戦争編5 コーン嫌いのコーンスープ好き
食べ物に限らず嫌いなものの話というのはあまり好まれない。しかし一応「好き」と言っておけば通じる好きなものの話と違い、より多くの文章量が要求されるのが嫌いなものの話である。むしろエッセイには向いているのではないか。
本来は「偏食編」とか「嫌い編」とか銘打って別のところで話題にしようと思ったのだが、この「戦争編」は年末年始に連載するもの、そこでついでに思い出したエピソードとともに、私の嫌いなある食べ物の話でこの戦争編にひとまずけりをつけよう。
それはトウモロコシなのだ。
年末年始、家族で揃うことも多く、また何かと外食の機会も多い。私たち家族もまた例にもれず、ファミリーレストランで食事と相成った。注文の際、セットメニューにパンとコーンスープのセットがあったので、そちらを注文。すると誰かが言った。
「トウモロコシ嫌いの癖にコーンスープ飲めるの?」
飲めたらあかんのか?
むしろ好物だが?
味に対する人間の好き嫌いとは不思議なもので、ある状態では食べられないものが別の状態では食べられたりするものだ。野菜嫌いの子どもが自分で育てた野菜は食べられたり、みじん切りにしてそうと分からないよう料理に混ぜれば食べられたりもする。
もっと単純に、調理方法で味が変わることで食べられるものというのもある。私のトウモロコシはこのパターンである。
わたしはトウモロコシの、あの粒粒の食感と、歯で潰した時に出てくる汁の感覚と青臭い臭いが嫌いなのだ。ところがコーンスープとして加熱調理されると、食感はなめらかとなり、青臭さも消える。残るのはトウモロコシの中で最も美味くて甘い部分だけという寸法だ。
調理方法によって苦手な部分が消失すれば食べられるようになる。これくらいの理屈は味オンチの私より、普通人の方がよっぽど通暁している理屈のように思われるのだが……。不思議と多くの人間はこのことを理解できていない。トウモロコシ嫌いの私がコーンスープを飲む場面を見て、みな不審な目を向けるばかりである。
じゃあ言いますけど。
じゃあ言わせていただきますけれど。
あなたはケチャップについて考えたことがあるんですかと。
トマトといえば子どもが嫌いな野菜の代表格である。しかしトマトケチャップが嫌いな子ども、となると逆に少ないだろう。これこそ私の言う、調理方法が変われば食べられるようになることの、最も卑近で代表的な例だろう。
ケチャップがいいならコーンスープもいいじゃない。
今年も年末年始、コーンスープを飲む私が白眼視される日が近い。
今度はこの理屈で言い負かしてやろうと思う。
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