不条理編 2019年3月21日~4月8日

不条理編緒言

 食とは不条理なものである。

 自分で作ったもの、愛情のこもったものは一層美味しいとは手作り料理を推奨する万人の台詞だが、絶対に自炊よりその辺のチェーン弁当屋で買ってきたほうがおいしい。

 野菜を自分で育てて農業の大変さを知りつつ、自分が育てたという実感によって野菜嫌いを克服しようという試みは現在でも多くの小中学校で行われただろう。しかし嫌いなものは嫌いである。偏食を改善するなら、味覚そのものが加齢とともに鈍るのを待つよりほかに手はない。

 他人の手作り料理を食べて感想を聞かれて、正直に事細かに問題点を伝えれば嫌われること請け合いである。「誰かの手作り料理を食べる」という状況に陥った時点で、我々は「おいしい」という感想を言うだけの肉塊発声器である。

 目上の人間からおごられればそれは何でも「おいしい」し、その食事の時間は貴重なひとときと決まる。例えメインメニューが嫌いな食べ物のオンパレードだったとしても。

 アニメやゲームのキャラクターと連携したメニューは売れる。たとえ一昔前に問題になった「廃棄おせち」レベルの酷い品であっても。その辺のコンビニで買ったものの方が安くて美味くても売れる。某カードゲームはアニメのネタだったブルーアイズマウンテン3000円を実際にやってのけた。一般飲食店では不可能な暴挙が、「コラボ」の前にはいくらでも可能になる。


 食とは不条理なものである。それはなぜか?

 食とは権威だからである。美食家が「美味い」と言えばそれは美味いのだ。

 食とは支配だからである。食事を用意される側にとって用意する側こそ支配者であり、その支配者の期待する態度をふるまう意外に手はない。反旗を翻せば、飢えるのは必定である。

 食とは商機だからである。食が万人に不可欠なものである以上、人はそれを買わねばならない。また買わねばならないという理由こそが購入のハードルを下げることで「コラボ」は粗悪な食事を提供して銭を得るのだ。


 ここに味オンチひとりあり。「おいしい」も「まずい」も知らないこの私ですら、この不条理からは抜けられない。学生諸君にとっては春休みにあたるだろう期間、社会人にとっては新年度の準備にあたるであろう期間に、私はエッセイを一服の清涼剤としてなどと用意できない。

 ただひたすらに、不条理をぶつけるのだ。

 ところでぶつけるで思ったけど、外国のトマト祭りとか、パイ投げとか、普段は「食べ物は大切に」と言っている大人が食べ物を粗末にする光景が割と一般化しているのはどうなんだろう。

 ああちなみにあのパイ、食用ではないのはもちろんのこと食べ物ですらない。広島暮らしの時代に知ったのだが、アルミ製の銀皿にシェービングクリームのようなものをスプレーしてパイ投げ用のパイを作るアイテムがあるのだ。いやはや、やっぱり食べ物って大事だよね。

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