第124話 光の雪

 メレンケリは体の痛みに耐えながら、ゆっくりと振り向く。

 するとそこには、出会ったときと同じ姿ではあったが、何故かほんのりと白く輝くメデゥーサ・アージェの姿があった。

「大蛇……」

 メレンケリがそう呟くと、メデゥーサは大きくため息をついて、唇を突き出して少し嫌そうな顔をする。

「その呼び方、やめて」

 メレンケリは眉をひそめる。

「でも、あなたは大蛇でしょう?」

 それに対し、メデゥーサは否定する。

「私は大蛇じゃない。あれとは分離した。大蛇は死んだ」

 メデゥーサの言葉に、メレンケリは目を見開いたが、すぐに否定した。

「嘘でしょ。あなた、大蛇の一部じゃない。私をだましたのが何よりの証拠でしょう」

「あれは、私じゃない。私の姿を借りた大蛇がやったことよ」

 メデゥーサが胸に手を当てて弁明する。

「そう」

 メレンケリは素っ気なく返事をする。

「でも、この目で見るまでは信じられない」

 メデゥーサは肩をすくめて見せた。

「……まあ、無理もないわね。大蛇があなたにしたことは、ひどいことだったから」

「知ってるのね」

「ずっと、大蛇の中にいたから。何が起きていたのかは分かるわ」

「あら、そう……」

 メレンケリは、はあとため息をついた。

「だったら、大蛇がどうなったのか教えて頂戴よ。とりあえず聞いてあげる。でも、短くね。体が痛くて酷いから……」

 すると、メデゥーサはゆっくりとメレンケリの傍に寄った。

「何をする気?」

 警戒するメレンケリに、メデゥーサは言った。

「痛そうだから手助けしてあげようと思って」

「いいわ、そんなことしなくても。どうせ近づいて何かする気でしょう」

 メレンケリがまるで話を取り合ってくれないので、メデゥーサは彼女の同意も得ずに左肩の下にもぐって腰に腕を回し、彼女の体を支えた。

「えっ⁉ちょっと、何⁉いやっ!ちょっと、いたっ!痛い!いたたたた……」

「あ、ごめん……。そんなに痛いとは思わなくて……。あの、どこが痛いの?」

 メデゥーサが意外にも申し訳なさそうにして謝るので、メレンケリは注意しながらその質問に答える。

「左腕と、左足……」

「支えるのやめる?」

 そう提案されたが、また腕を上下されると再び激痛が走りそうだったので、このままでいることにした。

「もういいわ、この際。また動かされると痛そうだもの」

「ごめんなさいね。とにかく、仲間の元に連れて行ってあげるから安心して」

 するとメデゥーサはメレンケリの歩に合わせて、一歩一歩前へ進んで行く。

「……どうしてこんなことをするの?」

 メレンケリは疑問に思って、ついそんなことを聞いてみた。少し前のメデゥーサなら考えられない。メデゥーサの皮を被った大蛇は、自分のことばかりを考えていて、他人のことを考えるような人ではなかった。

「助けたこと?」

「ええ」

「私は大蛇じゃないもの。誰かが傷ついているのをみて、平気なふりはできない」

 メデゥーサは真面目に答える。メレンケリは、この人は本当に曾祖母の亡霊なのかもしれない、と思った。

「そうなの……」

「それから、最後に……。あなたと二人で話したかった。謝りたかった。私のせいで、こんな目に合わせてごめんね、とそう言いたくて……」

 メレンケリは痛む足を引きずりながら、前を向いて答えた。

「……もう、過ぎたことだわ」

「……そうね。でも、謝りたかった。ごめんなさい」

「過ぎたことは確かだけど」

「?」

「人間は、それをずっと引きずっていたらいけないのだと思うわ。寧ろそこから学び、よくしようって気持ちがないといけないのよ」

「逞しいわね」

 メデゥーサはふふっと、笑う。

「ひいおばあ様だってそうでしょう。グレイ・ミュゲになったお陰で、ひいおじい様と結婚できたのだから。そして、私だって、そのお陰で生きている」

「メレンケリ……」

 名を呼んだ声は、優しくて温かだった。メレンケリはその声に励まされ、言葉を続けた。

「許せないことだってある。だけど、そんなことばかり言っていたらダメだから。私もうじうじするほうだけど、許して前に進んだ方がいいって思ったから」

「……ありがとう」

 メデゥーサの声は、涙の為に霞んでいるように聞こえた。


 その時だった。


――メレンケリ!


 遠くから、聞きなれた声が聞こえたような気がした。

「え?」

 メレンケリは声が聞こえたほうに顔を向ける。だが、暗くて何も見えない。

「どうしたの?」

「今、私を呼ぶ声が聞こえたような……」

 メレンケリは耳を澄ませた。次に呼ばれたときに聞き逃さないように。先ほどの声が、幻でないことを祈るように。

(お願い。もう一度、私の名前を呼んで!)

 すると、心の声に応えるかのように、再び声が聞こえた。

「メレンケリ!」

 それは紛れもなく、彼女が求めていた人の声だった。

「グイファス……、グイファスの声だわ!」

 すると、傍にいたメデゥーサも頷いた。

「私にも聞こえたわ。あなたをを呼んでいるわね。大丈夫。ここにいれば、必ず彼は来るわ」

 すると、メデゥーサの言った通り、グイファスは森の中からランタンを片手に歩いてきたのである。

「メレンケリ!」

「グイファス!」

 怪我をしているのか、足を引きずっているようだったが、彼は動いていた。

 グイファスは、石になっていなかったのである。

「グイファス……」

 メレンケリは今にも泣きそうになるのを必死に堪える。そしてその隣で、メデゥーサは安堵のため息をついた。

「よかったわね」

「ええ……、ええ!」

 だが、メデゥーサは、まるで約束の時間が来てしまったかのように、名残惜しそうに呟いた。

「お別れのときね」

 すると、メデゥーサは自分の肩からメレンケリを下ろす。

「あ、痛いっ!」

 メレンケリの悲痛な声を聞いたグイファスは、歩を早め彼女に駆け寄ろうとする。

「メレンケリ!」

 だが、それをメデゥーサが静止させた。

「駄目よ。あなたはまだ来ては駄目」

「何だと!何をするつもりだ!」

 グイファスはその右手に剣を握り、今にもメデゥーサに斬りかかろうと、精いっぱいの速さで向かってきた。

「……」

 メデゥーサは、グイファスの様子を見て彼は自分の声では止まらないだろうと思った。それ故に、彼がメレンケリの傍に来る前に、全てを終わらせようと思った。

「メレンケリ」

 彼女は痛みのあまり座り込んだメレンケリの右腕を取って、にっこりと微笑んだ。

「ひいおばあ様?」

 メレンケリは、怪訝な顔をしながら曾祖母を見つめた。

 メデゥーサはメレンケリを愛おしそうに見つめ、優しい手でメレンケリの顔の輪郭をそっと撫でる。

「これで、お終いよ、メレンケリ。この右手の力は、メデゥーサ・アージェが求めてしまったもの。あの子の元から去っていく男を繋ぎとめるための力……」

 そう言うと、メデゥーサはメレンケリの右手を自身の頬に押し付けた。 

「あっ……」

 それを見たグイファスは立ち止まった。

 ほんのりと輝いていたメデゥーサの体から、迸るように光が溢れだしてくる。

「だから、この力はいらないのよ。さようならをしましょう、メレンケリ……」

「ひいおばあ様……」

「あなたに、そう呼ばれて嬉しかったわ。メデゥーサ・アージェの可愛い曾孫。もう、呪いは解けた。だから、大丈夫。その手で、愛おしい人に触れてあげて――……」

 メデゥーサがそう呟くと、光がはじけ飛んだ。暫く、そのはじけた光が雪のように空から落ちてきた。

「……」

 メレンケリは、右手の手のひらを広げ、そこに光の雪を落ちるのを待った。ひらりひらりと舞い降りた一つの光が、彼女の手に乗っかると、静かに消える。

 光の雪は、メレンケリとグイファスの元に舞い落ちた。それはとても幻想的で、二人は光の雪が消えるまで静かに見入っていた。

「きれいね……」

「ああ……」


 そして、ほどなく光の雪は空から落ちてくる量を徐々に減らし、いつの間にか暗闇が戻っていた。

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