台から匂ってくる食べ物の気配には、ひどく心を浮き立たせるものがある。
今、食べているのは、鳥の肉をほぐして煮た団子である。
臭みのある山鳥を小さくつぶし、何かの
鳥の濃厚なうまみと脂身がほどよく混ざりあっている。
小さな緑色は、ローハスかペリスか何かの香草を細かく刻んだものだろう。
臭みを隠し、かつ味のアクセントにもなっている。
串刺しされた三つの団子のうち、一番上の団子にだけ、茶色のとろっとしたソースが掛かっているが、これがまたうまい。
舌鼓を打ちながら歩いていると、妙なものが目に入った。
道端に男が座り、首に
札には、この男売ります、と書いてある。
道行く人が、物珍しげに眺めている。
はやし立てる者もある。
通行人が、兄さん、あんたの売値はいくらだね、と聞いた。
その男は、
「百万ゲイル」
と答えた。
群衆は、どっと沸いた。
百万ゲイルなど、リンツ伯でもおいそれとは用意できない大金である。
つまり、この男は自分を売る気などない。
何かの冗談か、人寄せなのである。
群衆は、そう思ったのだろう。
バルドは、男の声を聞いて、おや、と思い、あらためて男の顔を見て、驚いた。
男のほうでもバルドに気付き、目線が交差した。
バルドは、こちらに来い、と目で合図して、通りをさらに歩いて行った。
荷物を背負ったスタボロスが、バルドの後ろをついてくる。
男は、首から売り札を外し、群衆に向かって、
「今日は店じまいだ」
と言い、巻いたむしろを小脇に抱えると、バルドの後を追った。
繁華街を離れ、人影のない場所まで歩いて、バルドは立ち止まった。
そのそばに歩み寄ると、男は、
「また会ったな、バルド・ローエン」
と言った。
男は、〈
2
この希代の剣士にして戦闘狂は、二か月と少し前、バルドを襲撃した。
しかし、ヨティシュ・ペインがバルドに殺されたため、その死体を
バルドに
「私は、契約と指示を守ったのだから、報酬を受け取る権利がある。
あの馬鹿者は、打ち合わせを無視し、私の制止も振り切って愚かなまねをして、勝手に死んだ。
だが、カルドスは、甥を守れなかった用心棒に払う金はないといい、今すぐバルドの首を取って来い、とわめいた。
追加の契約をするのは、ここまでの報酬を受け取ってからだと私は言ったが、カルドスには報酬を払う気がなかった。
今回の仕事は、報酬は高いがすべて後払いの約束だった。
金が要るのだ。
それで自分を売りに出した」
たんたんと語られるヴェン・ウリルの説明を聞いて、バルドは、あきれたやつだのう、と感想をもらした。
カルドスとの会話も浮世離れしているし、金が要るから売り札を下げて市場に座った、という発想が変である。
広く名の知られた名剣士なのである。
リンツ伯の元にでも行って腕前を見せれば、百万ゲイルには及ばないにせよ、高い報酬で雇ってもらえるだろう。
カルドス以外の大領主を訪ねてもいい。
腕のいい剣士には、いくらでも稼ぎようがある。
市場で自分を売り込むにしても、剣の技を見せれば買い手は必ず付く。
ところが、なぜか剣はむしろに包んで隠したままで、自分を売ろうとしていた。
それとも、何かの願掛けかのう。
とバルドは思ったが、それを言葉にして尋ねることはしなかった。
その代わり、スタボロスに積んだ荷物を解いて、金貨の入った袋をヴェン・ウリルに差し出し、
おぬしの入用には、これでは足りぬかのう。
と
ヴェン・ウリルは、むしろを広げて金貨を並べて、数えた。
そして、目を閉じてしばらく何事か考えるふうであった。
「ふむ。
九十三枚か。
百万ゲイルの十分の一にも届かん。
だが、ほかならぬ〈人民の騎士〉殿だからな。
これで何とかなるのかもしれんな。
負けておく」
そう言って金貨をしまい、立ち上がってから、言った。
「あるじ殿。
すまんがしばらく
わしのほうではおぬしを買い取ったつもりはない。
好きにすればよい。
「あるじ殿は、これからどこに行く」
予定はないがのう。
北のほうにでも行くかの。
「分かった。
短くても二か月、長ければ半年ほどかかると思う。
用事を済ませたら、あるじ殿の元に行く」
そう言い残し、返事も聞かずにすたすた歩き去った。
まことに妙な男である。
だが、その妙なところがいい、とバルドは思った。
3
バルドは、スタボロスを連れて、市場に戻った。
いろいろと食べてみたい物がある。
生まれてこのかた辺境の山奥から遠出したことがない。
しかも今は急ぎの用事も何もない。
街のにぎわいに、わくわくする心を抑えられない。
屋台を物色していると、横から声を掛けられた。
「失礼ですが、パクラからお越しのかたではありませんか?」
見れば、商家の使用人のような姿の若者である。
身なりもよく、物腰も丁寧である。
バルドは、
確かにわしはパクラ領から来たが、それがどうかしたかの。
と
「ジュールラン様がお待ちでございます」
と若者は答えた。
4
連れて行かれたのは、リンツ伯の館であった。
正門を堂々と通って進み、母屋の奥にある一番上等な建物に案内された。
自然の地形をうまく利用して造られた建物で、階段を上りきった先に広い部屋があった。
部屋の奥の戸は開け放たれ、ベランダと部屋がそのままつながっている。
ベランダからは、大オーヴァが一望できる。
絶景である。
ベランダに置かれた椅子に、二人の人物が座って、オーヴァ川を見下ろしながら茶を飲んでいた。
「やあ、じい。
遅かったではないか。
待ちくたびれたぞ」
と笑顔を見せるのは、ジュールラン・テルシアだ。
前パクラ領主ヴォーラ・テルシアの妹の息子である。
学問は母のアイドラに、武芸はバルドに仕込まれ、文武両道に秀でた二十八歳の俊英であり、現領主ガリエラが最大の信を置く、側近中の側近である。
その横の老人は、わざわざ立ち上がって、礼をした。
バルドを騎士として遇する、ということだ。
「初めてお目にかかる。
サイモン・エピバレスでござる。
バルド・ローエン卿。
お会いできてうれしい限りじゃ。
後ほど、
リンツ伯である。
野太い声だ。
たしかバルドより少し年上であるが、バルドと同じぐらいの身長があり、体格もがっちりしている。
その態度は豪快そのものだ。
金と物のやり繰りのうまい、やり手の男だという評判だが、意外に武人肌の人物であるようだ。
あいさつのあと、三人はベランダの椅子に座った。
「じいはよく、オーヴァを一度見たい、と母上と話していたからな。
世界中のうまい物を食べ歩きたいというのも、昔から話し合っておった。
この辺りでうまい物がたくさんある街といえば、何といってもリンツだ。
必ずこの
じいの風体をここの使用人たちに説明して、毎日屋台の辺りを見回ってもらったのだ」
と、妙に自慢げにジュールランは説明した。
「母上が亡くなられた。
少し体調のよい日に、中庭に出たいとおっしゃってな。
侍女が茶の支度をしているあいだに、息を引き取られた。
安らかで幸せそうなお顔であった」
アイドラの訃報を聞いて、まずバルドの胸に浮かんだのは、
間に合わんかったのう。
という思いだった。
塩採りの街のガンツで食べたコルルロース料理。
ジャボと上等の赤ワイン。
旅に出て食べた絶品料理と飲み物のことを手紙に書いてアイドラに送ろう、とバルドは考えていたのだった。
読めばきっと喜んでくれただろうに。
その次にバルドの胸に浮かんだのは、
パクラとの絆が切れてしもうたような感じがするわい。
ということだった。
安らかで幸せそうなお顔であった、というジュールランの言葉に慰められた。
このような息子に看取られ、後事を託せるなら、なるほど安心であられたに違いないのう、とも思った。
「母上がじいに宛てて書いた手紙を持って来た。
書き終えてから、庭に出たらしい」
銀と毛皮を売り、リンツ伯との友誼を深めるついでに、手紙を持ってきたのだとジュールランは言うが、それだけでは、この時期にしかもジュールランがみずから足を運ぶ理由にはならない。
バルドに手紙を届けるためにそのようにしたのだろう。
アイドラがバルドに宛てた手紙を運ぶのは自分でなければならない、とジュールランは思ってくれているのである。
だから、人夫たちは先に帰し、従騎士には休暇を与えて、一人バルドを待っていたのだ。
バルドは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
バルドが手紙を受け取ろうと手を伸ばした、そのときである。
よい場面を台なしにする無粋な声が、入り口のほうから聞こえた。
「やはり貴様だったか、バルド・ローエン。
その手紙を渡してもらおう。
それと、アイドラ姫から預かった物を持っているであろう。
よこせ。
貴様の荷物の中には、それらしいものはなかった」
カルドス・コエンデラの弟で重臣のギエンザラ・ペインである。
武器を持った兵士たちを引き連れている。
ギエンザラも兵士たちも殺気にあふれている。
リンツ伯が客をもてなす館に、武器を持った郎党を引き連れ押し込むなど、よほどの覚悟がなければできない。
ここにいる者を皆殺しにするつもりなのだ。
4
「何事かっ、オズワルド!」
雷のようなリンツ伯の詰問の声が轟いた。
目線は、ギエンザラ・ペインの後ろにいる男に向けられている。
「商売というものは機会をのがしてはならぬ、というあなたさまの教えに従っているのですよ、伯爵様。
いえ、父上。
今この館には、私の命を聞く者しかおりません。
ご引退願えますかな、この世から」
のっぺりした顔つきの、にこやかな顔をした青年がそう言った。
「オズワルド殿。
父であるリンツ伯を殺せば、騎士になることはできぬ。
そうなれば、爵位を継承することもできぬ。
それに、リンツ伯の側近のかたがたは、あなたに従うだろうか。
また、川の向こうのかたたちも、あなたのことをよくは思うまい」
「これは、これは、ジュールラン様。
ご心配、痛み入ります。
もちろん、その辺りは考えておりますとも。
叙任の儀には、こちらのペイン卿がお立ち会いくださいます。
それにリンツ伯などという虚名は、どうでもよろしいのです。
私が欲しいのは、父上が肌身離さずお持ちの手文庫の鍵です。
鍵があれば、割り符を取り出せます。
そうすれば、パルザム王国との交易には何の支障もありませんからね。
ああ、辺境侯との関係ですか。
それについてはコエンデラ卿が万事お取りはからいくださいます。
口うるさい幹部たちなど、大オーヴァの魚の餌にしてやるっ!」
柔らかだった口調は次第に険を帯び、最後の言葉を言い放つときには、細い目が見開かれ口元はゆがんでいた。
オズワルドがジュールランの誘導に乗ったおかげで、賊のもくろみがはっきりした。
オズワルドは、リンツ伯の養子である。
コエンデラ家の後押しを受けて、家を乗っ取ろうとしているのだ。
当然、ここにいる者はすべて殺すつもりだ。
リンツ伯の実子や側近たちのもとにも、兵が向けられているのだろう。
これがただの商家であれば、親や兄弟を殺して家を乗っ取った者が、そのまま商売を続けることなどできない。
だが、エピバレス家は貴族であり騎士の家である。
貴族の家では、力ある者が他を押しのけて家長の座をつかむことが、ままある。
特に辺境では、力のない者には正義を語る資格がない、という風潮が強い。
それにしても父殺しは許されないが、目撃者を皆殺しにすれば、好きなように話を作れる。
コエンデラとオズワルドは、十二人の兵士を連れている。
部屋は広いが入り口は狭く、兵士たちにふさがれている。
ベランダの向こうは断崖である。
バルドの剣は、館に入るときに預けた。
リンツ伯とジュールランは、武器どころか簡単な防具もない。
絶体絶命といってよい場面だ。
だが、バルドの顔には、少しの焦りも恐怖も浮かんでいない。
すっと立って、無造作に襲撃者たちに近寄り、
赤い
と、ギエンザラに
ギエンザラは、苦々しげな顔で、
「あんな役立たずは、放り出してやったわ!
息子も守れずに報酬だけは要求しおって。
おまけに見送りに出した手練れ二人を斬りおった。
もう顔も見とうないわ!」
と言った。
どんな〈見送り〉の仕方をしたかは訊くまでもない。
バルドは、あきれて、やれやれ底抜けの馬鹿じゃのう、とつぶやいた。
「馬鹿というのは、赤鴉のことか?
わしのことか?
いやいや、違うな。
こうして、まんまと死地に飛び込んだ貴様が、一番の馬鹿よ。
息子の
今、ここで死ね!」
槍を持った四人が、さっと進み出て、バルドを取り囲み、槍先を向けた。
ギエンザラとオズワルドは一歩下がった。
バルドの後ろで、リンツ伯とジュールランが立ち上がる。
ジュールランがバルドの加勢をしようと足を踏み出す。
振り返りもせずその動きを察知したバルドは、
来るなっ。
と鋭く命じた。
それは、主筋にある者への物言いではない。
師から弟子への物言いである。
「心得た。師匠殿」
と答えたジュールランの声には、おもしろがるような響きが混じっている。
バルドは、背中のジュールランが移動する気配を感じた。
リンツ伯をかばう位置に移動したのだろう。
防具を着けていないジュールランは、今はリンツ伯を守りつつ、バルドが武器を調達するのを待つべきだ。
バルドが口にした、来るな、とはそういう意味である。
バルドは、心底あきれかえっていた。
せっかく懐に飛び込んだ大魚をみすみす川に放つとは、と。
この場に〈赤鴉〉ヴェン・ウリル一人がいれば、たとえバルドとリンツ伯とジュールランの三人が武器を持っていても、まともな戦いにすらならない。
あっという間に三人は斬り殺されてしまうだろう。
鎧と盾があれば話はまた違うが、それにしてもヴェン・ウリルの剣技は桁外れだ。
だが、この十二人は、どうか。
前列には、槍を持った兵士が四人。
後列には、剣を抜いた兵士が六人。
血走って濁った目をしている。
盗賊崩れのごろつきを雇ったのだろう。
もっとも、後列の一人はまるで素人なのか、革帽子を
残る二人の兵士は、少しはましな兵士のようで、要所に金属板を埋め込んだ革鎧を着込み、ギエンザラを守るように立っている。
この程度の陣容でバルドやジュールランを殺せると思っているところが哀れである。
この十二人からは、何の武威も感じられない。
手に持つ槍や剣も、あまり良い品にはみえない。
〈ヴェン・ウリル〉を去らせてこの十二人を取ったとすれば、それは愚かという以外にない。
それは、宝玉を捨てて石ころを拾うようなものだ。
そもそも、ギエンザラも、息子のヨティシュも、騎士ではあるが、戦いが得意ではない。
まともな騎士を二、三人よこせばよかったものを。
「やれっ」
と命じたのは、オズワルドである。
前列には槍の兵士が四人。
バルドを取り囲んだ四人が槍を突き出す。
呼吸がばらばらである。
雑兵とはいえ、まったく同時に攻撃すれば、それなりの効果があるのだが。
バルドは、一番右の兵士と右から二番目の兵士が突き出してきた槍を左右の手ではじいて、二番目の兵士の懐に飛び込んだ。
三番目の兵士の槍は空を突き、四番目の兵士の槍は軌道を修正してバルドの左腹背に刺さった。
が、威力は弱く、革鎧に妨げられ、傷は浅い。
バルドは、二番目の兵士の槍を左手でつかみ、素早く引いて奪い取ると、石突きで二番目の兵士の胸を、ずどんと突いた。
吹き飛ぶ兵士。
一番目の兵士が槍を引き戻し、突きにくる。
バルドは、その槍を右手でつかみ、右脇に挟み込んだ。
三番目の兵士が再び槍を突き出してくる。
あえて腹の中心の鎧の厚い箇所で受ける。
左手の槍をぶうんと大回しして、二撃目を繰り出しつつあった四番目の兵士の首筋にたたき付けた。
槍は、ばきんと音を立てて折れ飛ぶ。
折れるほどの勢いで首を殴られた兵士は、
三番目の兵士が槍を抜こうとする。
バルドは、左手の槍の残骸を捨てておのれの腹に刺さっている槍をつかむ。
三番目の兵士は両手に力を込めて槍を引き戻そうとするが、バルドの左手がつかんだ槍はびくともしない。
バルドは、むん、と気合いを入れると、右脇に挟んだ槍を勢いよく持ち上げた。
一番目の兵士が槍ごと持ち上げられ、うわあっ、と悲鳴を上げる。
バルドの頭越しに飛ばされ、壁に頭を打ち付けて落ち、動かなくなった。
三番目の兵士の槍を、ぐっと手元に引き寄せる。
つんのめってバルドの手元に引き寄せられる兵士。
バルドは、左手で槍を握ったまま、右手で拳を作ると、三番目の兵士の左側頭部を、斜め上から殴り付けた。
三番目の兵士は、たちまち失神して倒れる。
倒れかかった兵士の腰の剣をさっと抜き取ると、そらっ、と声を掛け後方に投げる。
「おうっ」
と、なぜか楽しそうな声でジュールランが返事をした。
飛んでいった剣の
「おおっ!」
と声を上げたのはリンツ伯である。
後ろを見もせずに抜き身の剣を投げたバルドと、それを当たり前のように受け取ったジュールランに、驚いたのだろう。
ここまで、わずか数呼吸のあいだの出来事である。
後列の兵士たちはあぜんとして動けない。
バルドは、左手の槍をくるりと回し、金属の切っ先を襲撃者たちに向けた。
へんてつのない槍だが、バルドが持てば、それは猛獣の牙となる。
バルドは、槍を構えて狼藉者たちに対峙したまま、
オズワルドとやらは殺してよろしいかな。
と
自分への質問だと気付いたリンツ伯は、
「うむ」
と、短く答えた。
ごくり、と喉を鳴らしたのは誰だったか。
今や、狩る者と狩られる者の立場は、完全に逆転していた。
「こ、こ、殺せ〜〜っ!」
オズワルドの命令は、まるで悲鳴のようである。
同時に、ギエンザラも、
「行け!」
と二人の護衛に命じた。
八人の兵士が剣を手にバルドに襲い掛かる。
バルドは、兵士たちの顔ほどの高さで、ぶうんっ、と槍を振り回した。
当たれば頭を吹き飛ばされかねない威力である。
兵士たちはひるんで、たたらを踏んだ。
バルドは右前方に素早く走り込んだ。
そこにはギエンザラの護衛二人がいる。
さすがにこの二人は、すぐに態勢を立て直し、バルドに斬りかかろうとした。
右側の護衛は左手に剣を持っている。
剣を振り上げたその左手首をつかみ、その体を盾にして、左側の護衛に突進した。
二人の護衛の体がぶつかり、もつれ合って倒れる。
左利きの兵士の手を放すとき、剣を奪い取った。
六人の兵士が取り囲もうとする。
右に回転して振り向きざまに、真後ろの兵士に斬りつけた。
兵士の手首は、剣を持ったまま斬り飛ばされた。
ぶうんっと左手の槍を振り回しつつ体を左に半回転させ、剣で一人の兵士の肩口に切りつけた。
剣は左肩から入って左胸の半ばまで食い込んで、折れた。
なんじゃ、なまくらじゃのう。
とバルドはぼやき声をあげた。
一人の兵士が、奇声を上げながら斬りかかってきた。
その剣が振り下ろされるより早く、バルドは半ばで折れた剣を相手の頭にたたきつけた。
元の半分の長さしかない剣は、兵士の革帽子を切り裂き、頭蓋骨に深々とめり込んだ。
剣を振り上げたままの姿勢で凍り付いたように、その兵士はゆっくり後ろに倒れていった。
寄り目になった両眼は、自分の頭から生える剣の
「ひ、いいいい、ひいっ」
情けない声を上げながら、オズワルドが入り口のほうに向かって逃げていく。
一人の兵士の手を引いているのは、盾にするためだろう。
バルドは、両手で槍を構えて突進した。
バルドの槍が兵士の腹を貫いた。
その背から突き出た槍の穂先は、オズワルドをも串刺しにした。
バルドは、そのまま突進し、入り口前の壁に槍を突き立てた。
どごん、と音がして、槍は二人を壁に縫い止めた。
串刺しにされた二人は、苦しげにもがいている。
その重さに耐えかねて、槍が折れた。
バルドが再び武器なしになったのを好機とみたのか、ギエンザラと二人の護衛が襲い掛かってきた。
三人並んで襲い掛かったのは上出来だのう。
しかし、惜しいかな。
くっつきすぎておるわい。
それに、三人では人数が足らん。
護衛二人は剣を振り上げている。
そのまん中で、ギエンザラは短めの剣を構えて突きの態勢を取っている。
さすがにギエンザラは騎士である。
その迫力は、ほかの雑魚とは比較にならない。
バルドは、二歩下がってから、急に前に飛びだした。
間合いを狂わされて、護衛二人の振り下ろしは遅れた。
バルドは、右足でギエンザラの手元を蹴り上げた。
左右の手で、護衛二人の剣を持つ手を押さえ、そのまま握り込んだ。
剣をはじかれたギエンザラは、体ごとバルドに衝突し、はね返されて転がった。
すさまじい握力に手の
ぼきぼきと、じゅうぶんに手首の骨を折り砕いてから、バルドは二人の護衛を
ギエンザラはと見れば、胸に剣が突き立っている。
剣は蹴り飛ばしたつもりだったが、激突したときに刺さったのかもしれない。
オズワルドの兵士たちは、戦意を失い、動きをみせない。
いや。
一人の兵士が立ち上がった。
ぶるぶると震えて結局一度も攻撃に参加していない兵士である。
立ち上がったのはよいが、剣を持っていない。
さきほど、ギエンザラの護衛に奪われたのだろう。
と、その臆病な兵士は駆け出した。
ベランダに向かって。
錯乱しているのだ。
その勢いでは、外に飛び出してしまう。
死なせるのもかわいそうだと思ったのか、ジュールランが兵士の進路をふさごうとした。
臆病な兵士は、するりとジュールランをかわした。
すれ違いざまに、ジュールランの懐からのぞいていたアイドラの手紙を抜き取って。
あっ、と思う間もなく、臆病な兵士はベランダから跳んだ。
跳んだ瞬間、振り返った顔は笑っていた。
〈
飛び越えるとき手すりをつかみ、うまく勢いを殺して、真下に落ちる。
リンツ伯とジュールランが、崖下をのぞき込む。
バルドも、駆け寄った。
断崖に突き出た岩を器用に伝い跳びしながら、オーヴァ川の岸辺に向かって降りていく盗賊の姿が見えた。
「おおお。
何たるやつ!
まるで
とリンツ伯が言った。
信じられないものを見た驚きを声に乗せて。
それから振り返って部屋の中を見回し、
「うーむ。
それにしても、すさまじい強さじゃ。
十四人対武器なしの三人だからのう。
死を覚悟したわい」
と、感動に震える声で言った。
ジュールランは、事もなげに、
「
と返した。
一瞬、きょとんとしたリンツ伯は、年輪を刻んだ顔に笑みを浮かべ、
「若いころから、〈人民の騎士〉殿の剛勇は聞き及んでおった。
いつかその闘いぶりを見てみたいものだと、ずっと思っておったのじゃ。
こんな形で夢がかなうのも一興か。
よいものを見せてもらったわい。
いやあ、愉快、愉快」
と言い、豪快に笑った。
5
オズワルドは、この館は手の者で埋められているかのように話したが、実際にオズワルドに買収されていた者は、そう多くなかった。
オズワルドの死を知って、心当たりのある者は逃げだし、そうでない者は何が起きているか知らなかった。
刺客は、リンツ伯の息子たちや重臣たちにも向けられていた。
彼らのある者は陰謀の失敗を知って逃げ出し、ある者は素振りの怪しさからそれと見抜かれ捕らえられた。
結局成功した暗殺は皆無だった。
ギエンザラは、間もなく死んだ。
「二重の渦巻きとは何だ。
教えろ、バルド・ローエン。
教えろ」
と言い残して。
二重の渦巻きも、印形とやらも、バルドには何のことか分からない。
ジュールランにも分からない。
戦いの前に、ギエンザラは、アイドラから預かった物をよこせと言ったが、アイドラから預かった物などない。
ギエンザラが死んだ後始末をどうするか、三人とリンツ領の重臣で相談し、正攻法で当たることにした。
リンツ伯とジュールラン・テルシア卿およびバルド・ローエン卿が談笑中、ギエンザラ・ペインが、三人を殺すと宣言して部下とともに襲い掛かってきて、バルド・ローエンに返り討ちにされたが、この件につきカルドス・コエンデラ卿の存念を伺いたい、との書簡をリンツ伯がしたため、コエンデラ家に届けたのである。
返答が来るまで、ギエンザラの遺体は返さない、と書き添えて。
コエンデラ家にとって、リンツ伯を通じた交易は生命線に等しい。
リンツにとってコエンデラ家は、大口の顧客ではあるが、それだけである。
コエンデラ家が集積地としての機能を失えば、近隣の各領は独自の輸送を行い始めるであろう。
そうなれば、コエンデラ家の経済基盤は崩壊する。
コエンデラ家は、リンツ伯の不興を買うわけにいかない立場なのである。
「どんな言い訳をしてくるか、楽しみじゃわい」
とリンツ伯は言った。
たぶん腹の立つような返事しか来ないだろうのう、とバルドは思ったが、口にはしなかった。
ジュールランは、母からの手紙をバルドが読む前に賊に奪われてしまったことを、しきりに悔やんだが、バルドはそれほど気にしていなかった。
アイドラからの手紙を読めなかったことより、ついにアイドラに手紙を書けなかったことが、バルドには残念だった。
翌日、ジュールランは帰途についた。
「じいの元気な武人ぶりを久しぶりに見た。
よいみやげ話ができた」
とリンツ伯に言い残したそうだ。
バルドは屋台を食べ歩きする予定であったが、できなかった。
それどころか、起き上がることもできなかった。
あとさき考えず乱闘したため、腰と右肩がひどく痛んだのである。
虎も年には勝てん、ということか。
バルドは自嘲した。
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