雪が降る今日は。

ZEN

雪が降る今日は。

 空から雪が静かに舞い降りてくる今日は、君と出逢ってからの五度目の記念日。

 図書館の前に佇む僕は、自動販売機で買ったホットコーヒーを一口飲み、ふぅっと白い息を吐く。



 読書ぐらいしか趣味のない学生だった僕が図書館に通い詰めていた頃、君はその日その時偶然目の前に座っていたんだ。


 君をひと目見た瞬間、僕の心臓は天にも跳ね上がりそうなほど高鳴る音を鳴らした。静かに本を読む君は、僕の心を捉えて離さなかった。その時恋愛に疎い僕にでも、その感情は一瞬で理解できたんだ。これが一目惚れというやつなんだと。

 今になって言うのも小っ恥ずかしくてずっと言えなかったんだけど、君に一目惚れしたその日は読書どころじゃなくて、僕はただひたすらそこに座っているのが必死だったんだ。


 お互いが知り合えたのは、雪がしんしんと降り積もる夜。図書館から帰ろうとしていた時、雪を避ける傘を忘れてしまい玄関口で途方に暮れていた時に君が声を掛けてくれたね。


「良かったら、入って行きますか?」


 彼女がかけてくれたその言葉から、僕たちの物語は始まった。


 僕より5歳年上だという君の笑顔は、そんな事微塵も感じさせないような、むしろ幼いような、くしゃっとした屈託のない笑みをよく零していたね。


 本の好みがお互いに良く似ていて、すぐに僕たちは意気投合し、図書館で顔を合わせると、休憩スペースで好きな本を勧めあったりとかしたよね。自販機であったかい飲み物とか買ってさ。


 そんなある日、これまでの消極的な性格の自分を殺す勢いで、思い切って君の連絡先を貰えないか聞くと、君は少しの間目を丸くした後、恥ずかしそうに頷き教えてくれたよね。僕は、その時のことをすごく鮮明に覚えているよ。


 それからは、頻繁にやり取りをするようになって、二人が付き合うまでに時間はそうかからなかったね。


 深夜のテンションの力も借りて、勇気を振り絞って、でも声が裏返ったりすごく頼りないような告白をしてしまった僕に、電話口でそれを聞いていた君から、『私も貴方のことが好き。』と言われた時、緊張しすぎて言葉の理解ができない僕は、何度もその言葉の意味を理解しようと君に何度も何度も繰り返し聞き返してしまって。でも君は次第に笑いながら一言、『好きだよ!』と言ってくれた時、情けないけど、実は僕はあの時嬉しすぎて泣いてしまったんだ。


 些細な事で喧嘩したり、それでちょっとギクシャクしてしまった時もあるけれど、結局は仲直りして、他愛もない話で笑い合って、平穏な日々を過ごしたね。


 君と迎える三度目の冬、意を決して僕は君に結婚を申し入れた。

 彼女の目をしっかりと見て、雪の降る大勢の人が行き交う中、今までにないほどの人生最大の決意と覚悟を君にぶつけた。


 とても驚いた顔をしたと思ったその直後、君のその眼から大粒の涙がボロボロと溢れ出した時は、僕はいつものように頼りない僕へと戻ってしまってひたすらオロオロとしてしまったけど、君は涙を流しながら僕へと顔を上げると、最高の笑顔を向けてくれたね。


 当時社会人2年目だった僕は、まだまだ社会に慣れていなくて毎日クタクタになって家へと帰るけど、扉を開けると夕飯の良い匂いと共に君が『おかえり』と出迎えてくれたね。君が僕より早く帰宅しているからと、君も働いているのにいつも僕より家事を率先してやってくれる。

 そんな日々に、計り知れない感謝の気持ちを感じ、日々の些細な幸せの積み重ねが、僕には堪らなく幸せだったんだ。


 君と出会って四度目の雪の降る夜、仕事が終わっていつものように家の扉を「ただいま」と言いながら開くも、部屋は電気が付いていないようで、君の『おかえり』という声も聞こえなかった。


 電気を付け部屋の中へ進むと、廊下の先に倒れた君の足を見つけた。

 僕は急いで駆け寄り君の名前を必死に叫ぶけど、君はかすかに指を動かした後、力なく僕の腕の中で意識を失ってしまったんだ。

 その時の僕の頭の中はいつもよりパニックになっていて、「119」の数字が頭に出てくるまで少し時間がかかってしまったんだ。


 君はその後一命は取り留めたものの、君の命はもう長くないと、医者に『余命』を告げられた時、僕は目の前が真っ暗になってしまった。


 毎日が目覚しく、艶やかに彩られていた。僕はそれが永遠に続くと勝手に思い込んでいた。僕のそばから彼女が居なくなるなんて、到底受け入れ難い事だった。理解が全く出来なかった。


 それから君が目を覚ますまで、3日を要したんだ。

 ゆっくりと目を開いた彼女はしばらくボーッとしていたけれど、心配そうな僕の顔を見るととても申し訳なさそうな顔をした。


 涙を必死に堪える情けない僕を見て、それでも君は優しい声で『泣かないで。』と管が通った力のあまり入らない右手で僕の頭を撫でくれた。


 僕はこの時、自分の情けなさのあまりに心の中で何かが壊れそうな感情や、なぜ彼女がという行き場の無い怒りでもう表情なんてぐちゃぐちゃになっていたと思う。でもね、同時に”いい加減、変わらなきゃ”って気持ちがすごく強くなって、そこからは君の前で泣くことはなくなったんだ。


 それからは、「退院したら何したい?」とか、「今しんどいけど、良くなったらまたあのお店行けるね!」とか、希望の詰まった未来の明るい話なんかしたりして。君がどこにいても、僕が君を好きだという気持ちなんて変わらないし、僕は君が不自由な分、愛情を注ごうって決めたんだ。


 僕はもっと、君と笑って居たかったから。君のくしゃっとした笑顔がもっと見たかったから。君の恥じらう顔をもっと近くで見て居たかったから。


 僕がそれぐらい君を好きなんだよって、分かってもらいたかったから。


 でも、希望に反して君の体調が悪い日がだんだんと増えていって。

 君が身体が痛いと苦しむ度に、僕はただ君の細くなった身体を優しくさすることしかできなかった。自分の無力さにとても腹が立って、病室を後にした後涙を流してしまう時もあったんだ。


 それでも君の前ではいつも笑顔でいよう。僕はそれだけは譲らなかった。



 君の最期はとても静かだった。

 痛いとか、苦しいとか、そんなのもう通り越して何もなかったかのように。ただただ眠っているだけならばどれだけ良かっただろうか。


 名前を呼ぶと、前みたいに「今何時……?」と目を擦りながら起きてくる君の姿を思い出し、君の名前を静かに何度も呼ぶ。


 君からの返事はない。受け入れられない気持ちと同時に、あぁ、君は遠くへ行ってしまったんだなと言う気持ちも押し寄せる。


 僕は君の、もう力の入っていない手を握り、君の最期の顔を見つめながら僕なりの精一杯の感謝を伝える。


「いつもありがとう……こんな……僕といてくれて……本当にっ……ありがとう……」


 気付くと僕の目からは大量の涙が溢れてしまっていて、君の前では笑顔でいようって決めたのに、全然涙は止まってくれなくて。

 その時ふと、思い出したんだ。僕が君にプロポーズした時の君の事。君も今の僕みたいに泣いてたなぁって。


 君を失ってしまう恐怖は計り知れないし今後の事なんか今は受け入れられない。考えたくもない。でも、それでも、最期にまで君に困った顔をさせてしまったらダメだなと思ったんだ。


 だから、僕は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、必死で笑顔を作りながら君に感謝の言葉を囁き続けたんだ。



 最期の夢を見る彼女に、僕の声が届いていますようにと願いながら。




 空から雪が静かに舞い降りてくる今日は、君が居なくなってからの一度目の冬。

 図書館の前に佇む僕は、自動販売機で買ったホットコーヒーを一口飲み、ふぅっと白い息を吐く。

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